(巻十二)涼風に晒して残る薄き自我(北原喜美恵)

10月12日水曜日

上着を羽織る人が増えてきた。同年輩のセミ・リタイア組は制服のように紺の上着とグレーのズボンが多い。

冬服の紺ネクタイの臙脂かな(久保田万太郎)

私もそれであるが、時々ベージュのチノパンにすることがあり、そのときは細い柄入りの薄いピンクのシャツを着る。これも又ご同輩のパターンである。
さて、問題はネクタイである。前者の場合は当たり障りのないネクタイはあるが、ピンクのシャツに合うネクタイが分からない。今朝はピンクのシャツをお召しなった御仁を探し、どのようなネクタイを締めているのか観察した。デパートか洋装店でおばさん店員に相談すれば済む話であるが、着ているシャツが2、000円なのにそれをを超えるネクタイを買う気は毛頭ないのである。

ネクタイは季題のごとく締むるもの(筑紫磐井)

制服といえば昨今学校の制服が高いと紙面で問題にしている。頭のてっぺんから爪先まで揃えると十万円を超えるというのではさすがに悲鳴も挙げよう。公立校で学校ごとにデザインの違うブレザーというのもいかがなものか。進学校がエリート意識を表したいのであれば帽子の“白線”くらいでよかろうに。

セーラー服帳場にかかり鮎の宿(井本農一)

時代といえばそれまでだが、私は新調の詰襟を着たことがない。ご近所に小金を貸していた婆さんが利息代わりに頂いた御下がりの学生服で6年間を過ごした。

死金を一壺に蓄めて紙漉婆(近藤一鴻)