1/2「浪華俗世の知恵 - 藤本義一」文春文庫 04年版ベスト・エッセイ集 から

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1/2「浪華俗世の知恵 - 藤本義一」文春文庫 04年版ベスト・エッセイ集 から

祖父は職人であり、父は大阪商人であった。四代前までは、父方も母方もこの職人と商人の血が半々に流れているのがわかる。
私は商人になるために育てられたが、昭和二十年三月の大阪大空襲で父の営んでいた店は壊滅状態となり、資本なしの腕一本の職人にであった祖父の道を歩んで今日に至ったようだ。
表具師であった祖父はあらゆる遊びと酒をこよなく愛したと幼い時に祖母から聞いている。小唄などが好きだったという。父は文楽好きで、謡曲が好きだった。こういう趣味の違いに職人と商人の差が感じられる。
祖父の記憶は二、三歳ぐらいの時に途絶えるが、なんとも恐しい存在であった。
朝起きて、大きな音をたてて洗顔し、鏡に映った己に向って三度大声で叫ぶのだ。
「オイ!アクマ!」
おい!悪魔!である。祖母の解説で知ったのだが、オは“怒るな”、イは“威張るな”、アは“焦るな”、クは“くさるな”、マは“負けるな”であった。この五項目を毎朝自分にいい聞かせて仕事に入ったのである。この自戒の言葉も大阪職人の知恵だと思う。一度この発祥について調べてみたが、明治の中期ぐらいに大阪のあらゆる商人、職人の仲間うちで発生したらしい。
大阪商人の父は、こっちが小学校に入る直前から一年に二回、元日の朝とか盆の日に正座対面のかたちでいったものだ。
サンズノカワワタルナ。
と。
三途の川といえば死んで渡る川の名称だと知っていたから、人間死んではいけないということかと解釈したら、そうではなかった。
「商人[あきんど]の世界には、三つのやってはいけないベカラズという“ズ”がある。これを三ズという。ゆう憶えて、いつも三唱しろ。金貸サズ。役就カズ。判セズ。わかったか」
どんな親しい人にも金を貸してはいけない。町内とか組合の役に就くと自分の時間がなくなる。判(保証人の判)をしてはいけないのだという。
「実印を捺す時は朱肉を付けてから、印盤の方を自分の方に向け、大丈夫か、大丈夫か、大丈夫かと三回唱えろ。そして、捺す時は、捺印する紙の下にこの一枚を敷いて捺し、朱肉が乾くまで雑談して待て」
といって、厚さ七、八ミリのフエルトの板(五センチ四方)を見せたものだ。朱肉が乾いていない場合は、硫酸紙などで朱肉を別の紙に移し、盗印、欺[だま]し印が可能だから気を付けろといい、フエルト板は敷くことによって、どの紙質でも本人が捺印した証拠になるからだといったものだ。これは現代でも十分に活用できる自衛の策といえるだろう。
この他に、中学生頃までに父から執拗にいわれたのは、
「二つの掛算だけは絶対にするな。人生の一番大切な“信用”を失うことになる」
という言葉である。
二つの“掛算”とは“心配をかけること”と“迷惑をかけること”という意味だ。
祖父が叫んでいた時は五十代後半だったが、父が静かな口調でいったのは三十代後半だったことになる。
特に金銭感覚が江戸と浪華で大きく違うというのを知った。
-金は天下の回りもの。
という諺を、江戸町民は安易に解釈しているのだという。
「金が自分の懐から出て行ったなら、天下という世の中をぐるッと回ってまた自分の懐に戻ってくるという阿呆な考えをするのが江戸の人間や。- 金は天下の回りもの - という大阪の解釈は、金というものは常に世の中を凄じい勢いで回っているものやから、絶対に目を離すなということや。人間にはチャンスというものが三回あるから、ここぞと思った時に手を伸ばして掴まんことには金は逃げてしまうというわけや。そして、人間、一生の間に三度のチャンスがあると考えよ」
というもので、江戸では金のことをオアシというが、これは“お悪[あし]”という軽蔑視した呼び方で、浪華でのオアシは“お足”という走りまわる貨幣を意味しているのだといったものだ。