極楽に行く人 地獄に行く人 ー 水木しげる “はじめに”

はじめに

この頃、どうも世間がギスギスしているような気がしてならない。ぼくの観察によれば、親や学校に教えられた世界だけがすべてだと思っている人が、多くなっているせいだ。自分の脳で判断して、賢く振る舞っているつもりだろうけど、そういう人は結局何もわかっていない。どうしてかというと、いちばん大切なことを教えられていないから。それが、霊の話であり、「あの世」の話だ。
身内が死んだとき、友達が死んだとき、どうするだろうか。いろいろな行事があって、しばらくは気が紛れる。だが、何かの拍子に、ふとその人がいなくなったということに呆然とする。いくら、科学的に納得しようと思っても、無理だ。「焼かれて灰になったのだ、その人はこの世に存在しないのだ」と考えたところで、心の空虚さは埋められない。そういうとき、ふと、三途の川の話を思い浮かべて、「あの人は、いまごろ川を渡ったかなあ」と想像する。こうしてあの世と交信することができ、その人の死を受け入れることができるようになる。
だが、若い人に聞いてみたところ、三途の川も、奪衣婆(だつえば)も知らない人が多い。言葉自体は知っているが、伝承として聞いたことがないという人がほとんどだった。これは、悲しむべきことだ。さっそく、取材班をこしらえて三途の川の研究を始めた。
しかし、これが難渋をきわめた。インターネットで検索しても、国会図書館大宅文庫で調べても、なかなかわからない。考えてみれば、ちょっと前までは、三途の川というのは誰でも知っていたことだから、わざわざ活字にすることはなかったのかもしれないとも考えたのだが、それにしても、文献がすくないのだ。これは誰かの陰謀だろうか。
その顛末については、本書で書いたが、歴史を遡ってみると、何かしらの作為めいたものがあったことは事実のようなのだ。
古来、日本のカミサマは、ユーモアあふれる存在だった。妖怪とカミサマは、同じ体系に属するからぼくは当然だと思っているのだか、それが、どうも、いつの間にか変わった。いつの世も、霊とかカミサマを利用する輩がいて、世の中をおかしくするらしい。
「あの世」というのは、日本人にとっては、それほど深刻な場所ではなかった。それがわかったのが、なによりの成果だ。
死は、本来朗らかなものであった。しかし、死から目を背けるようにすればするほど、死に何かの意味をつけたり、また、死んだら何もなくなると考えるようになる。
ちょっと貧乏だったり、病気になったり、いじめられたりしただけで、もうこの世は終わったかのように思うのは、「この世」のほうにばかり目が向いているからだ。教えられた世界だけがこの世ではない。そう考えると、いま生きている時間もまた朗らかになる。
本書が、「この世」を愉しく生き、「あの世」を愉しく思う縁(よすが)になれば幸いだ。

平成十二年七月七日

水木しげる