(巻三十五)音のして電球きれし花の冷え(麻田すみえ)

(巻三十五)音のして電球きれし花の冷え(麻田すみえ)

11月28日月曜日

明治から150年と云うと身近なところでは亀青小学校が創立150年だ。次いで亀有駅で鉄道開業150年か。100年から140年あたりまでお世話になったあのお役所も今日が150年だそうだ。

今朝は曇天、だが風がない。そんな中を細君は通帳の記帳に出かけて行った。

独り静かに昨日借りてきた角川俳句11月号を捲り、

鳥よ啼けここも一つの冬の星(イーブン美奈子)

かばかりの橋にも名あり川涸るる(木下まこと)

菊人形こころもとなき帯の位置(千野千佳)

手放せばいいだけのこと水中花(倉本節子)

千円の散髪すます土用かな(入江多美子)

モルヒネや静かに引ける父の汗(上田一樹)

を書き留めた。

11月号には『角川俳句賞』が発表されていて、その選考座談会が掲載されていた。選者は、対馬康子・仁平勝・小澤實・岸本尚毅の四氏。

読んでみたが、けっこう辛辣にやり合うものなんですね。

対馬:「南紀」の作品は抒情性とかポエム的な表現力は捨てがたいものが感じられるのですが。

岸本:たしかに力作だとは思います。

仁平:僕はけっこう気になる表現がありました。〈蝦呑みし寒鯉といふ微熱かな〉は全く買わないですね。〈雪の降る紙幣ばかりの中州かな〉、何を言いたいのか。〈田舎銀座灯りて蒼い葱の深夜〉〈雨の日の備長炭の訛かな〉とか、意味を崩せば詩になると思っている。

岸本:〈次の世に次の世の寒落ち椿〉は読みつらかった。一句一句吟味していくと、たしかに……。

対馬:吟味すると、確かに欠点があるんです。失敗作があるなあと思いつつも、内面的なものが前面に出た作品もいいんじゃないかと推したい。

- 俳句の隠喩性についてはどうでしょうか。

仁平:〈寒鯉といふ微熱〉〈蒼い葱の深夜〉〈備長炭の訛〉など、隠喩になっていない。〈風花にこの唇の墓場かな〉の〈この唇の墓場〉とか、言葉が稚拙です。今「内面」と言ったけれど、たとえば〈干菜吊るうらがは静か接吻す〉は、干菜の裏が静かだから、そこで接吻したというだけのことだと思うが、どういう「内面」があるのか。

対馬:「わかりました」と言わざるを得ない。これ以上言うと、この作者を傷つけてしまいそう。

小澤:でも、その作者にとって勉強になるとおもいますよ。』

行く春や選者をうらむ歌の主(蕪村)

細君は焼売と肉マンを買って無事帰宅。

用心に用心の蝿冬に入る(小林緑)

OB会から吉忠さんの訃報が回ってきた。私より25は上だから随分とご長命だったわけだ。12年くらい前、どこかの会社の顧問としてお見えになり、肝臓の大手術をされたとかで病気全快自慢をされていた。可愛がってくれた上司のお一人だ。

昼飯食って、一息入れて、散歩。二日抜いたし、明日、明後日と天気が悪そうだから日程的には呑んでもいいのだがこの曇り空だと呑む気になれなかった。図書館前を通り、笠間稲荷のコンちゃんと戯れ一袋。そこから新道の7ELEVENに歩き110円珈琲を喫し、都住3に至る。藤棚下のバイク・カバーにうずくまってサンちゃんとフジちゃんが寝ていた。フジちゃんは食い気を見せたが、サンちゃんは起き上がらず。フジちゃんに一袋。1号棟の階段でクロちゃんと戯れ二袋。

最後に生協に寄り、ティシュと猫のスナックを買う。スナックは1パック10袋入りで168円。値上がりしていないのだ‼

帰宅後、“洗濯をするよ!”と言われ、そうなった。干せず。

願い事-涅槃寂滅です。この先25年生きるという想定はしたくもない。

最晩年身を焼く火事も思し召し(平川陽三)

「「天」か、「大賞」か - 塩田丸男」00年版ベスト・エッセイ集 から

天、という文字を見て、人が真っ先に思い浮かべるものは何だろうか。

「そうだ、しばらく天麩羅を食べていないなあ、うん、天丼も」

と急に胃袋がなりだす食いしん坊もいるだろうし、

「天気予報も近ごろは結構あたるようになったねえ」

と空を見上げる人もいるだろう。

定年間近の高級官僚なら「天下り」という言葉が反射的に頭に浮かぶだろうし、神戸市民なら十人が十人、「天災」の二文字を想起するに違いない。

私の場合は何かというと、「天地人」である。日頃、これでさんざん苦労させられているからだ。

広辞苑』で「天地人」の項を引いてみると、

「(1)天と地と人。宇宙の万物。三才。(2)三つに区分して、その順位・区別を表す語。......」とある。この(2)のほうの「天地人」である。

私は俳句をひねる。自分勝手に「五七五」を指折ってきただけなのだが、何十年とやっていると自然に仲間もでき、テレビの俳句番組に招かれたり、週刊誌の俳句欄の選者を頼まれたりすることになる。

