「ストレス耐性は腸内細菌次第? -  ロハス・メディカル2022夏号」

 

「ストレス耐性は腸内細菌次第? -  ロハス・メディカル2022夏号」

心の健康と胃腸の健康は相関関係にあり、腸内細菌叢も大きく影響しているようです。
緊張するとお腹が痛くなるなど、精神的ストレスによって胃腸の調子が悪くなることは古くから経験的に知られてきましたが、胃腸の調子が悪いこと自体も精神的ストレスの原因となり、悪循環すると分かってきています。
例えば、繰り返す下痢・便秘などの消化管症状と強い不安感が併存する過敏性腸症候群(IBS)の研究によって、患者では消化管壁の刺激に対して末梢神経細胞が興奮しやすくなっていると同時に、その情報を受け取る脳神経細胞も興奮しやすくなっており、結果として不安や抑うつなどの情動が生まれやすくなっていると判明しています。胃腸の不調が精神的ストレスに直結する実例です。
このように脳と腸が互いに影響を与え合うことを脳腸相関と呼びます。自律神経系、内分泌系、免疫系の三つの経路を介して、互いに情報を伝え合っていることが知られています。
さて、この脳腸相関に関して、脳を絶対的上位に置いて腸を従属的と捉えるのは誤りとの考え方が有力になってきました。
と言うのも、私たちの「個体発生」では、まず「腸」が出来て、その周りに神経系が形成され、脳(中枢神経系)が出来るのはその後です。腸にも神経細胞が脊髄と同程度の約1億個存在し、たとえ脳からの指令がなくとも自律的に消化吸収排泄の重要な機能を果たします。腸の神経細胞自ら、入ってきた食物が安全か否かを判断し、安全でないと判断した場合には脳に指令を送って嘔吐反射を起こさせたり、腸自身で下痢を起こしたりすること、知ってますよね。
そもそもクラゲやイソギンチャクのように脳がなくて腸だけあるという生き物は存在するのに、その逆はいません。
こうしたことから、腸こそが多細胞生物の本体で、脳はその出先機関として進化したと考えても矛盾しないのです。
そして腸の中には、まるで臓器のように働く腸内細菌叢が存在し、その起源は生物に脳が誕生したより古いかもしれません。
代謝産物など腸内細菌叢の在り方が脳へ影響を与えていない方が不自然で、脳・腸・腸内細菌相関という言葉も生まれました。
なお、神経伝達物質の産生に腸内細菌が関与していることだけは、比較的早くから知られていました。
代表格がセロトニンです。必須アミノ酸トリプトファンがビタミンB6の助けで5-ヒドロキシトリプトファン(5-HTP)へと変わり、その5-HTPから変換されます。このビタミンB6の主な供給源が腸内細菌です。
セロトニンは、脳内で神経細胞の興奮を抑制する役割を担っており、脳内で不足すると神経過敏になってストレスへの耐性が下がります。さらに睡眠へと導くホルモン「メラトニン」の材料ともなるため、不足すれば睡眠の質が下がります。睡眠不足は自律神経のバランスを崩す大きな原因であり、それも巡り巡って心の健やかさを損ないます。
多幸感をもたらすホルモンのドーパミンは、必須アミノ酸チロシンが腸内細菌の働きでL-ドーパとなり、それが脳内で変換されて出来ます。自律神経系の闘争・逃走反応で重要な役割を果たすノルアドレナリンやアドレナリンは、さらにドーパミンから変換されます。

 

