(巻十二)行秋の波の終焉砂が吸ふ(伊藤白潮)

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9月25日日曜日

引越に備えて物置の本の片付けた。本を溜め込む方ではないので二括りほどしかなかったが四十年以上前に買った“坂の上の雲”も整理した。二十歳のころ、荷風の随筆を読んでも多分判らなかったように、六十五歳にもなれば“好古・真之”で心は躍らない。後日のために本を残して置くと言うのは愚なのかもしれない。

秋灯昔と違ふ読後感(時田しげみ)


義母を見舞う。一時間ほど細君がお話に努めるが、双方とも無理して話を続けようとして疲れたようである。ちょっと顔を見る程度の訪問の数を増やすのが理想であろう。

和を以て疲れ果てたる敬老日(日下光代)

この場所へ来ると己の行く末を考えさせられることになる。願わくは本日の句の如き静かでさっぱりとした終焉を後期前に迎えたいものである。(備蓄句歌数千四百)

帰りは柏に出た。そごうデパートがいよいよ閉店となるのでお詣りに行った。人生も残り何日かが分かっているともう少し楽しめるのかもしれないのだが。

どのくらい刻がわたしにありますか知つてはならぬことは知りたし(田中成彦)