(巻十二)初七日の席順までも書き残した余命告知の兄を想いむ(及川泰子)

9月26日月曜日

昨晩のNHK文化講演会で冒険家高野秀行氏のお話をうかがった。辺境探検家として赴いた三角地帯、ソマリランドなどのお話であったが、納豆文化のお話を興味深くうかがった。納豆は中華文化の辺境で牧畜の行われていない地域に共通して認められる食品であり、豆を意味する“トウ”或は“ト”という音は三角地帯、タイ北部でもこの食品の名称にふくまれるとのことである。

納豆の今日は大粒夏は来ぬ(大熊万歩)

納豆を日本固有の古来からの食品であると思いたがる節もあるが、そうではないそうである。日本も辺境地であったわけで、高野氏の警告のようにうかうかしているとガラパゴス化してしまうそうだ!

向かうから見ればこちらも春霞(あらいひとし)

文章読本』が終わったら小泉武夫氏の『発酵食品』を読み直してみましょうか。

さて、その『文章読本(丸谷才一著)』であるが、二度は読んでいるにもかかわらず新鮮に読めてしまうのである。つまり、頭に残っていないのである。荷風の随筆集でも「雪の日」の一節のような物語は筋が頭に残るが、随筆・評論は定着しないようだ。この文章読本でも引用された志賀直哉の城崎にての一節は覚えているがあとは“少し気取って書け”という章があったことしか覚えていないのである。
今回はゆっくりとしっかり読んで参りたい。

冬蜂の死にどころなく歩きけり(村上鬼城)