(巻三十四) 先ずといふ言葉の似合ふビールかな(小川龍男)

(巻三十四) 先ずといふ言葉の似合ふビールかな(小川龍男)

9月1日木曜日

9月は雨で始まった。雷鳴も聞こえる。

雨の収まった10時半ころ納豆、牛乳、ヨーグルト、麦茶パック、ニベアクリームを買いに生協に行った。途中で桜の剪定を見上げ、葛飾野高校の生徒の早い下校と行き交い、蜻蛉に気付いた。

二度三度とまり試して蜻蛉かな(小泉豊流)

昼寝して散歩。3時過ぎにも雷鳴が聞こえた。都住2、都住3、図書館と手早く回って帰宅。猫は、花子、クロ、サンちゃん、フジちゃん。花子を膝に抱いかせてもらい10分ほど癒やしてもらう。

今日は酒を飲まず。

なかなか本に当たらないが、細川亮一氏の「死の比喩」という文章を読んでみよう。法学教室8月号も借りてきたが判例セレクトの「行政法-土地建物の財産の評価通達による画一的な評価が実質的な租税負担の公平に反するというべき事情」というのを読んでみよう。

夜に入っても雷鳴が聞こえる。一日中雷鳴だ。

遠雷のいとかすかなるたしかさよ(細見綾子)

願い事-ポックリで叶えてください。

死ぬ苦しみも嫌ですが、病院とか施設で面倒看られながら人間と密に接するのも辛いことだろうなあ。

その文章は、

《我々はその特異性故に「死ぬ」という語を避け、「死ぬ」の比喩を用いる。「死ぬ」は「死去」として、「世を去る」として表象される。「去る」は他界することであり、「この世を去る」はこの世に別れを告げることである。「去る」「別れる」はまた「旅立つこと」であり、「死出の旅」である。あるいは、死は「永眠」として、「眠る」として語られる。》

と、始まっている。私は去るの中でも「消える」が好きだな。消え去りたい。