「ボタン押し人間は幸せか - 中島らも」中島らもエッセイ・コレクション から

 

 

「ボタン押し人間は幸せか - 中島らも中島らもエッセイ・コレクション から

一九九一年という年は何かしら僕らを興奮させるものを持っている。あとたったの十年でついに二十一世紀がくるのだという感慨や、その二年前の問題の年、一九九九年に何が起こるのだろうかという不安。コンピュータの加速度のついた進化が、十年後にどういう世界を作り出しているのか、といった興味。そうしたものがごちゃ混ぜになって僕たちを軽い興奮に導くのだろう。中でも僕が興味を抱いているのは、大脳生理学の進化である。人間の脳というのはそれ自体が広大な宇宙のような謎のかたまりであって、大脳生理学が発達すればするほど「何もわからない」ことがわかるといった世界だ。空間にたとえるならば、脳という広大な宇宙に対して、我々はやっと月に着陸した、くらいの段階にいる。コンピュータの進化も究極的に目指すのは人間のシステムである。類推し、判断し、空想するというファジーな機能を持つコンピュータと現在のそれには、越えようのないほどの開きがある。
人間の脳の解明は、科学だけでなく、我々の文化そのものを根本的に変えてしまうだろう。たとえば「脳内麻薬物質」というものひとつを取って考えてみてもそうなのだ。脳内麻薬は現在でも二十種が確認されているが、将来的にはケタちがいの数のそれが発見されるだろう。最初にこれが発見されたのは一九七五年である。イギリスの麻薬研究グループが、奇妙なことに気づいた。モルヒネを検出する試験に、ブタの脳のエキスが反応を示すのである。精密な検査によって、ブタの脳のエキスからエンケファリンという麻薬物質が発見された。鎮痛、快感作用を生体にもたらす。同様に人間の脳の中からもβエンドルフィンという物質が見つけられた。モルヒネによく似た物質だが、モルヒネの六・五倍もの鎮痛・快感作用を持っている。そしてそれ以降、次々と新しい脳内麻薬が発見されていった。つまり、人間が感じる快感というのは、人間の脳が自らの中で作り出した麻薬物質によるものだった。よく例に出されるのは「ランナーズ・ハイ」の状態だ。ジョギングを続けていると、非常にうっとりとした状態になってくる。この状態は脳内麻薬がもたらすものなのだ。ディスコで踊っているうちに恍惚としてくるのも、阿波踊りリオのカーニバルで感じる快感も、すべてこのエンドルフィンが脳内のA10神経という神経を刺激することによって起こる。ヨガの行者や修験者が覚える宗教的恍惚も同じ理屈による。つらい単純な運動というものによって受ける肉体的苦痛を麻痺させるために、脳はこういう快感物質を分泌するわけである。そういうことがわかってくると、ここに奇妙なことが起こってくる。たとえば、ヘロインをうっている麻薬患者というものは悪の象徴のように言われてきた。これに対して、禁欲生活と苦行によって宗教的至高体験にまで到達した人は聖人としてうやまわれる。ところが大脳生理学から見れば、両者の脳内で起こっているのは同じ現象なのだ。麻薬物質が快感中枢を刺激することによって起こる恍惚感である。違いといえばそれが人体内部で生産された麻薬であるか、外部から摂取された麻薬であるか、ということだけである。すると従来のモラルから考えるとややこしいことになってくる。従来のモラルでいくと、ヘロインというものは「悪」である。しかし化学物質として見た場合、よく似た分子構造を持っているエンドルフィンは「善」で、モルヒネやヘロインは「悪」だと決めつけるのは論理的に考えるとナンセンスである。ならば、体外から「不自然」な麻薬物質を摂取する行為自体が「悪」だと定義するしかない。物質それ自体には善も悪もないのだから。しかし、快感をもたらす物質をとる行為が悪であるとすると、コーヒーもタバコもお酒もチョコレートもみんな悪であるとしなければならない。人間というのはそもそも快楽原則にのっとって生きている。働くのも遊ぶのも食べるのも眠るのも、結果的にそこから生じる快楽を目的として行動している。その快楽原則そのものを根本から否定して、禁欲を至上のものと定義したとしよう。その禁欲が生じる満足感というのは「快楽」であり、その快楽をもたらしているのは脳内麻薬なのである。これは永遠の堂々めぐりだ。どういう過程を経るかはわからないが、結果的には人間は快楽原則を認め、快感をもたらす物質を、それが生理的に発生するものであれ、化学的に合成されるものであれ、認めざるを得なくなってくるだろう。
この結果、何が起こるかというと、それは「人類の絶滅」である。なぜなら、誰も働かなくなり、誰もセックスしなくなりからである。働くという行為は基本的には労働から生まれるお金で生命を維持していくためのものだ。そこに出世欲や名誉欲や充足感などの「報酬的快感」がからんでいる。しかし、化学的に合成されたさまざまな脳内麻薬の「ブレンド」によって、そうした充足感を脳が味わえるとしたら、不安もなく、満ち足りた喜びだけが味わえるとしたら、誰が働くということをするだろうか。あるいはセックスのエクスタシーが純粋に強烈に、薬によって味わえるとしたら、誰がこのエイズばやりの時代に他人とセックスしたりするだろうか。そうなると国家も経済も一瞬にして破たんし、一代か二代で人口は極限にまで減ってしまうだろう。そんな時代が十年以内にこないとは言えない。現にそうした現象の例というのはあるのだ。アメリカのロバート・ヒースという学者が、脳の中隔部分を自分で刺激するという「自己快感装置」を作った。これをある精神病の患者に使わせてみたところ、彼は一時間に四百回もボタンを押して自己刺激を終日続けた。この患者は話題になって、「幸福なボタン押し人間」と呼ばれたという。やがてやってくる時代は、人間の種としての維持本能と個体としての快楽志向本能との凄絶なせめぎ合いの時代になる、そんな気がする。