「水増し請求と詐欺罪の成立範囲 - 早稲田大学教授杉本一敏」法学教室2023年3月号

 

「水増し請求と詐欺罪の成立範囲 - 早稲田大学教授杉本一敏」法学教室2023年3月号

広島高裁令和4年9月6日判決

■論点
水増し請求詐欺において、詐欺罪が成立するのは取得した全額か、それとも水増し分だけか。

〔参照条文〕刑246条

【事件の概要】
樹木伐採・保全作業等を業とするA社の取締役兼山口営業所長であった被告人Xは、作業に従事した作業員数を水増し報告してA社から業務委託料名目で金銭をだまし取ろうと考え、A社から業務委託を受けていたB社の取締役Yと共謀の上、売上管理日誌に作業員の稼働実績を入力する際に、作業に従事した作業員数を水増しし、水増し後の業務委託料(3億円余り。うち水増し部分は7811万円余り)を振込入金させたとして、詐欺罪で起訴された。原審は、水増し後の業務委託料全額について詐欺罪の成立を認めたので、弁護人が、詐欺罪が成立するのは正規の業務委託料を除外した水増し部分に限られる、と主張して控訴した。広島高裁は、原審の量刑(懲役5年)がやや重すぎるとして原判決を破棄し、懲役4年8月を言い渡したが、水増し後の業務委託料全額につき詐欺罪が成立するとの原審の結論には誤りがないとした。

【判旨】
〈破棄自判〉「水増し後の1か月ごとの業務委託料は、一見、……正当に請求できる業務委託料に相当する金額と、水増し部分に相当する金額とに区別され得るようになっている。しかしながら、……業務委託料は『調整』により増減することも予定されており、作業員ごとに業務委託料を算出するものではなかった……。そして、……A社が交付する業務委託料は、……B社に対して支払われるべき1か月ごとの業務委託料として算出されるものであるところ、……Cは、水増し部分を含む金額が1か月分の正当な業務委託料であると誤信し、この誤信に基づいて、B社に対し、1か月分の業務委託料として当該金員を交付している。すなわち、欺く行為によりCの交付意思全体に瑕疵が生じており、これに基づいて交付された財物すなわち1か月分の業務委託料としての当該金員のXらによる取得全体が違法性を帯びるものであり、欺く行為による誤信に基づいた交付という因果関係も優に認められるのであるから、……〔詐欺罪〕の客体となる財物は1か月分の業務委託料としての当該金員全額にほかならない。」

 

【解説】
▲1 本件は、いわゆる「水増し請求」の事案において、詐欺罪が成立するのは取得された全額か、それとも水増し分についてのみか、という点が争われた事件である。水増し請求のケースでは、請求された額の一部分について、正当な請求原因(請求権)が存在する。そのため①請求原因が存在する部分については、その支払いに向けた欺罔行為というものが観念できない(構成要件不該当)、又は、②水増しを含んだ請求合計額には虚偽があり、その額を一括請求する行為は欺罔行為に当たるものの、その請求原因が存在する部分は権利行使として違法性が阻却される、という論理によって、詐欺罪の成立範囲が「水増し分」に限られるかが問題となる。
▲2 大連判大正2・12・23刑録19輯1502頁(判例1)は、300円の預金債権を持つ行為者が銀行を欺き3000円の払戻しを受けた事件で、権利実行の場合には、目的物が可分である限り債権額を超過した部分についてのみ詐欺罪・恐喝罪が成立する、との原則を示した。これは上記②の理論である。しかしその後、最判昭和30・10・14刑集9巻11号2173頁(判例2)は、恐喝罪に関して、行為者に債権があっても行使の「方法が社会通念上一般に忍容すべきものと認められる程度」を超えた場合には違法になるとし、行為者に3万円の債権があってもそれを差し引かず、喝取した全額(6万円)につき恐喝罪が成立するとした。判例2は、一般に、恐喝罪に関して判例1を変更したものと解されている(最高裁自身もそう述べる。最判昭和40・3・26集刑155号289頁など)。この論理を詐欺罪に適用すれば、書類の偽造・虚偽記入等による水増し請求が「社会通念上一般に忍容」できる手段とは考えられないことから、水増し請求詐欺のケースでも、取得金全額につき詐欺罪が成立しうる。
▲3 しかし判例2の後も、水増し分についてだけ詐欺罪を認める下級審判例が現れている。東京高判平成28・2・19(判例3)は、障害者の就労継続支援事業者であった被告人が、給付金の請求に際し、障害者5名分を水増しして請求し、市から給付金を不正受給した事件で、障害者自立支援法(改正前)に基づく給付金は、その請求も支給決定も「障害者ごと」に行われるから、被告人の欺罔(虚偽請求)との間に「因果関係」が認められる結果は水増し分(5名分)の受給だけであるとした。これは上記①の論理である。判例1、判例3の水増し請求詐欺のケースでは、仮に相手が水増し(虚偽請求)を知っても、請求原因が存在する部分については、相手に支払いを行うと考えられる(この点で、恐喝手段を用いなければ、およそ相手が請求原因の存在する3万円すら支払わなかったと考えられる判例2とは事案が異なる)。そのため、水増し請求が「社会通念上一般に忍容」できない手段であるとしても、その手段との間に因果関係があるのは「水増し部分」だけだということになる。
▲4 これに対して、本判決は、本件は判例3とは事案がことなるとして、取得額全額につき詐欺罪を認めた。本件の業務委託料は「作業員×作業日数」をベースに算出されているものの、金額の算定には更に各種「調整」が加わり、かつ、その請求もB社からA社に対する「1か月ごとの対価」請求という形で行われている。ここでは、作業員ごとに請求額の算定・請求がなされておらず、正当に請求できる業務委託料の部分は、水増しして請求された合計額の中に渾然一体となって(いわば)混和している。そのため、水増し請求という欺罔行為の因果関係は、交付された業務委託料全額に及んでいることになる。