「浮気をするから人間になった - 竹内久美子」浮気人類進化論 から

 

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「浮気をするから人間になった - 竹内久美子」浮気人類進化論 から

人間の起源や本質に関し、数多くの興味深い仮説を提出しているデズモンド・モリスは、代表作である『裸のサル』の中で、人間の高度の知能は狩猟生活に対し必要不可欠なものとして発達してきたと述べている。
もっとも、狩猟が重要な要因であることは、モリスに限らず人間の進化に興味をもっている人なら誰もが認めている。なぜかと言えば、それはこういうことである。
高い知能をもっている者ほど優れた道具を作ることができ、それを狩りに役立てることができる。もちろんその道具は彼の家族や親類縁者の要請を受けて作られることもある。だから、そういう者たちほど集団による狩りを効率よく行なうことがでかるだろうし、その際、優れた道具はより大きな威力を発揮することになる。つまり彼らはより多くのえものを手に入れ、多くの子孫を残すことができた。こういうことが何世代にもわたって繰り返されるうちに人間の知能はどんどん高まってきたと考えられるわけである。
また、狩猟と並んでもう一つの重要な要因は戦争である。これも多くの人々が認めていることで、あのダーウィンも『人間の由来』という著書のなかで既に指摘しているほどである。
狩りと同様、より高い知能をもつ者ほど優れた道具、つまり兵器を作り、強力な集団、つまり軍隊を組織することができる。かくして、そういう者たちがそうでない者たちを駆逐していき、人間の知能は急速に高まってきたというわけである。
どちらについても的を得★た議論であり、私は少しも異議を唱えるつもりはない。ただ、どうも次に指摘する最も肝心な点を見落としていて、その周辺の補強要因のみを取り扱っているように思えてならないのである。
他の霊長類と比較して、人間はさまざまな特徴をもっている。中でもとりわけ重要なのは「言語的コミュニケーション」の能力で、先の主張がこの点をなおざりにしているのが気にかかるのである。
狩猟や戦争によって脳が発達したから、あるいはその場合に言語が必要になってきたから、人間は言語能力を獲得したのだという反論もあるかもしれない。けれども、狩猟や戦争によって言語能力がどれほど高まるだろうか。これらのことがらには、言語が必要なことはあっても、それほど複雑なものである必要はない。
しかも決定的な事実は、狩猟や戦争というような組織的な活動に参加してきたのはもっぱら男であり、女は育児や食物の採集といった、協力や言語的コミュニケーションをあまり必要としない、霊長類の伝統的な仕事に携わってきたことである。つまりそういう生活そのものの中では、女は言語を切実には要求しなかった。ところが現実はどうだろう。現代人の男と女を比較してわかるのは、個人差はあるものの女の方が圧倒的におしゃべりだということだ。それに歴史をひもとくならば、科学や芸術などの領域にはほとんど登場しなかった女が、作家、詩人、はたまた女帝、シャーマンとして言語能力がものを言う領域には続々と登場してきたではないか。言語とともに生きてきたのはむしろ女の方なのである。(もちろん、男も女とは違う意味で言語と深い関わりをもってきたのだが、それについては後で述べる。)

