(巻三十六)がみがみとぶつぶつ共に着ぶくれて(彦根伊波穂)

(巻三十六)みがみとぶつぶつ共に着ぶくれて(彦根伊波穂)

 

今日から巻三十六です。

朝家事は洗濯と掃除。何かの防災番組でペット用の排泄物処理シートを使った簡易トイレの紹介があったようで、早速買って来いと云う。この手の番組も良し悪しだ。煩いのでついでに買ってきたが、アイデア倒れの思い付きだろう。段ボール箱を使ったベッド作りというのもあるらしいが、どうもわざとらしい。

昼飯喰って、一息入れて、散歩に出たが風が強くなりあまり歩かずに引き返した。クロのところには寄ってみたが不在。

部屋に戻りパーカーを着てフードも被り凌ぐ。

図書館のシステムまだ復旧せず。

願い事-涅槃寂滅、酔生夢死です。

 

今週は

https://www.bbc.co.uk/programmes/m001hdnl

を聴くことにした。

BBC Food Programmeからでスコッチウイスキーの樽買い、投資、投機、高騰、詐欺、のことを報じている。全部解る筈はないと気楽に聞いている。

ネス湖の生一本、グレン・モーランジー - 景山民夫新潮文庫 今宵もウイスキー から

を読み返してみた。

 

バカだなと目が言うホットウイスキー(火箱ひろ)

 

ネス湖の生一本、グレン・モーランジー - 景山民夫新潮文庫 今宵もウイスキー から

 

長い長い直線の道が続いている。

周囲は羊の放牧場で、ところどころに見える岩山の近くに、決ったように数頭の鼻先の黒い羊が群れて牧草を食べている。ほとんど車通りが無いせいか、僕の運転するモーリス・ミニ・ヴァンが通りすぎるのを珍しそうに見つめている羊もいる。

スコットランドの高地[ハイランド]は、ただでさえ低い人口密度のせいで車が少ないのだが、今、僕が走っているネス湖の南岸に沿った道は、1933年に反対側の北岸にM86という国道が開通してからは、完全に旧道となってしまい、長さ40キロ近くあるネス湖の端から端まで走っても、一台の車ともすれ違わないことも珍しくはない。

それでも、今回は遥か彼方からこちらにやって来る車が見えた。僕との距離は6キロぐらいあるだろう。

直線道路だが、かなり起伏があるので、時折姿が見えなくなっては、また現れる。やがて、最初にその車を認めてから10分ぐらい後に、やっとすれちがうことになる。

もう相手の車の運転者の顔が見える。五十歳ぐらいの紳士で、お定まりのツイードのジャケットにタートルネックのセーター姿で、頭にはシャーロック・ホームズでおなじみの、耳当てを頭の上で結んだ鹿撃ち帽[デイア・ストーカー]をかぶっている。ギリギリ車二台分の幅しかない道路だから、彼も僕も、時速10キロぐらいまでスローダウンして、いざすれちがう瞬間となると彼がその帽子をヒョイと取って軽く会釈をした。こちらはあいにくのことに無帽だから、会釈を返すだけである。今度からネス湖に来る時は、たとえヘルメットでもいいから頭に何かのせておくことにしよう。

彼と僕とは知り合いでも何でもない。全くの初対面である。が、とにかく10分ほど前から互いに車を認めあっている。だから顔が見える時になったら挨拶をかわすのが当然である.....というのがスコットランド高地での物の考え方だ。そして僕はそういう考え方に出会う度に嬉しくなってしまう。

初めてネス湖に来たのは1971年のことで、スコッチ・ウイスキーカティーサーク社がロイド保険会社のバックアップで、ネッシーを生け捕りにしたものに100万ポンドの賞金を出すと発表した年である。もちろんイギリス式のジョークなのだが(第一、法律で、ネス湖に住む、魚以外の動物を捕獲あるいは殺害することは禁じられているのです)、僕としては、そのニュースを聞いて無神経なアメリカ人あたりが大挙して乗り込んで来てダイナマイトでも放り込みはしないか、ならば彼らに荒される前に、子供の頃から憧れていたネス湖を見ておきたいと、やってきたのだ。季節は夏で、ちょうどバカンスのシーズンに入ったばかりであり、北岸の国道沿いに点在する、主として団体旅行のアメリカ人むけのホテルはどれも満室で、湖に面したホテルで空いているのは対岸のフォイヤース村のホテルぐらいのものだろうと教えられ、旧道をたどることとなった。

> 湖に沿って湖尻から20キロほど走ると、白いペンキ塗りの木造の二階家が丘の上にあって、それがフォイヤース・ホテルだった。幸い部屋は空いており - というよりは他にはドイツ人の夫婦が一組泊っているだけだったのだが - 荷物をほどいて一階のバーで夕食前の一杯を飲[や]ることにした。日本を出る時から高地で飲む一杯目のスコッチ・ウイスキーに対する思い入れがかなりあった。

 

そこはバーというよりはパブに近い造りで、長いカウンターの途中に仕切りがあって、ホテルの宿泊客用と外来者用に区切られており、僕の入った泊り客用の方の広い窓からは湖面が見おろせるようになっていた。

