(巻十二)春愁や箪笥の上の薄埃(源通ゆきみ)

9月17日土曜日

町医者先生に日々の尿酸抑制剤をいただきに参りました。医業ご繁栄の様子にて老男女の待つ者多く、これ老先生の人柄に拠るものなり。先生、医術仁術算術の達人にして真に名医たるべし。
老人の相談、繰り言を漏れ聞くに先生の忍術もこれ五衛門半蔵に肩並ぶべし。“手術受けるべきや否や”“立会人介助の居なきこと”等々悩み事を聞き、声音も調子も変えずに説く様を聴くに只者とは思えず。
22番目の患者として診察室に招じ入れらるるに、先生の目に安堵の光を認む。“こ奴とは長談義無用”とぞ思しわれしか。
型通りに血圧測定し“まだ薬は要らぬな”と申されしのみ。余力を他の患者に取り置き廻さんとの算用かと邪推いたし、いつかこの貸し取り戻さんとぞ思いたれど、直ぐ様吾人の狭量なるを恥ず。
先生の院を辞し駅前地階の本屋に脚を運べり。大荷風先生随筆集の第一読も読み切りに近く、在らば岡本綺堂随筆集を求めんとを欲す。然れどもそれ在らず。
書架を散策するに、芥川随筆集を先ずは捲りて戻す。次いで漱石文明論集を捲るも、たまたま“第一高等学校”云々なる頁に当たり憤然としてこれも戻す。次いで漱石紀行文集を捲りその“満韓ところどころ”を拾い読みて戻す。鏡花随筆集を手にとり捲るも何故か馴染まず。露伴“努力論”は背表紙のみを見て飛ばす。“病床六尺”は読みたけれど鬱々とすることを怖れことも飛ばす。アーネスト・サトウの“外交史”を捲るが、やはり訳文であり心持ちに合わず、戻す。

書を売つて書斎のすきし寒哉(幸田露伴)

極まりて、読みたることなき文豪の文章を勉強せんと“漱石紀行文集”(七百円也)を購い帰路に着けり。

絵所を栗焼く人に尋ねけり(漱石)