(巻三十九)夏痩やほのぼの酔へる指の先(久保田万太郎)

1月6日土曜日

(巻三十九)夏痩やほのぼの酔へる指の先(久保田万太郎)

晴れ。朝家事は洗濯。

何かの拍子に図書館ネットの画面を25%に縮小してしまい、戻し方が分からずサポートサービスに助けて頂いた。

昼飯喰って、一息入れて、しばらくBBCなど聞いてから、3時半過ぎに床屋さんに出かけて一人待ちでやって頂いた。床屋からクロちゃんに回り遊んでもらって、それから「八起」に入って一杯いたす。まぜまぜで千円でお願いした刺身旨し。

願い事-ポックリ御陀仏。元気に早いとこ御陀仏。

昨日はブログ「随筆筆写」に34人の方が訪れ、38のアクセスがあった。アクセスのトップは

「東京-大阪、深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと - スズキナオ」

https://zuihitsuhissha.exblog.jp/32451963/

で一昨日に変わらず。

2位は、

「単純系vs複雑系 - 池内了」高校生のための科学評論エッセンス ちくま科学評論選

https://zuihitsuhissha.exblog.jp/33401881/

で、科学的なものの考え方を示している随筆を紐付け致した。

「無限の可能性 - 橋本幸士」ベスト・エッセイ2019  から

https://zuihitsuhissha.exblog.jp/32323808/

余録:

《それから一週間して大地震があり、私どもの地方ではどの家も倒れ、うちでは母と私が負傷したが、老代議士はその老妻とともに圧死した。祖父が若し地震のときまで生きていたら、祖父は勿論、祖父に引きずられて母か私かが圧死していただろう。

以後十五年間と云うものは、人間の死の床に侍したことがない。無い方が我人ともに幸いである。

人間の死などて云うものは、私の見聞きして来たところでは、一寸したことで左右されるものらしい。例を判りやすく震災などにとっても、あのとき母にしろ私にしろ、家の東側の方へ逃げだしていたらつぶされていたことになる。下曽我辺の家々は、地震の波の工合[ぐあい]で、みな東側へ倒れた。だから東へ逃げたら、屋根やのきに追いかけられて助からなかったわけだ。また、妹は、休み中の女学校へ、先生の了解を得て一人ミシンを習いに行っていたのだが、地震と思うと直ぐミシン台の下へかくれた。少し鎮まったので、荷物をまとめ、階段を降りようと這ってゆくと、直ぐ鼻の先に校庭が来ている。つまりどかんと来た拍子に二階がそのまま階下になってしまったわけだ。そのとき若し急いで階段でめ降りにかかっていたら、手もなくやられていたのである。》

「いろいろの死 - 尾崎一雄岩波文庫 日本近代随筆選1 から

https://zuihitsuhissha.exblog.jp/32301829/