脳腸の刺激グルグルストレスに弱くなる
さて、ストレスを感じると、脳は原因として存在するであろう危険に(実際に存在するか否かに関わらず)対応しようと反応します。
自律神経系では、闘争や逃走に備えて交感神経の働きが強まります。これによって心拍数が増え、血圧が上がり、血糖値が上がり、消化管の★動運動は抑制されます。こちらの働きが優勢なら便秘になります。
一方、内分泌系では視床下部から副腎皮質刺激ホルモン放出因子(CRF)が分泌され、それが下垂体での副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)分泌を促し、それによって副腎皮質から糖質コルチコイド(コルチゾールやコルチゾンなどのステロイドホルモン)が分泌されて、全身の臓器にストレスへの適応を促します。この経路はHPA(視床下部-下垂体-副腎)軸と呼ばれ、最初のCRFが下部消化管(結腸)の運動亢進も起こすため、こちらの働きが優勢なら下痢となります。
「ストレスの原因」が一過性で取り除かれるなら、こうした反応には何の問題もありません。しかし、取り除かれなかったら、どうなるでしょう。ストレスが胃腸の不調を招き、その不調が脳で再びストレスとして認識されるといった悪循環の場合です。
HPA軸反応で最終的に分泌されるコルチゾールは、神経細胞への毒性があります。脳内に増え過ぎると、神経細胞の保護や傷ついた神経細胞の再生に働くBDNF(脳由来性神経栄養因子)が抑制されるようになり、その結果、神経細胞が傷つきやすく修復されづらくなります。
このため健常な体には、コルチゾールが過剰に分泌されて神経を傷つけないよう、一定のところで流れを止める仕組み(ネガティブフィードバック)が備わっています。つまり、本来ここで悪循環が止まるはずです。
ところが過剰ストレスにさらされた人では、コルチゾール受容体の遺伝子にメチル化(発現抑制)が起こっている場合もあり、そうなると受容体発現が少ないためストレスへうまく適応できないだけでなく、コルチゾール過剰を検知できずネガティブフィードバックも作動しないと分かってきました。
こうしてHPA軸のネガティブフィードバックが働かない結果、もしくはBDNFが不足する結果、海馬を中心とする神経細胞が傷ついてしまうことによって、より一層ストレスに弱くなり、この悪循環の結果うつ病を発症するのではないかとの説があります。
そして、ストレスは腸内細菌叢に対しても影響を与えます。
北海道大学のチームが、うつ病モデル(ストレス耐性が下がっている状態)のマウスを用いて明らかにしたのは、心理的ストレスを与えられると、腸内に侵入した病原体を排除する役割の小腸パネト細胞と、そこから分泌される抗菌ペプチド(αディフェンシン)が減り、腸内細菌叢の健全さが損なわれて代謝物の組成も変化することでした。
もっと直接的に、ストレスホルモンを病原性大腸菌が感知して、増殖と病源反応のギアを上げるとの報告もあります。

 

食物繊維の摂取で腸内細菌を味方に
HPA軸のネガティブフィードバックが働かなくなるなど、体に備わっているはずの安全装置が壊れてストレスに弱くなってしまったら、最早打つ手はないのでしょうか。
いいえ、脳と腸の間の悪循環は止めようがなくとも、腸内細菌を通じてなら方法はあるかもしれません。ヒントになりそうなのが、マウスで行われた数々の研究です。
九州大学のチームは、腸内無菌のマウスを使いました。無菌マウスは通常のマウスと比べて、各種刺激(ストレス)に対するHPA軸の反応が過剰で、アレルギーを抑制する力も弱い、という一般的特徴を持っています。また、BDNFの濃度を測ると、海馬や前頭葉で有意に低値です。
しかし若齢のうちに通常マウスの腸内細菌叢を移植すると反応が正常化します。とあるビフィズス菌株のみ持っている場合も、通常のマウスとHPA軸の反応が同じになります。一方、病原性大腸菌を移植すると、HPA軸の反応がより過敏になります。腸内細菌の代謝物が、HPA軸の反応やBDNFの量に影響すると考えられます。
実際、マウスにビフィズス菌を経口投与すると、視床下部神経細胞活動が活発になりました。セロトニンの受容体をノックアウトすると、この反応が消えました。別のグループが乳酸菌を経口投与するとストレスによる不安や抑うつに関連する行動が減った一方、迷走神経を切除したマウスでは効果が認められませんでした。これらの研究から、腸内細菌によって増えたセロトニンが、迷走神経や脳に向かう求心神経末端の受容体に作用して、脳神経細胞の興奮を抑える流れがありそうです。
マウスに「善玉菌」の代表的代謝物である短鎖脂肪酸酪酸を投与するとBDNFが増加して海馬も大きくなること、食物繊維が豊富なエサを摂取させると酪酸が増えて脳内の免疫担当細胞であるミクログリアによる炎症は軽減されたことも欧米のチームから報告されています。
また、先ほどの北大のチームが、うつ病モデルマウスにαディフェンシンを経口投与すると、うつ病のヒトで低下することが分かっているグルタミン酸、ウラシルといった代謝物の量がV字回復しました。また、ヒトの便中のαディフェンシン量の測定を行ったところ、加齢と共に減少し、その減少と相関して短鎖脂肪酸を産生する「善玉菌」も減っていました。
αディフェンシンに関する研究の進展が期待されます。現状で大切なのは、十分な量の酪酸セロトニンを作ってくれる腸内細菌叢を育むことでしょうか。と言っても、相手は1000兆個もの細胞が相互作用する複雑巨大な社会で、簡単にはコントロールできません。とりあえず心がけて間違いないと思われるのは、抗菌的物質をできるだけ口にしないことと同時に、毎日快便になるまで食物繊維の摂取量を増やすことです。