(巻九)甲斐なしや後ろ見らるる負相撲(加舎白雄)

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1月16日土曜日

水木しげる氏の「極楽に行く人地獄に行く人」(光文社ー文庫、税別840円)の一読目が終わりました。

少年老いたり妖怪をなほ友として(坂戸淳夫)


この本の正しい読み方ではないのでしょうが、仏教用語の易しい解説書のように読んでしまいました。

例えば、地獄の反対は仏教では「天国」ではなくて「極楽」、などです。

善もせず 悪も作らず 死する身は 地蔵笑はず 閻魔叱らず (式亭三馬)

なぜ、閻魔と地蔵が対局なのかも朧気ながら解りました。

しかし、水木さんの伝えたいことは第三章「霊と暮らす」と第四章「おばけのいる人生」でしょう。

158頁からの書き抜き
ぼくは宗教にあまりいい感じを持っていなかった。戦争から戻ってきて、次になんになろうかと考えたとき、「坊主はいいぞ」と聞かされたので、仏教書を読んでみたことがある。そうしたら眠りを「睡魔」とよんで、修行の妨げとされていて非常に不愉快になった。ついでに「論語」も読んだのだが、こちらは「男女七歳にして席を同じうせず」、「四十歳にして惑わず」といった言葉が自信過剰に思えて、これも読むのをやめてしまった。「新訳聖書」も読んでみたのだが、「色情をいだいて女性を見るものは、その目をえぐりてすてよ」という一節があって、いくら目があっても足りないと諦めた。
だいたい人間は自意識が過剰にできている。自分というクルマを自分の手で動かしていると思っている。でも、じつは、もう一つの世界からいろいろな影響を受けている。背後霊や守護霊と呼ばれるものはいると考えたほうが、幸せに生きられる。ぼくなどは戦地で爆撃にあって左腕をなくしたうえ、マラリアで何度も生死の境をさまよった。終戦後、捕虜となって食うや食わずの期間もあった。それでも生きていられたんだから守護霊はいると思っている。

以上抜き書き

目に見えるものだけでなく、目に見えないものも存在しているとのご説でございます。

引用・挿入されていた和歌一首:

三瀬川 われよりさきに 渡りなば 汀(みぎわ)にわぶる 身とやなりなむ