狩猟や戦争を重視する従来の考え方では、人間の言語能力の進化は説明できない。言語に対するもっと別な切実な必要性が、人間の知能を高め、人間を人間たらしめる最大の推進力になったのではないかと思う。
では、そのもっと別の必要性とはいったい何だったのだろうか。この問題を考えるためには、チンパンジーとゴリラ、つまり人間に最も近いこの二種の類人猿に目を向けてみる必要がある。彼らと我々とはお互いサル(正確には類人猿と言わねばならないのだが)とヒトなどという低級な線引きをされるような存在ではない。この三者は、どれが最も進化しているとか、どれがどれより劣っているなどと言われる筋合いもない、それぞれが一枚看板を張ることのできるトリオなのだ。それはまた、遺伝子のレベルでの比較からも明らかになってきているのである。
ゴリラはオスの成獣で二〇〇キロを超えようかという巨体の持ち主である。メスはそれほど大きいわけではなく、オスの半分ぐらいにしかならない。オスの体が発達したのは、メスの所有権をめぐってオスどうしが格闘をするからだ。体が大きくて強いオスほど多くのメスを獲得し、多くの子孫を残す。つまり、進化生物学の分野で言うところの「性淘汰」によってオスの体が大きくなったのである。
チンパンジーではオスの成獣の体重は四〇~五〇キロぐらいである。メスはオスよりやや小さいが、ゴリラのような極端な性差はない。それに動物園内で飼われているチンパンジーは十分な食物と運動不足のせいでオス、メスともに六〇キロ以上になることがあり、その場合ますます性差は縮められるという。
人間とても、未開民族と「人間動物園」の住人である文明人とを比較すれば、体重に関してチンパンジーと同様の対応づけができる。十分な栄養をとり、仕事といえば一日中デスクワークというような文明人が六〇キロ以上の体重をもつのに対し、背も低く引き締まった体をしているニューギニアなどの未開民族の人々の体重は五〇キロにも満たない。つまり、チンパンジーと人間とは本来、体重に関してはとりたてて言うほどの差はないのである。
けれども両者の体を詳しく調べてみると、それぞれに驚くほど発達した部分があることがわかる。それは人間の場合には脳であり、チンパンジーの場合には精巣、つまり睾丸である。人間の脳の容積はおよそ一四五〇ミリリットルだが、チンパンジーやゴリラのものの三~四倍に相当する。一方、チンパンジーの精巣は(左右合わせて)一二〇グラムほどで、これも人間やゴリラの場合の三~四倍に当たる。チンパンジーの精巣の異常とも思える発達ぶりは、彼らの婚姻形態が大筋において乱婚制であることに起因しているのだろう。
チンパンジーの社会では、メスが発情すると、オスたちが入れかわり立ちかわり彼女と交尾をする。だから、生まれてくる赤ん坊の父親が誰になるかということは、精子のレベルでの競争にゆだねられる。あらかじめ格闘によってメスの所有権に決着をつけ、ハレムを形成したオスだけが交尾をすることのできるゴリラと違い、チンパンジーの交尾は精子レベルでの闘いのはじまりを意味する。チンパンジーでは精巣を発達させた、精子製造能力に優るオスの子が生まれてくる可能性が高い。こうやって生まれてきた息子が父親譲りの大きな精巣をもつことは言うまでもない。
このように、ゴリラの体の発達もチンパンジーの精巣の発達も婚姻形態に注目することで説明がついた。ならば人間の脳の発達も同様の観点から説明されてもよいのではないだろうか。ゴリラ、チンパンジー、人間というトリオが婚姻形態においてなぜこうも異なっているのかという点に、人間の進化の謎を解くカギがあるように思える。

