「岡本綺堂年譜(最晩年抜粋)」河出文庫綺堂随筆江戸のことば から

f:id:nprtheeconomistworld:20220301094947j:plain



 

岡本綺堂年譜(最晩年抜粋)」河出文庫綺堂随筆江戸のことば から

昭和十三年-六十七歳
旧冬来の感冒のために食欲不振、不眠に悩む。一時快方に向いたけれども、二月下旬に至りて再発し、少しく悪化の兆あり。気管支炎を併発し、心臓衰弱を伴う。大いに療養につとめ、六月に至りて漸く癒ゆ。
七月、箱根に転地す。最後の旅なり。
八月、帰京後、不眠症のため頭痛に悩む。
九月、「天稚彦」二幕を脱稿す。最後の戯曲創作なり。その後計画は進みたれども遂に執筆を果さず。「短歌研究」に「目黒の寺」を書く。原稿執筆これを以て★む。二十八日、近来は慢性となりたる感冒悪化し、持病の不眠症を併発す。日記帳もこの月を以て終れり。
十月八日、名月の日なり。気分のよきままに庭に出でて薄を切る。忽ち発熱甚し。一ヶ月余り宿泊せる兵士二名征途に上る。国旗に壮行の句を餞す。
病状の経過思わしからず。気管支炎より更に肺に浸潤せるを認む。
十二月、医師より絶対安静の注意あり。病臥生活の相当長期に亘るべきを思い、年末年始の礼に代えて、面会謝絶引籠りの挨拶状を発す。病室にふさわしき机を求む。机に向うは、職業なり、趣味なり、しかして慰安なり。しかも遂にこの机を利用するの機なし。専ら療養のうちにこの年暮る。
この月、春陽堂文庫「室町御所」新潮社版大衆名著集「半七捕物帳」出ず。
この年の新作戯曲は「崇禅寺馬場」四幕、「天稚彦」二幕など。
昭和十四年-六十八歳。
新年より漸く快方に向い、春暖の候を楽しみ待つ。一月十八日より雪あたりにて二、三日に及ぶ。
二十三日、病篤し。日記帳に筆を止めて後病床にて手帳に心覚えを記したるも、この日に至りて跡を絶てり。
食欲不振、不眠症に心臓の衰弱加わる。
二月十二日、重態に陥る。十七日、甚しき呼吸困難の発作あり。疲労衰弱とみに加わりて危険状態続く。
意識明瞭にして、気力また余裕あり。小康は保ちたれども、全身の衰弱は蔽うべくもなし。
静かに逝く。六十八年の生涯、茲に終る。三月一日、真昼の午後零時二十分なり。遺訓なく、辞世の句なく、死の苦渋なし。帰するが如き平安の永眠なり。
×××
三月三日、生前好める雛祭の当日、青山斎場にて葬儀を営む。盛儀たり。
三月七日、初七日を以て青山墓地に遺骨を埋葬す。春雨煙る午後なり。
常楽院綺堂日敬居士