天地人」の苦労というのは、この俳句欄の選のことなのだ。

だんご三兄弟」が大ヒットしたことでも分かるように、三という数字は縁起のいいものとされている。

すぐれたものを讃える時、三つ纏めて披露することが多い。

「御三家」というのは、もともと徳川将軍家にもっとも近い尾張紀伊、水戸の三家をいったものだが、現代では〈橋幸夫西郷輝彦舟木一夫〉とか〈野口五郎郷ひろみ西城秀樹〉といった同じ頃に人気のある芸能人をまとめて呼ぶ名称になっている。

三景(勝れた景色)、三傑(勝れた人物)、三聖(三人の聖人)、三跡(書道に勝れた三人)といった具合に、三点セットで披露するのは大変効果のあるものらしい。

この三点セットが俳句では昔から「天地人」と決まっているのである。

この呼称はなかなかよろしい。三傑、三景、三聖、などといっただけでは、その三者の中のどれが一番なのか、三番なのか、分からない。やっぱり折り目正しく、順番は明らかにしたいではないか。

順位をはっきりさせて、ベストスリーを表すのには「松竹梅」とか「ABC」とか「いろは」などの呼称もあるが、どれも安っぽい感が否めない。これらに比べると、「天地人」は堂々としている。風格がある。なんといったって「天」という字があるからね。

だが、この「天」について、いささか考えさせられる事件につい最近、遭遇した。

ある新聞社が主催する俳句賞の選考会でのことだ。その選考会は日本の俳壇を代表する十一人の偉い人と、ちっとも偉くない人一人(私のことです)、計十二人の選考委員によって、選が行われた。

候補になった句は八百句、その中から選考委員は、各々、天、地、人の三句プラス三十句の計三十三句を選ぶ。天は五点、地は三点、人は二点、そして、残りの三十句には一点が与えられ、総合得点によって「大賞」一句、「秀句」三句、「佳句」二十句が決まる、というのが選考規定だった。

結果が発表された時、私は思わず「ええっ」と叫び声を挙げた。

私が一番気に入って「天」を進呈した句が「秀句」はおろか「佳句」の二十句にも入っていなかったからだ。そればかりではない。「大賞」に決まった句も、私がまったく選ばなかった句ではないか。

ガックリきましたね。俳壇の偉い人たちの「見る目」とオレの「見る目」はまるで違うのだな、やっぱりオレは偉くないのだな、と大いに反省するしかなかった。

そして、「大賞」にズバリ「天」をつけた選者に会って〈正しい俳句の見方、選び方〉をじっくり聞いてみようと思って、事務局の人にズバリ「天」をつけた選者の名前を教えてほしい、と頼んだ。ところが、返ってきたのは思いもよらない言葉だった。

「大賞の句に天をつけた選者の方は一人もいらっしゃいません」

選者が選んだ「天」の句は完全にバラバラで、同一句で「天」が二つついたのもないという。「大賞」ばかりではない。「秀句」三句のうち上位の二句にも「天」は一つもついていないというのである。

「どうして?どうしてそんなことになるの?天が一つもない句が大賞になるなんて!」

私は驚いて大声を出した。

「びっくりなさることはありませんよ。よくあること、というより、そういうことのほうが多いのですよ」

事務局の人にかわって説明してくれたのは選者の一人で、私とは時々、他の仕事でも一緒になることのあるDさんだった。

「天」の句は、人間でいえば、ユニークな、強烈な個性を持った人物のようなもの。その魅力に取り憑かれた人は絶対的に支持し、信奉してしまうが、そうでない人は、好きになるどころか、嫌い、憎み、反感を持ちさえする。「天」がポツンと一つ、ついているだけで、あとは全然点が入らない。

それと対象的に、八方美人的な句というのがあって、「天」には決してならないけれど、さりとて捨てがたく、誰もが採ってしまう。そういう句が総合得点を稼いで「大賞」を獲得するのだ。

Dさんの説明は、ざっとこのようなものであった。納得はしたけれども、何か吹っ切れないものが胸の中に残った。

私の俳句は、いや、俳句ばかりではない、私という人間そのものが、「天」を目指すべきなのか、それとも「大賞」を目指すべきなのか、私は目下、大いに悩んでいるところなのである。