そろそろ黄昏にさしかかる気配を見せるネス湖がよく見える角度でカウンターに陣取り、赤ら顔の四十がらみのバーテンダーに、精一杯キングズ・イングリッシュの発音で「本物のスコッチ・ウイスキーが飲みたいのだが」と注文した。彼は無表情に後ろの棚からシーバスリーガルの瓶を取って無言で僕に見せた。僕はかぶりを振って、もう一度「本物のスコッチが飲みたいのだ」と繰り返した。「そいつが本物じゃないという意味ではなくて、それなら日本でも飲めるということだがね」ともつけ加えた。バーテンダーは、ちょっと意外そうな顔をしたが、すぐにニヤッと一瞬だけの笑いを見せて、カウンターの内側にかかっていた鍵束を外すと、あいかわらず無言のまま背後の棚の下に切られている小さな扉の錠を外して背中をまるめて潜り込んで行った。のぞいてみると下り階段になっており、中は暗くてよく見えないが、丁度ワインセラーのような酒倉があるのだろうと想像できた。

彼はすぐに上がって来た。手に一本の瓶を持っており、それを僕の目の前に置いてから一歩退[さが]って腕組みをした。どうあっても無言で通すつもりかもしれない。大方、親戚がプリンス・オブ・ウェールズにでも乗っていたのだろう。

その瓶には山吹色のラベルが貼ってあり、なんだかガリ版刷りみたいな感じで工場の絵が印刷されていた。その上に赤い文字で「HIGHLAND MALT」という文字があって、一番上の名前は「グレン・モーランジー」と読めた。グレンは谷だから、たぶん地名がそのまま酒の名になっているのだろう。そういえばモルトウイスキーにはグレンという言葉の付いたものが多い。

とにかく初めてお目にかかる相手だから手の内が分らない。勝負してみるしかないので、バーテンダーにうなずいてみせた。彼は腕組みを解くと瓶の封を切り、ゴブレットに八分目ほどなみなみと注いで、今度は一歩退かずにその場でまた腕組みをした。

いくら他に客がいないとはいえ、なにも睨みつけるようにして人が酒を飲むのを見ていることはないだろうと思う。どうやらレパルスの方にも伯父さんあたりが乗り組んでいたらしい。視線は無視することに決めグラスを手にした。香りをみるのはやめにして、そのまま口に運ぶ。

ハイランドモルトにしては丸味がある。ホワイトホースにチラッとこの味が含まれていたような気がする。がもちろんそういったブレンドウイスキーよりストレートに味が頭の芯に伝わってくる。美味いのである。

「大変美味である」といったら初めてバーテンダーが口をきいてくれた。

「ここいらの酒だからな」

チェイサーに水を貰って飲み続けることにした。チェイサーの方も氷は無しだが、夏とはいえジャケットを羽織る気候だし、おそらく井戸水とみえて充分に冷たい。なるほど、ウイスキーに氷をぶちこんで飲むのはインドに駐在した英軍兵士あたりが始めた習慣かもしれない。バーテンダーも偶然に同じことを考えたらしく質問してきた。

中越しに聞こえてくる彼らの会話は、ゲール語のアクセントが強く聴きとりにくかったが、こんな内容だった。

「先週の土曜の夕方にな、クラッヒナハリイのマクネルの爺さまが畑の帰りにドロムナドロヒトんとこの岸辺であいつ[モンスター]を見ただってよ」

「ほう、そりゃ運が良かったね」

彼らは“ネッシー”とは呼ばずに“モンスター”と呼ぶ。ゲール語で“バイステ”という時もあった。ネッシーという呼び名は、ロンドンの新聞社あたりがつけたものなのだろう。そして、地元の彼らにとってはそれはセンセーショナルに新聞にとり上げられるような特別な存在ではなくて、誰でもが知っている、そこにいるものなのである。

四杯目をあけたところで、ホテルの主人がレストランがしまるから食事をしてくれと呼びに来た。

壁土のようなスープと羊の肉を焼いたものが唯一のメニューだった。

食事のあと、バーには戻らずに、ちょっと湖を眺めてから部屋に上がることにした。黄昏はあいかわらず、続いていた。

翌朝、5時半に目を覚まして、双眼鏡と16ミリカメラと望遠レンズを着けたスチールカメラをかかえて表に出たら、昨夜のバーテンダーが、もう起きて表を掃除していた。

僕の手にしている物を見て、何をしに出かけるかに気付いたらしく、昨夜と同じ調子で「フン」と鼻を鳴らして横をむいた。

丸々一日を湖岸で過ごし、夕方にホテルに帰って、そのままの足でバーに入ったら、バーテンダーが注文もきかずに、僕の前にグレン・モーランジーを瓶ごと置いた。あい変らず、ほとんど口もきかなかった。

そして、その習慣は、その後の七回のネス湖行きの時も、ずっと変らなかった。

「日本ではウイスキーはどうやって飲んでいるんだ?」

よっぽど、小さな陶器の瓶に移しかえて熱湯で温めてチビチビと飲むと答えてやろうかと思ったがやめにして、ほとんどが氷を入れて水で割ると答えたら「フン!」といって横をむいてしまった。睨みつけられているよりはましだ。

窓の外に目をやると黄昏が本格的になっていて、空の真ん中のあたりがマーマレード色をしていた。湖面には動くものは何も見えない。

三杯目のお代りを頼んだ時にさっきから空の色が変っていないことに気付いた。白夜なのだ。

隣の外来者用の方のパブにドヤドヤと人が入ってきた気配が仕切り越しに伝わってきて、バーテンダーがあっちとこっちを行ったり来たりすることになった。四杯目は向こう側で飲むことに決めて、一旦金を払い、ホテルの玄関を出てグルッと建物をまわって扉を開いたら、地元の農夫といった服装の男たちが六人いた。

みんなビールの1パイトのマグを手にしている。最初は見慣れぬ東洋人の出現にビックリしたようだが「今晩は」といったら、もうそれだけで充分だった。挨拶を返してくれて、あとは余計な注意は払わず、自分たちの世間噺に戻っていった。