「纏-その純粋、強烈な“かたち” -  柳宗理」柳宗理 エッセイ から

「纏-その純粋、強烈な“かたち” -  柳宗理柳宗理 エッセイ から

社会、道徳、思想、混沌としたこの世のかたちは未だ定まるところを知らず、我々はただ未来の清き世界を夢みて、そのかたちを探り求めているのが現状であろう。しかる時、かの強烈なかたちをした纏[まとい]を目の前に見て、我が民族の血潮もかつてはかくの如きものであったかと、只々驚異と感嘆の余り、今日の我身が如何になさけなきものであるかを慨嘆せざるを得なくなって来るのである。何故このような素晴らしいかたちが生まれたか。その歴史的、社会的、技術的諸条件を探って、物をかたちづくる本質を究めるのもまことに興味あることに違いない。
そもそも纏がこの世に現われたのは、今から約二四〇年前、享保四年(一七一九年)大岡越前守がこの町火消纏を定めたと言われている。最初の纏は武具の馬印から影響を受けた幟であって、上部の纏の下に大きな縦長の幟布が付いていた。しかしその後四回ほど形式上の変化があり、天保の時代に今見られるようなものに改正されたと言われている。従って纏こそは徳川の鎖国時代、即ち外界から全く遮断された日本特異の江戸文化の開示されたものであって、外国には全く見られない独特なかたちをしているのある。
纏は火消しの組の標識であり、纏の下に火消達は命を的にして集るのである。纏持ちは大体世襲であって、火消しの中で最も名誉ある仕事とされていた。纏持ちは火事の最も燃えさかっている家の一番近い屋根に上り、棟瓦の上にでんとこの纏を立て、ここで火を喰い止めるという標識を明示するのである。各組は我先にとこの名誉ある纏を立てんとし、先陣争いをした。そして自分の纏を燃やすなということをその合言葉とし、義理と人情と痩せ我慢が彼等のモットーであった。従って日本の紋章の類でもこれほど張りのある、いなせなかたちを形成するものは他にないのである。また遠くから、あっあの纏は何組だと人目にはっきりとわからせるために各自明快な特異性を持つことを必要とした。従ってこれほど単純な強烈な立体的効果を狙った彫刻は、どこの国にもそうざらにはないであろう。
纏の上部にある「出し」は色々面白い意味を持っていて、例えば一七二頁上の写真のように、出しは芥子[けし]の実で、下部の纏は桝で、消しますという意味を表わしているのだそうである。その他、纏には糸巻、木槌、独楽、釘抜等その時代の道具をかたどったものが多い。纏は、これを持って振り廻すようなことがあるので、軽く燃えにくくするため大体桐の木を使ってある。それも二分三厘の厚さの小板を続飯[そくい]で貼り合わせて面板を造り、それによって形作るため中空である。このようにむくの木ではなく板によってかたちを構成するため、ダブルカーブは殆どない。即ち、カーブがあってもその側面は平面であるわけである。球もあることはあるが、それは竹籠で球を造り、その表面を桐の鋸屑を続飯で固めたものである。このような技術によって形造るため、纏は非常に直截的なスパッとした張りを見せているのである。これは板や角材によって構成する日本の建築等にも言えることであるが、江戸文化、否、日本文化が産んだ形態の特色とも言えよう。

さて、桐板で形造ると和紙で総張りをし、白い胡粉を膠で溶いて四度塗りをする。その上を昔は布海苔で雲母引[きらびき]をするか、密陀油[みつだのあぶら]を胡粉で溶いて刷毛で塗ったが、今日ではクリア・ラッカーを塗っているようである。また文字等黒色の箇所は漆塗りである。纏の下に垂れている四八本の帯紐状の長い垂れは馬簾[ばれん]といい、幅八分五厘長さ二尺九寸の木綿布を二重にして中に紙芯を入れたものである。この馬簾は白い胡粉塗りがしてあり、横に幾条かの黒色のすじが入っているが、このすじの数は一区から一〇区迄の組の番号を示している。柄は径三寸の樫の木で、屋根のてっぺんにぐんと踏んまえるために柄の一番下には鉄製の蛙又が付いている。
今日ではこのような纏は、火災の時には足手まといになるので実際には使われていないが、保存会というのがあり、年に一回、正月の六日に消防庁出初式の後で纏行列や梯子乗りの時にそれを見ることが出来るだけである。
以上のように纏は江戸文化の迸り出た至上のかたちで、我々現代人が求めても求め得ざる純粋の姿であった。従って我々は其所にモダニズムに於ける憧れのかたちを見出すのである。しかし原子時代の今日は社会的にも技術的にも凡ての点に於て江戸時代と余りにも違う筈である。纏のかたちが面白いからといって、その表面だけを取り入れることは、いわゆるジャポニカになってしまうであろう。我々は我々日本の現状を真摯に追求すれば、必然的に日本の姿となり得よう。しかしこの今日の日本の姿も何時かは新しい一つの世界の中に溶け込んでしまう時が来るであろう。だが日本民族のこの纏の血の一滴が、この世の末々迄も何所かに潜み残って、再び全く新しい形でこの世に出ることを信じて疑わない。
(昭和三三年記)