1月12日火曜日
「茶の本」を捲り終えました。
夕月夜(ゆうづくよ)海すこしある木の間かな(茶話指月集)
と
花をのみ待つらん人に山里の雪間の草の春を見せばや(藤原家隆)
が「茶の本」にはごさいました。
句集第一集の残りスペースも、1頁半十五句分ほどになってきました。
この句集には千五百を越える句歌を書き留めました。季語・季題で区分していません。ただただ書き足してきましたので欲しい句歌を探すのがちょって大変です。
あの頃書き留めたはずだから、第六巻(39頁から49頁まで)の辺りと見当を付けて探しますが、記憶と言うものはあまりあてにならないようです。
一つの対策として、“見出し語”になりそうな言葉の横にその言葉の入っている句歌を書き留めてある頁の頁数を添え書きしています。
例えば「目刺」を含む句歌では、
4頁に
木枯らしや目刺にのこる海の色(芥川龍之介)
を書き留めています。この句の右余白「目刺」の横には、12、77、92、164、171と「目刺」を含む句歌が書き留めてある頁数が書き込んであります。
171頁には、
いつの世か目刺に 詫びることあらん(横須賀洋子)
があり、この句の「目刺」の右横には、4、12、77、92、164と頁数が添え書きしてあります。
遠い目をしている五番目の目刺(大西恵)ー164頁
が見つからなくても、句帳の頁を捲っていくうちに、「目刺」に出合えば、この句にたどり着くことができます。
もう一つの結び付けを作家でしています。
俳壇の常連である伊佐利子さんの句を三句書き留めてあります。「伊佐利子」の横に、36、123と頁数を書き添え、更に前出の各頁には日曜日に書き留めた178を書き加えておきました。
更に、句意・歌意の類似や場面の類似などでの結び付けを句歌の頭の余白への頁数書き込みで行っています。
例えば、
にこやかに酒煮ることが女らしきつとめかわれにさびしき夕ぐれ(若山喜志子)
は38ページに書き留めてあります。
良き妻を演じて暮らす毎日に消えて無くなる本当の私(米村恵子)
は108頁に書き留めてあります。
それぞれの頭の余白には、108と38の頁数がふってあります。
スプレッドシートに整理しておけば、簡単に探し出せますが、惚け防止も句歌を書き留めている目的ですので、電子に頼らず、衰えゆく記憶力をすこしでも長持ちさせる努力をしております。