(巻三十四) 割箸を祭の端に捨てにけり(小野あらた)

(巻三十四) 割箸を祭の端に捨てにけり(小野あらた)

7月20日水曜日

洗濯をした後、日射しの強くなる前の午前中にブリーフと靴下を買いに駅前のヨーカ堂に行った。途中、少し遠回りをして都住2、都住3を通り抜けてみたが猫たちは不在。

ヨーカ堂でBVDの白ブリーフを探す。今や白ブリーフは主流ではなく売場にはトランクスばかりなり。やっと見付けたMを6枚買う。靴下は白の学生用かな?

帰りはバスに乗った。都住2の友だち婆さんと会う。帰りにも都住3を覗いて見たら、藤棚の下でサンちゃんとフジちゃんが涼んでいた。サンちゃんは昨日スナックを喉につっかえさせたのが記憶に残ったようで粒スナックに興味を示さない。フジちゃんがバリバリ食べた。猫にも誤嚥性肺炎はあり得よう。かといって練り物スナックを用意してもゴミの始末が難しい。

《謎というものは、解けると非常に気持ちがいい、仮名草子に『犬枕』という作品があるが、そこでも、「嬉しき物」として、「人知れぬ情」「町買の堀出し」「思ふ方よりの文」「誂物[あつらへもの]能[よく]出来たる時」とともに「謎立解きたる」があがっている。

俳諧の特質として、滑稽性であるとか、庶民性であるとかが指摘されているが、私は、その一つとして謎解きの要素があると思っている。それは、蕉門俳諧とても例外ではない。俳諧史を貫通して、現代俳句に至るまで、謎解きの要素がある。

ここでは、蕉門の俳人たちのあいだで問題になった謎の句を検討することによって、俳諧における謎解きの要素の一端を窺ってみることにしたい。

まず、其角の句を一句、左に示す。

まんぢゅうで人を尋ねよ山ざくら(其角)》

と、始まる

「謎の句 - 復本一郎」日本の名随筆57謎 から

を読んでいる。

願い事-電球が切れるが如くで細君より先にお願い致します。怖くない、怖くない。

死にたい死にたいと言いながら、明日採血があるので酒を抜いた。大馬鹿‼