(巻十二)神輿いま危き橋を渡るなり(久米正雄)

9月15日木曜日

成田への北総線の車中で荷風の随筆に読み耽り朝の日記の送り込みを失念いたしました。解らない部分が多いものの「書かでもの記」の章まで読み進みました。この章の前の章、「雪の日」の、

薬研堀がまだそのまま昔の江戸絵図にかいてあるように、両国橋の川しも、旧米沢町の河岸まで通じていた時分である。東京名物の一銭蒸気の桟橋につらなって、浦安通いの大きな外輪の汽船が、時には二艘も三艘も、別の桟橋につながれていた時分の事である。”

で始まる一節に痛く感銘を受け筆写いたしておりまして、書き取りましたら覧に供したく存じます。

夜7時半ころ、ちょうど「西瓜」の章を頷きながら読んでいると細君から声がかかり、どこに月があるかがやっと分かる程度の朧な月を一緒に拝みました。

千金の名だかき月の雲間よりせめて一二分もれ出でよかし(四方赤良)