「ヒトはなぜサルから進化したのか - 河合雅雄」日本の名随筆別巻90人間 から

 

「ヒトはなぜサルから進化したのか - 河合雅雄」日本の名随筆別巻90人間 から

 

「人間とは何か」というテーマで、立花隆さんと養老孟司さんの三人で鼎談をしたことがある。こういう漠然とした大きなテーマだと、どんな話になっていくか見当がつかない。同じ大きなテーマでも、「生物とは何か」というテーマの方が、まだ話しやすい。生物と非生物という対立項がはっきりしているのと、「生物とは自己複製をし・・・」という一応の生物学上の定義があるからである。人間も生物の一種であることにはちがいないが、「人間」についての明確な定義はない。人類学はこの問題を追求する学問であるが、人類学者のなかでも人によって考え方がずいぶんまちまちである。事前の打ち合わせのようなものは何もなく、いきなり顔を合わせたわけだから、どんな話がとびだしてくるかわからないが、人間についての深い洞察力をもっているお二人のこと、含蓄のある見解が聞けると楽しみだった。
「人間って、一言でいえばなんですか?」。進行役も兼ねた立花さんが、初端[しよつぱな]からこう問いかけてきた。いきなりのどを狙って、切っ先鋭く槍がくりだされたようなものだ。一言でいい切れないからこそ、この座談会がもたれているわけだが、おのおのが考えている精髄をまず出しなさいということだ。
「人間とは、サルとロボットの間だ」と立花さん。なるほどと思う。田中角栄の研究、農協、かと思うと『サル学の現在』をまとめ、脳死、脳、コンピューター、宇宙旅行・・・と、彼の多彩な活躍ぶりは一見ばらばらに見えるが、その折々のトピックをジャーナリスティックな感覚と手法で解析しながら、肥大した文明を背景に壮大な人間学の構築を目指していることが、このキータームの中に凝縮されている。
「河合さんは?」と問いかけられて、思考の回路の中をいろんな答えが一瞬のうちに駆けめぐる。霊長類学とは、人間とは何かという問題を進化の舞台の中で究明しようとする学問だ、と日頃、大きな口をたたいている手前、気のきいた答えが期待されているにきまっている。私の口から出た言葉は、「一言でいうなら、反自然的な存在だ」というものだった。
養老さんの答えは、唯脳論的立場からだと予想していたら、違っていた。「お互いに人間だと認めるのが人間」という、まことに生物学的な着実な答えである。世界には三〇〇〇万とも五〇〇〇万種ともいわれる生物がすんでいる。このなかで、生物はお互いをどう認知しているのかという、同種認知のメカニズムからの発想である。「人間とは何か」という問いを、「ヒトはどういう動物をヒトだと思っているのか」という問いに置き換え、それは「形」によってなされているというのである。養老さんは骨の髄まで形態学者なんだなあと、一瞬虚をつかれた思いをしながら感心した。この考え方の背景には、「種」の概念が根底をなしている。生物社会を構成している基本的社会単位を「種社会」に置いている私にとっては、養老さんの考え方はたいへん共感するところがあった。
さて、人間とは反自然的な存在(動物)だという考え方であるが、これは『森林がサルを生んだ』の中で導き出された中心概念である。この本は私の文明論を支える思想的な背骨を形づくったものだが、この考え方は生態学的な思考の場で発想されたものである。私は生物社会学から出発し、ついで生態学への傾斜を深めていったのであるが、その軌跡を簡単に素描しつみたい。

