「人生は「一切皆苦」 - 佐々木閑」NHK出版新書ゴーダマは、いかにしてブッダとなったのか から

 

「人生は「一切皆苦」 - 佐々木閑NHK出版新書ゴーダマは、いかにしてブッダとなったのか から

人生は「一切皆苦
まず導入として、お釈迦様を出家へと駆り立てたもの、王位も財産も家族もすべて捨て去ることを決心させたもの、すなわち「人生の苦しみ」について、どんな言葉が残されているか見てみましょう。生きることは苦であるという「一切皆苦」の思いです。
人は皆、生きものとしてこの世に生を享[う]けますが、それは言い換えれば、「死ぬべきもの」として生を享けることであります。人は生まれた瞬間から死に向かって生き続けるのです。すべての人が老い、病み、衰えることを人生の目的とでもしているかのようです。とすれば人間のいとなみはすべて虚しく、生きていることは苦しみばかりということになります。
いくらお金を持っていても、地位や名声を持っていても、その状態が続かないのなら虚しいだけです。しかし、その事実を人は認めたがらず、真実を曲げ、虚勢を張り、誤った考えに執著します。「一切皆苦」の耐えがたい事実から目をそらし、見て見ぬふりして生きているのです。
お釈迦様は若くしてそれに気づいてしまったために、バラ色だった人生が一転“暗黒”になりました。そしてその苦しみを超克[ちようこく]するために出家されたのです。
そのように、仏道を志したそもそもの動機が絶望的な思いであったため、お釈迦様の現世に対するとらえ方はかなりシビアです。人の人生というものをハッとするほど冷徹に見ています。以下に例をあげます。
「牛飼いが棒で牛たちを牧場へと追い立てるように、老いと死は生きものの寿命を追いたてていく」(ダンマパダ135)
「この世間が燃え上がっているというのに、いったい何が笑いだ、何が歓びだ。お前たちは暗闇に覆われていながら、どうして明かりを探し求めないのだ」(ダンマパダ146)
この堪えがたい現実をいったいどうすればいいのだ!というやむにやまれぬ叫びのようなものが感じられます。
お釈迦様の思想の中には、この世で私たちが「常住不変だ」と思っているものごとには、本当は何も実体がない。したがって確固たる「自分」などいうものもない、いう考え方があります。「ニヒリズム」とか「虚無主義」とか言ったほうがぴったりくるような言葉も少なくありません。
「見よ、飾り立てられた形体を。傷だらけの身体であり、要素が集まっただけのものである。病にかかり、勝手な思惑ばかり多くて、そこには堅実さも安定もない」(ダンマパダ147)
「この姿かたちは衰え果てた。それは病気の巣であり、たちまちにして壊れゆく。腐敗のかたまりは崩壊する。生は死をもって終わりとなる」(ダンマパダ148)
「骨が組合わさって城郭が作られ、そこに肉と血が塗られ、その中に『老い』と『死』と『傲慢』と『ごまかし』が鎮座している」(ダンマパダ150)
あまりにも容赦なく言い切っているのでびっくりします。しかし、人間という存在のすべてを“腑分け”するようなこのとらえ方こそが仏教の基本中の基本なのです。