(巻三十五)水洟や禁煙断酒他人ごと(石塚友二)

(巻三十五)水洟や禁煙断酒他人ごと(石塚友二)

12月9日金曜日

今日は漱石忌だそうだ。

住みにくき世は変はらじや漱石忌(辻雅宏)

朝家事は洗濯、拭き掃除、クリーニングの引き取り。予報より晴れず。11時半に晴れ間が出て毛布を干す。

昼飯食って、一息入れて、散歩に出かけた。細君が予約した『藤井旭天文年鑑』の用意ができたとアリオの紀伊國屋から連絡があったのでそちらへ向かった。

かぞえいるうちに殖えくる冬の(上田五千石)

本屋の前にヨーカ堂の下着売場で長袖下着とタイツを買うそれぞれが1500円くらいで計6500円也。一着で三千円超えのもあり、下着も高くなった。買った品も去年より各200円くらいは上がっていた。そこから年末の勝負下着を一撮し、クリマス飾りを一撮しながら、紀伊國屋へ回り予約本を買う。本屋もモールもそれほど客はいない。

アリオから北口へ歩き、チラシでみた喜多方ラーメン屋のちょい飲みを試してみた。15時からのちょい飲み開始だが、14時57分にオーダーしたら、時間まで待たされた。味付け玉子と餃子とハイボール2杯で1060円也。味付け卵はよいが餃子はちょっとだったな。内容と価格は大阪王将と変わらない。ホッピーで同じような値段になる大阪王将の方がまだよいか。

バスに乗ろうかと思ったが、バス停から図書館に回って帰宅するなら駅から歩いても変わらない。明日の朝も足がツルかもしれないが歩いた。

猫たち。クロちゃんを二日見ていない。今日はサンちゃんもフジちゃんも姿が見えなかった。どうしたのかな。稲荷のコンちゃんはお元気でした。

願い事-涅槃寂滅です。

弔辞を読んでいる。私には弔辞はおろか、葬儀もなかろうが、「これでいいのだ!」。だいたい、若くて死ぬから葬式が派手になるわけで葬式が派手なのはよろしいことではない。

今日は「吾輩は猫である(巻末抜書) - 夏目漱石」を読み返してみたが、猫の最期は「キュープラー・ロスの五段階 - 水野肇」で述べている思考に一致している、と云うか漱石は先に判っていたのだ‼

ワガハイニカイミヨウモナシススキカナ(高浜虚子)

吾輩は猫である(巻末抜書) - 夏目漱石ちくま文庫夏目漱石全集1 から

主人は早晩胃病で死ぬ。金田のじいさんは慾でもう死んでいる。秋の木の葉は大概落ち尽した。死ぬのが万物の定業[じようごう]で、生きていてもあんまり役に立たないなら、早く死ぬだけが賢いかも知れない。諸先生の説に従えば人間の運命に自殺に帰するそうだ。油断をすると猫もそんな窮屈な世に生れなくてはならなくなる。恐るべき事だ。何だか気がくさくさして来た。三平君のビールでも飲んでちと景気をつけてやろう。

> 勝手へ廻る。秋風にがたつく戸が細目にあいてる間から吹き込んだと見えてランプはいつの間にか消えているが、月夜と思われて窓から影がさす。コップが盆の上に三つ並んで、その二つに茶色の水が半分ほどたまっている。硝子の中のものは湯でも冷たい気がする。まして夜寒の月影に照らされて、静かに火消壺[ひけしつぼ]とならんでいるこの液体の事だから、唇をつけぬ先らすでに寒くて飲みたくもない。しかしものは試しだ。三平などはあれを飲んでから、真赤になって、熱苦しい息遣[いきづか]いをした。猫だって飲めば陽気にならん事もあるまい。どうせいつ死ぬか知れぬ命だ。何でも命のあれうちにしておく事だ。死んでからああ残念だと墓場の影から悔やんでもおっつかない。思い切って飲んで見ろと、勢よく舌を入れてぴちゃぴちゃやって見ると驚いた。何だか舌の先を針でさされたようにぴりりとした。人間は何の酔興[すいきょう]でこんな腐ったものを飲むのかわからないが、猫にはとても飲み切れない。どうしても猫とビールは性が合わない。これは大変だと一度は出した舌を引込めて見たが、また考え直した。人間は口癖のように良薬は口に苦しと言って風邪などをひくと、顔をしかめて変なものを飲む。飲むから癒[なお]るのか、癒るのに飲むのか、今まで疑問であったがちょうどいい幸だ。この問題をビールで解決してやろう。飲んで腹の中までにがくなったらそれまでの事、もし三平のように前後を忘れるほど愉快になれば空前の儲け者で、近所の猫に教えてやってもいい。まあどうなるか、運を天に任せて、やっつけると決心して再び舌を出した。眼をあいていると飲みにくいから、しっかり眠って、またぴちゃぴちゃ始めた。

