(巻十五)五十七めぐり逢ひて見しやそれともわかぬまに雲がくれにし夜半の月かげ(紫式部)

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8月12日土曜日

フェースブックと云うものに手を出してみたが、それほどのものでもない。ブログと大して変わりはない! 
放映されたテレビニュースやメデアの記事をそのまま載せて喜んでいる輩と友達になってしまったが、切るのも簡単と云えば簡単である。
繋がるのも簡単、切るのも簡単なのがフェースブックであるな!本物の友達とはこんなもので友達関係を結ばない方がよい。

名月や座に美しき顔もなし(芭蕉)

大売り出しの広告に釣られて、午後アリオへ運動靴とシャツを買いに出掛けた。着るもの履くものに金を遣う気はないが、裸に裸足と云うわけもいかず、五千円の靴と二枚で三千五百円のシャツを買った。
横にジッパーの付いている靴も考えたが、今回はやめておいた。

桜貝拾ふ体のやはらかき(中田尚子)

シャツの特売品は主に半袖であり、夏も終わったかの感がある。長袖には選択の幅がなかったが、薄紫の41ー80、灰色の39ー80をレジに持って行った。
レジのおばさんから「39と41センチですが、よろしいんですか?」と聞かれたので、「40なんだけど、無いから仕方ないよ。」である。

南風南から来たシャツを着る(園田三四郎)

買い物のあと中川橋まで足を延ばして、そこから新宿(“にいじゅく”と読む)の町並みを眺めて駅前に戻った。
新宿はあまりいい思い出のない中学の頃亀有駅へ出るのに時々通った。
新宿は水戸街道の宿場であり、中川の水利もあり江戸の頃の地図には新宿町と記載されている。周辺は南綾瀬村だったり水元村だったりで町はないから、まあそれなりの賑わいがあったのだろう?

葛飾はかはほりの町川の町(中嶋秀子)