「「快」という名の報酬 - 福岡伸一」 迷走生活の方法 から

 

「「快」という名の報酬 - 福岡伸一」 迷走生活の方法 から

あなたは若い頃に覚えたひそかな習慣を、ある日を境に意思の力で急にやめることができますか。これができる立派な人だけが、石を以て弱き者を断罪することが許されるだろう。後段は、イエスの言葉の翻案だが、ひそかな習慣とは、ご想像のとおりマスターベーションのことである。
マスターベーションと、薬物中毒、あるいはアル中、タバコ、ギャンブル中毒などを同列に論じることはできない、という方がおられると思いますが、違法であるかどうかとか、他人に迷惑をかけるかどうかそういうレベルで論じる前に、生物学的に見てみると、これらはいずれも脳が要求する「快」という名の報酬を、人間はどうしても拒むことができない、という点で同じことだといえるのだ。
脳の中には報酬系という神経回路がある。脳の奥深くに中脳があり、その一領域、裏側の中央、ちょうど脳組織が両側から逆V字型に食い込んだところ(解剖図を見るとまさにさもありなん、という感じのところ)に腹側被蓋野[ふくそくひがいや]と呼ばれる部位がある。ここに集まっている神経が貪欲に快を求めている。これが欲望と渇望を生み出し、それが満たされるとドーパミンという神経伝達物質が大量に放出され、このとき快が生み出される。多幸感や疾走感。いったんこの報酬系の回路を覚えると、人間は「快」をやめられなくなる。闘争に勝利する。獲物を仕留める。性的に満たされる。生存と生殖のための達成が、快と結びついたがゆえに、私たちは進化の過程を生き延びてきたといえる。
問題なのは、人間が自らの報酬系を、生存のための、行為による達成ではなく、もっと安易な方法で満たす抜け道に気づいてしまったことである。たとえばコカインがそうだ。コカインを服用すると脳の報酬系に達する。
神経細胞ドーパミンを放出すると、すぐにそれを回収しようとする。快は一過性なものであるがゆえに快であり、それがすぐに消えてしまうから、また人間は快を求める。ドーパミンの回収を行っているのが、細胞膜上にあるドーパミントランスポーターという分子。掃除機みたいな役割を果たして、放出されたドーパミンをすばやく吸い取ってしまう。コカインはこのドーパミントランスポーターにはまり込んでその働きを邪魔する。するとドーパミンの回収が滞って、ドーパミンのレベルが高い状態がしばし続く。すると快がたやすく得られる。
コカインは南米原産のコカの木の葉に含まれる化学物質。植物の一成分が人間の脳にこんな効果を引き起こすなどというのは自然のたまさかのいたずらだったのだが、好奇心が強いのも人間の特性。古代南米文明の誰かがこれに気づいてしまった。それが近代になって単離精製する技術ができ、人間の弱みにつけこむ犯罪組織の資金源となってしまった。俗にジャブと呼ばれる覚醒剤も基本的に同じメカニズム、すなわちドーパミントランスポーターの阻害剤として作用する。なのでどれも似たような化学構造をしている。
そして抜け道は安易であるがゆえに、依存症が生まれ、中毒症が生まれた。人工的に作り出された快は、薬物の量や半減期の長さによって、さらなる副作用をもたらす。妄想や様々な身体症状である。快は興奮、つまり交感神経優位の状態を作り出すので、血圧上昇が起こり、心臓や脳に負担がかかる。
しかし人間はいったん知った「快」の抜け道を簡単にはやめられなくなった。ゆえに薬物の問題を考えるときには、人間の成り立ちそのものの理解にも思いを馳せないとならない。「それとも人間やめますか」という有名な標語があったが、逆説的ながら、快への欲動をとめられなかったがゆえに、人間は人間たらしめられたのだ。