吾輩は我慢に我慢を重ねて、ようやく一杯のビールを飲み干した時、妙な現象が起った。始めは舌がぴりぴりして、口中が外部から圧迫されるように苦しかったのが、飲むに従ってようやく楽になって、一杯目を片付ける時分には別段骨も折れなくなった。もう大丈夫と二杯目は難なくやっつけた。ついでに盆の上にこぼれたのも拭[ぬぐ]うがごとく腹内[ふくない]に収めた。

それからしばらくの間は自分で自分の動静を伺うため、じっとすくんでいた。次第にからだが暖かになる。眼のふちがぼうっとする。耳がほてる。歌がうたいたくなる。猫じゃ猫じゃが踊りたくなる。主人も迷亭も独仙も糞を食えと云う気になる。金田のじいさんを引掻いてやりたくなる。妻君の鼻を食い欠きたくなる。いろいろになる。最後はふらふらと立ちたくなる。起[た]ったらよたよたあるきたくなる。こいつは面白いとそとへ出たくなる。出ると御月様今晩はと挨拶したくなる。どうも愉快だ。

陶然とはこんな事を云うのだろうと思いながら、あてもなく、そこかしこと散歩するような、しないような心持でしまりのない足をいい加減に運ばせてゆくと、何だかしきりに眠い。寝ているのだか、あるいてるのだか判然としない。眼はあけるつもりだが重い事夥[おびただ]しい。こうなればそれまでだ。海だろうが、山だろうがおどろかないんだと、前足をぐにゃりと前へ出したと思う途端ぼちゃんと音がして、はっと云ううち、-やられた。どうやられたのか考える間[ま]がない。ただやられたなと気がつくか、つかないのにあとは滅茶苦茶になってしまった。

我に帰ったときは水の上に浮いている、苦しいから爪でもって矢鱈に掻いたが、掻けるものは水ばかりで、掻くとすぐもぐってしまう。仕方がないから後足で飛び上っておいて、前足で掻いたら、がりりと音がしてわずかに手応えがあった。ようやく頭だけ浮くからどこだろうと見廻わすと、吾輩は大きな甕[かめ]の中に落ちている。この甕は夏まで水葵[みずあおい]と称する水草が茂っていたがその後鳥の勘公が来て葵を食い尽した上に行水を使う。行水を使えば水が減る。減れば来なくなる。近来は大分[だいぶ]減って烏が見えないなと先刻[さっき]思ったが、吾輩自身が烏の代りにこんな所で行水を使おうなどとは思いも寄らなかった。

水から縁までは四寸余[よ]もある。足をのばしても届かない。飛び上っても出られない。呑気にしていれば沈むばかりだ。もがけばがりがりと甕に爪があたるのみで、あたった時は、少し浮く気味だが、すべればたちまちぐっともぐる。もぐれは苦しいから、すぐがりがりをやる。そのうちからだが疲れてくる。気は焦[あせ]るが、足はさほど利[き]かなくなる。ついにはもぐるために甕を掻くのか掻くためにもぐるのか、自分でも分りにくくなった。

その時苦しいながら、こう考えた。こんな呵責[かしやく]に逢うのはつまり甕から上へあがりたいばかりの願である。あがりたいのは山々であるが上がれないのは知れ切っている。吾輩の足は三寸に足らぬ。よし水の面[おもて]にからだが浮いて、浮いた所から思う存分前足をのばしたって五寸にあまる甕の縁に爪のかかりようがない。甕のふちに爪のかかりよいがなければいくらも掻[が]いても、あせっても、百年の間身を粉[こ]にしても出られっこない。出られないと分り切っているものを出ようとするのは無理だ。無理を通そうとするから苦しいのだ。つまらない。自ら求めて苦しんで、自ら好んで拷問に罹[かか]っているのは馬鹿気ている。

