(巻三十六)決めかねてまたひと回りだるま市(青木まさを)

 

(巻三十六)決めかねてまたひと回りだるま市(青木まさを)

 

2月4日土曜日

朝家事は洗濯。買い物を仰せつかり行ってきたが入浴用石鹸の大小を誤ったとのことでグチグチ言われた。

LinkedInの方にも駄文を載せているが、朝起きてアクセスが増えていると海外読者の反応もあったなと思う。

今日は週末なので記事はなく、写真俳句の駄句を貼り出したが、反応があった。

以前に、

「詩の翻訳について(抜書) - 萩原朔太郎」日本の名随筆別巻45翻訳 から

を紹介し俳句英訳の空しさについて

は認識しているが、訳ではなく何を言っているのかを付言している。

今朝は

地域猫プラトニックな猫の恋(亀)

This haiku is telling: Spayed and neutered cats, their love is spiritual.

と付けておいた。

因みに“地域猫”とは避妊施術済みの野良猫のことで愛護法の用語らしい。私の相手をしてくれる猫たちはこの地域猫である。

昼飯を喰って、一息入れて、散歩に出た。意外によい散歩日和となり、香取神社へ歩くことにした。途中、二丁目のさくら並木を歩いたが、老木に伐採予定の貼り紙がチラホラで淋しくもあり、うらやましくもある。ショッピング・モールは混んでいて飲食店の前には順番待ちの列が長い。

香取神社で絵馬を眺めた。季節がら受験絵馬が多かろうと予想していたが、ほとんどなし。試験関係では看護師の国家試験合格祈願があり、うかってねと思う。幼い文字で“英語がペラペラになりますように”というのがあったが、「先ず耳ですよ」と上書きしてみたい。

復縁を願ふ絵馬あり花あやめ(堀正幸)

3時過ぎに北口に着き、モツ吟で一杯。ホッピーで中を都合三回でちょっと飲み過ぎ。帰りはバスにした。

願い事-涅槃寂滅、酔生夢死です。西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」と言う曲の中の“♪このまま~あ、死んでしまいたい♪”と云うサビのところを呟いて唄ってしまう今日この頃だ。

再読は高津臣吾氏の作品の流れで、

「私のあいさつ(89・11) - 野村克也」文春文庫 巻頭随筆6 から

となった。野村監督はチクリチクリと嫌味を云う“上司”かと思っていたが、そうではないらしい。米寿かなにかでヤクルトが野村氏を招いてお祝いしていたが、少なくともヤクルトの人達には広岡氏より慕われているようだ。

神宮の夕立去りて打撃戦(ねじめ正一)

 

「私のあいさつ(89・11) - 野村克也」文春文庫 巻頭随筆6 から

 

去る九月十三日、野球殿堂入りを許された私のために、大勢の方が集まって下さった。その席上であいさつを求められ、思いがけずこれまでの野球人生を振り返ることになった。

 

 

振り返ると、三十六年前は南海のテストに受かるとも思えなかった私が、ここに立っていること自体が不思議でなりません。南海の練習のすごさや金田投手の速球を見ては人生をまちがったな、と思っていたのに、人生とはわからないものです。

現役の二十七年間にはいろんな節目がありましたが、第一関門は一年目のシーズンオフに会社から「君と来年契約する意思はない」と言われたときでした。二軍のレギュラーも取れずに終わることがたまらず、最後には同情してもらうしないな、と三つのときに支那事変で父を亡くし、母に苦労をかけたことを語りましたら、「もう一年、面倒みたる」。

そんなレベルの選手で、一軍に上がれるとは思わなかったのに三年目でチャンスをつかみ、四年目にレギュラーを取った。いける、と思ったものの、八年目にして八番バッター定着、三振王独走.....。限界に打ちのめされたのが第二関門で、二十五歳ぐらいでした。

体力と気力を使い果たし、残った頭でピッチャーが投げる前から球種がわかる方法を考えました。毎日スコアブックを持って帰り、データを出してみたり、ピッチャーを観察してクセを発見したりして、ついに八十パーセントはわかって打てるようになった。

技術は二流ですから、オールスターや日本シリーズで打てるわけがありません。データもなければクセも知らない。「大試合に弱い野村」とはそういうことです。ホームラン王の面子にかけて何とかしようと、「直球、カーブ、よしわかった」と打席に入ると、オールスター戦だから、ピッチャーが変わってしまう。

負けた、負けたと思ううちに監督という座についた。監督は大学出の人ばかりで、まさか自分に声がかかるとは思わなかった。七年つとめましたが、今日司会をしている江本、問題児江夏、異端児門田の三悪人によって、監督業がどんなものか勉強ができました。

弱い弱い南海を何とか優勝に導きたいと一生懸命やって、江夏が復帰したから来年は狙える、と思ったら、ここにおります女房のおかげで退任という目にあいました。

これでいよいよ引退だな、と思いましたが金田監督の「捕手をやらないか、お前が欲しい」という一言で、四十二歳で一年間、ロッテにお世話になりました。最後の関門は体力との戦いでした。忘れられないのは、仙台での阪急戦で、今井雄太郎投手に九回二死まで完全試合をやられました。ベンチで見ていて(ここはやはり経験豊かな俺が行こう。今日はシュートが切れているから、狙っていこう)と準備していましたら、「ピンチヒッター、榊」

もう辞めるべきだ、と思うところへ西武の堤オーナーから「君の専門知識を、うちの若い連中に伝授してくれ」と有難い言葉がかかりました。迷って女房に言うと「あんた、野球しか能がないんじゃないの。やったら」というので、ライオンズのお世話になりました。

ある試合で一点負けていて一死一・三塁で私に打順が回ってきました。(よし、外野フライぐらいは。最低の仕事はしなきゃ)と意気ごんで打席へ行こうとしたら「ピンチヒッター、鈴木」。ここで引退を決意しました。

このたび、ベテラン記者の投票で殿堂入りが決まったとの吉報が舞い込んできましたが、自分はプロ野球の中で貢献したなどととんでもない、と思っていました。記者に「非常に有難いが、打撃面が評価されたのか、キャッチャーとして評価されたのか。どっちなんですか」と聞くと、「どっちでもいいじゃないですか」と言う。

私が入団したころ、キャッチャーは壁といわれ、身体が頑丈で肩さえよければよかった。ホームランを打たれ、カーブのサインを出したらどうなったか、と何回も経験して、キャッチャーは大変な仕事だ、と面白くなりました。

データを集め、相手監督の作戦傾向を調べて前の晩から想像上の野球をして、実戦の野球をやって、先発したピッチャーが完投完封すると、ヒーローインタビューに出ているのはピッチャーなんです。江本あたりのへぼピッチャーを頭を悩ませてリードして、インタビューを受けるのは江本です。プロテクターを外し、レガースを外しながら「何を抜かしてるんや。サイン出した俺が偉いんや」とつぶやく。私がこんな暗い人間になったのは、そういう次第なんです。