(巻三十四) この秋は何んで年よる雲に鳥(芭蕉)

巻三十四) この秋は何んで年よる雲に鳥(芭蕉)

 

9月6日火曜日

月に一度の血圧検診にリハビリ病院に行く。10時が予約時刻だが待っていると看護師さんきて、「前の方に時間がかかり、11時くらいになります。お待ちになりますか?」と聞かれた。由美ちゃんは時間にシマリがないのよね。

暇潰しに美帆ちゃんから貰った、ロハス・メディカル2022年夏号の中から

「つらい痛み減らしたい」をコチコチしてみた。

この啓蒙誌の良いところは難しいことを易しく説明するところなのだが、どうも出だしがよくない。学会の定義で始められてはあとが続かない読者もいただろう。

 

《痛みは嫌いですよね?そんなつらい痛みを減らすのに役立つかもしれない基礎知識をお知らせします。

 

冒頭、皆さんが「痛み」を嫌いに違いないと決めつけました。これは乱暴でも何でもなく、国際疼痛学会(IASP)が「痛み」を「感覚かつ情動の不快な体験」と定義しており、それに従えば、嫌い以外には感じようがないはずなのです。好きとか、どうでもいいとか感じるものは、そもそも「痛み」とは呼びません。

屁理屈と感じる方、眼からウロコの落ちる思いがする方、どちらもいるでしょう。興味深い定義ですよね。

定義の全文は、「実際の組織損傷もしくは組織損傷が起こりうる状態に付随する、あるいはそれに似た、感覚かつ情動の不快な体験」(20年7月改訂版。日本疼痛学会訳=付記も)です。

そして、この一文だけでは説明が足りないと考えたであろうIASPは、以下6項目の付記も発表しています。

〇痛みは常に個人的な経験であり、生物学的、心理的、社会的要因によって様々な程度で影響を受けます。

〇痛みと侵害受容は異なる現象です。感覚ニューロンの活動だけから痛みの存在を推測することはできません。

〇個人は人生での体験を通じて、痛みの概念を学びます。

〇痛みを経験しているという人の訴えは重んじられるべきです。

〇痛みは、通常、適応的な役割を果たしますが、その一方で、身体機能や社会的および心理的な健康に悪影響を及ぼすこともあります。

〇言葉による表出は、痛みを表すいくつかの行動の一つにすぎません。コミュニケーションが不可能であることは、ヒトあるいはヒト以外の動物が痛みを経験している可能性を否定するものではありません。》

 

「〇痛みは、通常、適応的な役割を果たしますが、その一方で、身体機能や社会的および心理的な健康に悪影響を及ぼすこともあります。」

とあるが、適応的な役割とはどういう役割なのだろう。

 

そんなことをしながら11時を迎えたが音沙汰なし。11時半になっとも音沙汰なしなので、受付に行き「出直して来ることにします。」とキャンセルを申し出た。再予約を訊かれたが当面午後は診察をしないようなので「内科は片手間のようなので他をさがします」とお別れを告げた。

 

昼寝して散歩。アリオの紀伊国屋が開店したらしいので偵察に行く。前のキイディランドより本屋らしい構えになった。本棚の間隔が詰まったように思えるが、その分取り揃えてある書籍が増えたように思える。買わずに退去。

サイゼリアという選択もあったが、駅北口のやよい軒に回り写真の如きもので飲んだ。今日はポテトウインナーに替えて鯖の塩焼きを取った。これは正解。締めて710円。

願い事-スパッと叶えてください。

行秋の波の終焉砂が吸ふ(伊藤白潮)

なんて消え方がいいな。