「甘味喫茶について - 柴田元幸」

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「甘味喫茶について - 柴田元幸

甘味喫茶では、誰もが真剣に注文する。普通の喫茶店みたいに、おしぼりで顔をごしごしやりながら「僕ホットね」とか言ったりはしない。みんな両手で品書きを握りしめ、おしるこ系あんみつ系ところてん系抹茶系それぞれいくつものバリエーションを備えた選択肢を、一つひとつ仔細に検討する。そしてひとたび食べ物が出てきたら、みんなとても真剣に食べる。スポーツ新聞を読みながら片手間に食べたりはしない。甘味喫茶では、人は食べ物と本当に対峙する。
甘味喫茶は、とても混んでいるか、とても空いているかのどちらかであるように思える。混んでいるのはたいていオフィス街にある店で、客の大半は会社勤めの女性たちである。勤め帰りの時間に行くと、そういう店はおそろしく盛り上がっている。女性たちは楽しそうに食べ、喋り、笑っている。糖分だけであれだけ盛り上がれるのはすごい。アルコールなしで盛り上がれるのはいいことである。
甘味喫茶で空いているのは、住宅地にぽつんと建っている店などである。こういう店は概して静かで品がよく、店内の調度品や食器も趣味がいい。給仕をしてくれるのも、たいていは着物姿の上品な中年女性である。お金を払おうとすると、「あらまあよろしいですのよお金なんて」と言ってくれそうな雰囲気さえあるがさすがにそうは行かない。甘味喫茶といえども資本主義から自由ではない。
甘味喫茶では音楽も控え目の音量で、たいていは琴か何かの、耳あたりのいい音楽である。確かな個性、というようなものではないが少なくとも最悪の選択ではない。「ツーホット」とか「レティワン」とかいった愛しづらい日本語を聞かされることも比較的少ない。
甘味喫茶を仕事に使う人はめったにいない。「私ども一応ですね、ただいまこちらが、あの一応、重点キャンペーン地域ということになっておりまして、それでまあ、ぜひですね、サンコーさんにもひとつご協力いただければと」とか「こちらとしとも、慈善事業で横島さんにご融資したのではないわけですよ」とかいった会話も聞かずに済む。
甘味喫茶で唯一困るのは、あんみつのあんがつぶあんではなくこしあんであることが多いことだ。しかも、つぶあんこしあんの違いに関して甘味喫茶関係者はしばしば無自覚である。「あんみつのあんはつぶあんですかこしあんですか」と訊ねると、まるで「おたくのトイレのトイレットペーパーはシングルですかダブルですか」とでも訊いたみたいな顔をされることがある。が、仙台にある某人気甘味喫茶では、つぶあんこしあんを選ぶことができる。しかも、黒蜜と白蜜を選ぶこともできる。初めて行ったときは夢かと思った。
甘味喫茶で、つぶあんクリームあんみつを、ゆっくりと、しかしアイスクリームが融けてしまわぬだけの速度をキープし、アイスとあんのバランスを考えつつ、かつさいごにかんてんばかり残ってしまわぬよう配慮しながら食べる。それは日本におけるカフェ文化の最良の具体的実践のひとつである。(1994.9)