「猫派と犬派の違いについて - 養老孟司」作家と猫 から

 

「猫派と犬派の違いについて - 養老孟司」作家と猫 から

ペット好きには、猫派と犬派がある。よくそう言われる。
猫は自分の好き勝手にしている。それがなんともいえずいい。そう思う人が猫派なのだと思う。どういう人がそうなるのか。自分で好きにしたいけれども、浮世の義理でなかなかそうできない。年中どこか辛抱しつつ暮らしている。そういう人であろう。
そういう人は、ネコに自分を託す。ネコに勝手に乗り移って、そのネコに好きにさせるのである。実人生で制約されている分を、それで心理的に取り戻そうとする。要するに「ネコになってしまう」のである。
イヌは社会的動物である。だから社会性が高い。犬派は猫派と違って、イヌに乗り移るわけじゃない。あくまでもイヌは他者である。ただし自分に依存させる。子どもが増えたようなものであろう。飼い主とイヌの関係は、基本的には社会的関係であり、猫派の場合のような心理的関係ではない。
社会的適応のいい人は、多くは犬派である。犬を飼うことで、さらにその適応を良くしているに違いない。犬を飼っていることが、社会的関係のシミュレーション、つまり予習や復習になるからである。私が通っていた中高一貫の学校の校長さんはドイツ人の神父だった。この人が校内にある修道院や宿舎から、夜になって先生たちを呼びつけるときには、窓から呼び子をピーッと吹いた。ある神父さんが私は犬じゃない、と怒っていた。この校長さんは若くして校長になっていたから、社会的適応がいい人だったに違いない。ピーッで怒ったほうの神父さんは、たぶん猫派じゃなかったかと思う。修道院ではイヌもネコも飼っていなかったから、本当のところはわからないが。
私は猫派である。だから猫派の気持ちはわかるが、犬派の気持ちはややわからない。大勢集まって騒ぐより、一人でコツコツしごとをしたほうがいい。ネコのワガママが好きで、だから自分もワガママなのだろうと思う。
イヌも何度か飼ったが、社会的関係で律することをしなかったから、バカだという記憶しかない。イヌを飼うなら、サルのほうがはるかに利口で、社会的関係も人間に近いから参考になる。サルを飼った最初の日に、ポケットにピーナッツを入れてサルの近くに行き、ポケットからピーナッツを出して食べさせた。そうしたら次の日にはもう、私のポケットに手を突っ込むようになった。ここまで利口な動物はサルだけだと思う。
ただしここまで利口だと、死なれるとたまらない。末期を私が看取ったが、もう二度と飼う気はない。やっぱりペットはかなりバカでないと、ペットにはならない。本当の家族になってしまうのである。