(巻十)緑とて色とりどりの狭庭かな(桑原たかよし)

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4月10日日曜日

朝日俳壇から先週の一句と今週の一句を書き留めました。

この先は隠岐あるのみぞ鳥帰る(中村襄介ー米子市)

行き先は行き着くところ春の雲(小山内豊彦)


“もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら”を一応読み終えました。歳のせいでしょうか、涙もろくなっておりまして、完結部分では涙いたしました。

あぢさいや涙もろきは母に似て(中西龍)

いろいろと個性のある人物を布石として配しておいて、結末で総ての人物が噛み合い役割をこなすという手法に特に新鮮さはありませんが、それでも巧みにストーリーを盛り上げています。映画化を意識して書かれた小説のようで、吹奏楽やチヤーリーディングが差し込めるように練られています。映画は見ていませんが、かつて見た“がんばれベアーズ”に近いものなのかと想像しています。(まだまだ若いころでしたが、“がんばれベアーズ”にも涙いたしました。)

朱夏の陽の影の重たき投手かな(林桂)

ドラッカーのマネジメント論は“みなみ”という女子マネージャーやその他の重要登場人物が行動を起こす際の動機付けや、行動を起こすことの必要性を説明し、唐突感を減少させるトリックとしても使われているようです。
ですから、「マネジメント」の導入本として読むという読み方には無理があるのではないでしょうか。「マネジメント」は読んだことありませんが。


庭先にタンポポの綿毛を見つけました(写真)。

たんぽぽもけふ白頭に暮の春(召波)

私の頭は、綿毛の吹き飛ばされた後のタンポポですが!