(巻十三)露の夜星を結べば鳥けもの(鷹羽狩行)

2月2日木曜日

節分、豆まきの句は多いが自戒としてもこの句が好きである。

節分や灰をならしてしづごころ(久保田万太郎)

過日先輩であるOB会会員のご逝去について記したが、同氏の通夜が斎場に営まれるという。昨今は“すでに御家族で”という案内が多いなか、めずらしいことである。
故人のお人柄からしても多くの年寄りたちが弔問に訪れることであろう。

弔いに気負ふ老いどち寒四郎(三方元)

故人に直接お仕えしたことはなかったが、お人柄に触れる機会はあり、参列も考えたが、

会えぬ人会わぬ人あり秋の水(平光俊明)

ということで、一人故人を偲んで酒を酌むことにした。慎太郎は“一人酒”をするような奴は信用できないと言っていたが、そんなの我輩だけではない。

凍つる夜の独酌にして豆腐汁(徳川夢声)


故人などと冷たく云うのはやめよう。ヤマツネさんとは二十代前半と三十代中盤に同じ部でご指導頂いた。何しろ悪意の全くない方で、悪意ばかりの環境ではちょっと異色であった。お人柄を俳句に準えるのはいかがとお叱りをいただくかもしれないが、

やさしくて人に喰はるる鯨かな(長谷川櫂)

がヤマツネさんを偲ばせる句である。訃報では喪主御令嬢となっていた。娘さんのことは飲むとよく話されていたので、なによりもの供養であろう。

極月や父を送るに見積り書(太田うさぎ)

ヤマツネさんを偲びながら一人飲んだのも神田コーラクである。考えてみれば、我輩はコーラクで飲み初めて35年くらいになるな。

もつ焼きの煙る神田の残暑かな(堀田福朗)