(巻十)若さとも老いとも妻の白上布(しろじょうふ)(草間時彦)

3月15日火曜日

定期検診で千葉西病院に参りました。
常盤平駅からのマイクロバスに乗車するところから学習は始まります。
老齢の方々が多いので、マイクロバスに乗るところから介助を必要とします。病院に到着すると、前期高齢者のボランティアらしき介助者が下車を助けています。助ける側にいられる方々はやはり溌剌としていらっしゃいます。いずれの立場でこの年齢を迎えられるか、これは定めですから致し方ないところではありますが、やはり身に沁みるところではあります。

エックス線が順調に終わり、診察まで二時間待ちになりましたので先ずはロビーのコンビニで立ち読みをいたしました。
三遊亭円丈の「落語家の通信簿(840円)」は面白いけれど立読みの摘まみ読みで十分でした。

志ん生のびんぼう自慢梅漬くる(望月秀子)

つづいての、週刊ポストの新老後破産の記事は気分を一層暗くさせてくれました。備えもせずに老後を迎えた方もいるでしょうが、経済という読めないものを、例えば土地神話、読み違えたことを責めても仕方ない。

人生は誤植か秋の数ページ(伊藤五六歩)

保育園問題などこれからは世代間対立も深まり、年金福祉も相当きびしくなるでしょう。やはり長い老後というのは富裕層だけのことになるのかな?

炉を囲む者みな望む尊厳死(田坂名雅子)

が私の現在の心境でもあります。“まだ生きているのか。”と自問するようなことにはなりたくないものです。

そんなことを書いている前を新生児が看護師と父親に付き添われて通っていきました。老夫が老妻の乗る車椅子を押して行きました。娘が父のトイレに付き添っていきました。病院には学ぶべきドラマがあります。

付き添いの院内百態あたたかし(潤)

そして、そのような方がいない場合のことも考えさせられました。

診察の結果、今のところ異状なしとのことです。三ヶ月後にまた写真です。