「もうよそう。勝手にするがいい。がりがりはこれぎりでご免蒙[こうめ]るよ」と、前足も、後足も、頭も尾も自然の力に任せて抵抗しない事にした。

次第に楽になってくる。苦しいのだかありがたいのだか見当がつかない。水の中にいるのだか、座敷の上にいるのだか、判然としない。どこにどうしていても差支えはない。ただ楽である。否[いな]楽そのものすら感じ得ない。日月[じつげつ]を切り落し、天地を粉韲[ふんせい]して不可思議の太平に入る。吾輩は死ぬ。死んでこの太平を得る。太平は死ななければ得られね。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。ありがたいありがたい。

「キュープラー・ロスの五段階 - 水野肇」中公文庫 夫と妻のための死生学 から

「死」にたいする恐怖というのは、非常に複雑だといえる。「死」そのものもを恐れるというのもあれば、死の前に訪れる、いわゆる死線の恐怖もある。また、死ぬ前になる病気(それが結局は死につながる)である寝たきりや老人痴呆になるかもしれないという恐怖もある。なにしろ、死を経験した人は多いが、一度死んで生き返った人はいないから厄介である。

さきにも登場したが、アメリカのイリノイ州精神科医、エリザベス・キュープラー・ロスは、瀕死の患者が示す五つの段階を分類している。それによると、

①拒絶

②怒り

③取り引き(通常、神との)

抑うつ

⑤容認

の五段階を経るという。

これは、瀕死の状態でなくとも、死がさけられない段階になると、同じようになるのだとみられる。ただ、いつかは死ぬだろうというような、たとえば、動脈硬化が進行しているとか、心電図がかなり悪いといったようなときには、五段階の心境にはならない。というのは、こういう状態では、やがて命を落とすことがわかっていても、その時期がはっきりしない場合は、このような心境にはならない。しかし、手おくれのガンだとわかったときには、この段階を経るのが通常のようだ。

> まず、死にたくないと思う。心理的なパニックである。ある一定の時期は絶望感に打ちひしがれる。何も手につかない。やがて、なぜ自分だけがこういう目にあうのかと思う。他の人はみんな元気なのに、自分だけが運命に呪われたように思い、おこりっぽくなる。そのうち、宗教心のある人は、神との取り引きに入る。宗教心のない人は、さらに苦悩することが多い。絶望感におそわれる。やがて自分のなかに閉じこもってしまい、抑うつ状態がやってくる。人と、ものをいわなくなり、何をする気もなく、一日じゅう、じっとしている。なんとなく考え込んでいる風である。やがて、容認というかあきらめの心境になり、それなりに落ち着くが、前向きにものごとを考えることはできない。そのうち、落ち着いて、少しは、ものごとを前向きに考えるようになり、結局、落ち着くところは「残された日々を毎日毎日、自分の良心にもとらない充実した日を送ろう」と思うようになる。そう考えるようになったときは、心の平静をとり戻しているわけである。

最初の段階から落ち着きをとり戻すまでの時間は、人によってちがうのはいうまでもない。なかには絶望感に耐えられなくなって、自殺する人もあるし、手おくれのガンだとわかってからも、三年も四年も生きることがある。そういうときには、“ひょっとしてなおったのではないか.....”と思うようになる。そうなると一時は覚悟していた死が遠のいていく感じがして、再発したときには、また第一段階からやりなおすというようなケースもある。

比較的早く安定した心境になる人のなかには、宗教を持っている人が多いことも事実のようである。その意味からいって、宗教の果たしてきた役割は大きかったが、だからといって、無理矢理に宗教に引きずり込んだり、“苦しいときの神だのみ”で急に入信するのもいかがかと思われる。神を信じない人は信じないなりの死の迎え方があるものと思われる。それについては、あとで考察するが、ここにきわめて興味あるデータがある。

それは、PL教団大阪病院が中心になって集めたものだが、ガンの末期で、現代の医学ではどうみても一年以内の命とみられた人で、二年以上生きている人たちを調べたものである。それによると、“予定”の二倍も三倍も生きることのできる人たちは、その大部分が生活上に何か大きな目標を持ち、それが完成するまでは死ねないと頑張った人たちであった。そのなかには、中企業の会社の社長をしていて、業績もよく、二部上場会社になるのが目前のところまできていたときに、手おくれのガンであることがわかり、本人もそれを知った。その社長は“何が何でも二部上場までは頑張る”と回りの人たちにいって獅子奮迅の働きをした。そして、念願かなって二年半後に二倍上場会社になった。別のケースでは末娘が結婚するまでは生きているのは親の義務だといって頑張った人も二年後まで生き、結婚式に出席した。しかし、二人とも目標を達してからいずれも2カ月以内に死んだ。“背水の陣”というのは馬鹿にならないということを示していて、私たちも考えねばならない点でもある。