人間とは何かという課題を考えるためには、サルとは何かという問いかけから出発すること、これが霊長類学の立場である。この問題設定の中で、私がもっとも基本的なテーマとして関心をもったのは、ヒトはなぜサル類から進化したのか、ということであった。
ヒトは分類学的には霊長目(類)の一種である。だから、食肉目や偶蹄目といった別の系統の動物からヒトが誕生するはずがなくて、サルから進化したのは当然のことだという言い方もあろう。しかし、私の疑問はそうではない。数ある哺乳類の中で、どうして霊長目の中からのみ、高等な知能をもったヒトという種が生み出されたのか、という疑問である。
私の研究者としての出発は生物社会学であったから、霊長類学も当然その枠組の中で発展させてきた。他の哺乳類とは異なる霊長類だけに見られる独特の社会学的特性が、ヒトという特異な動物を生み出す諸性質を醸成していったのだろうと考えてきた。いったいそれは何なのか。サル類の個々の種社会における社会関係や社会構造の解明を通じて、到達したヒト化への決め手は、家族の形成にあるという仮説である。この仮説を証明するために、私は現在も努力を続けている。
しかし、ヒト化はなぜサルから発生したかという根本問題の解明は、社会学的な方法だけでは不十分ではないかという思いが、しだいに心の中で渦巻きはじめていた。それはどうしても生態学の立場からのアプローチが必要ではないか、ということである。
動物とは、他の生物を食べることによって生命を維持している生物である。生存のためには食物が不可欠である。そして、あらゆる生物にとってもそうなのだが、生活の場が必要である。つまり、動物の生活を調べ、かつそれを支えている環境と適応という大きな場の設定の中で、動物の行動なり社会を考えていかねばならないという、きわめてあたりまえのことに気がついたのだった。アナウサギの研究は、狭い人為空間の中で行ったので、環境と適応の問題にかかわっていくためには不向きな条件設定であった。それだけに純度の高い社会学的研究が可能だったともいえる。しかし、野外でニホンザルの自然群を相手にするようになると、生態学的研究を並行して行わなければならない必要性を痛切に感じはじめたのだった。
それぞれのスタンスや内容は違っていたが、霊長類研究グループの初期の若い研究者たちは、しばしば社会生態学という言葉を使った。私ももっぱら自分の研究分野をあらわすのにこの言葉を用いていたが、ある日、今西錦司先生からたしなめられたことがある。「君らは社会生態学ちゅうてるけど、社会学ではどうしていかのや」。詰問するというふうではなかったが、鋭い射抜くような目が一瞬向けられたのを記憶している。私は突然のことだったし、社会生態学についての明確な定義をもっていたわけでもなく、漠然とした輪郭をもった渦状星雲のような概念だったので、「はあ」といっただけで返事の言葉を失った。今西さんは生態学から出発し、それを培地にして生物社会学を創出されたのだが、私たちがその逆コースをとろうとしているのではないかという懸念があったのだろう。今西さんは後年はっきりと生態学や適応と決別し、生物社会学純化する方向に向かうが、私は逆に生態学-というよりも生態学的思考の世界に魅せられていったのである。そして、生態学を武器にして、ヒト化の問題にアプローチしようという考えがしだいに熟していった。

霊長類は森林の樹上生活者という、哺乳類の中では特異な生態的地位をもっている。サルとは何かという問題は、まずこの事実を土台にして解きほぐさねばならない。サル類は森の樹上という三次元空間の中での生活に対する適応を通じて、サル類独自の特性をつくりあげていった。そして、その特性こそが、ヒトを生み出す培地になったにちがいない。それでは、サル類を育てた熱帯雨林とはどういうものなのか。そこで、サルたちはどういう生活をしているのか、まずそのことを知らねばならない。
一九七〇年、私は初めてウガンダ熱帯雨林に足を踏み入れた。このいきさつは別の巻で書くことにするが、この調査で森とサルとの関係について、多くのことを学び、その後の研究に大きな指針を得ることができた。そこで得たことを基に、『季刊人類学』に「森林とサル-霊長類の進化における生態学的アプローチに関するエッセイ-」と題する長い論文を書いた。藤岡嘉愛[よしなる]さんが好意的なコメントを書いてくれたが、私の意気込みにもかかわらず、霊長類研究者からはあまり評価されなかったようである。エッセイという形式をとったこともその理由の一つのようだが、アイデアを自由に展開するためには、四角張った論文形式よりも、エッセイの方がずっとのびやかな議論ができると思ったからである。『森林がサルを生んだ』の初めの生態学的な発想に基づく章と「楽園からの脱出」は、このエッセイが基になっている。
進化の原動力は、環境への適応である。動物の環境は自然環境であって、動物はそれに適応することによって進化してきた。しかし、ヒト化および人間とは何かという問題を考える場合には、自然環境とともに文化環境の存在と、それへの適応を取り上げねばならない。文化環境は動物によって創出されたものであるから、どのような文化を創るかによって、適応と進化の様相も異なってくる。文化とは何か、また、霊長類の進化史のなかで、それはどのようにして発生し、どのように機能してきたのかを、当然問題にしなければならないだろう。
当今、「文化」と「緑」が快適な人間環境を創り出すための合言葉として多用されている。村や町には文化会館があり、文化イベントが催され、文化の振興イコール人間の幸福という図式ができている。そのことが誤りだとか、いけないというつもりは毛頭ないが、文化とは根本的に反自然的なものであり、悪の世界の扉を開いた鍵であることに思いをいたす必要があるだろう。とりわけ、文化の一形態である文明世界では、それが生み出す暗い影に目をこらすことが大切である。『森林がサルを生んだ』の副題に、「原罪の自然誌」という大げさなタイトルを選んだのは、人間という動物はその存在そのものが反自然的なのだ、という認識を新たに自覚してほしいからである。その認識のうえにたってこそ、初めて地球環境問題の解決、ひいては人類の生存への道の入口が見えてくるだろう。