人間の進化の過程で我々の祖先がどういう婚姻形態をとっていたかというと、それはほとんど知るよしもない。人骨を発掘したところで、わかることと言えば男と女の体にどの程度の差があったかということなど、きわめて限られた範囲の情報だけである。しかし現代人の男がそれほど精巣を発達させていないことから推測されるのは、少なくとも彼らはチンパンジーのような乱婚制はとっていなかったということである。
それに一夫一婦制であったにせよ、一夫多妻制であったにせよ、霊長類の伝統的な生活様式であるオスとメスが常に一緒に遊動していくという方式を捨て去り、男が狩りに出かけ、女は家やその周辺に留まるという新しい生活様式を確立したこと、そしてそれはゴリラ、チンパンジーとは異なる独自の道であったことにまちがいない。
狩りをすることにかけては我々の先輩にあたる食肉類の動物たちを考えてみても、こういう方式は見当たらない。集団で狩りをするオオカミやリカオンでは、オスとメスが一緒に狩りをする。彼らの集団はパックと呼ばれていて、メンバーは一夫一婦の夫婦と彼らの未婚の血縁者である。キツネもタヌキも一夫一婦制をとり、夫婦ともども狩りをする。ライオンは二~三頭のオスの成獣と三~一二頭のメスの成獣、それに数頭の子供からなるプライドと呼ばれる集団を作っている。プライド内での婚姻は乱婚的であり、よく知られているように狩りをするのはメスの方である。
こうしてみると、我々の祖先はかつてどの動物も選ばなかったきわめてユニークな生活様式を採用してきたことがわかる。もし夫婦が常に一緒に行動するのであれば、そこには他者が介入する余地はない。逆に乱婚制によってメスが複数のオスと交尾することがあたりまえになると、今度はオスが長期間にわたって特定のメスを独占することこそがルール違反となる。だからそういうオスがいたなら、彼は他のオスの不平をかい、「倫理に反する」という評価が下されるだろう。同じ行動であっても、その動物が属する社会によってまったく評価が異なっているのである。
さて、人間の夫は妻の貞節を信じて狩りに出かけ、妻は夫が狩りにのみ精を出してくれるものと信じて送り出す。集団で狩りに出かける場合には、夫の仲間たちに彼の監視を依頼するかもしれない。もっとも、それがどれほどの効果をもっているのか、わからないが......。
狩りに出かけた夫たちは自分の家族のために仕事に励むが、余裕があればさらに多くの子孫を残すための「課外活動」も行なうだろう。そうして何食わぬ顔で帰ってくるのだ。そのとき狩りの獲物は少々減っているかもしれないが、自分の子どもと妻を満足させられれば十分である。「課外活動」の相手となる女は未婚、既婚を問はない。特に既婚の場合には生まれてきた子を彼女の夫が自分の子だと信じて育ててくれるかもしれないではないか。カッコウの托卵される鳥のように。 
男が「課外活動」において成功するには、うまい言葉遣いによっていかに女をその気にさせるかが重要なポイントとなる。また、そういう男を父として生まれてきた息子もいずれ父譲りの口のうまさで大いに成功を収めることだろう。こうして男は「口説く」能力を進化させたのである。

一方、妻は夫の浮気を防ぐ手立てを考えなければならない。夫が「課外活動」に熱心になりすぎれば持って帰る獲物も少なくなるだろうし、最悪の場合には夫がまったく帰って来なくなることだってありうる。
そこで妻たちのとった対応策は、近所の奥さんたちと「立ち話」をすることだった。近所にすむ女どうしはライバルとして牽制しあうのではなく、互いに情報提供者としての同盟を結んだのである。「誰がいつ、どこで、何をしていた」「いつもと違う方向へ歩いて行った」「あの人は最近オシャレになった」などという一見たわいのない会話こそが浮気発見のきっかけとなる。またこういった観察眼は男ばかりでなく女にも向けられ、特に新入りの若い女に対しては恐ろしいまでに厳しいものとなる。
女ならずとも道で人に会ったときなど無意識のうたに「どこ行くの」と尋ねてしまいたくなる性癖をもっているが、それは、こういうところに起源があるのではないだろうか。また、女が他人の服装などの観察に熱心なのも「そういう些細でつまらないことしかわからず、“政局の動向”などまるで無関心」だからなのではなく、“亭主の動向”に鋭い感覚を働かせるように進化してしまったからに他ならない。
女は夫の浮気を防止する一方で、自分はつまらない男にだまされないよう気をつけなければならない。これは未婚の女にとっては重大な問題である。既婚の女の場合、その結果生まれてきた子はうまくすれば本来の夫をだまして育てることもできようが、当の男の協力が得られない未婚の女の場合には不利な条件での子育てになる。だからこそほとんどの社会において未婚の母は厳しく取り締られるし、娘たちもそういう不幸な目に遭わないよう警戒する。その結果彼女たちは、注意すべき男の見分け方、あるいは現実に指名手配中の悪い男に関する情報交換のために日夜おしゃべりに夢中になるのである。
こうして婚姻をめぐるさまざまな場面で、男にも女にも必要になった言語が、脳を発達させ、人間を人間たらしめる最大の原動力になったのだと私は考える。ただし、人間は発達した箇所が体でも睾丸でもなく、偶然にものうだったと認識することが重要だろう。しかも、この仮説によると、その原因がほとんどの文化でタブー視されている「浮気」と、そのために生じた言葉の必要性にあったことになる。ずいぶん皮肉なことではないか。