(巻十七)大年の富士見てくらす隠居かな(池西言水)

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12月18日月曜日

昨日、日曜日、は15,374歩 9,224メートル歩いたと歩数計が言っている。
酒量計があればどれだけ呑んだか正確に出るのだろうが、飲んだ割には二日酔いにはなっていない。ではあるが、睡眠不足と飲食疲労で心身ともに萎えている。

参宮橋の品華亭では中華料理のようなもので紹興酒を呑み、勢いてくり込んだ思い出横丁ではポッピー、ゴールデン街では焼酎のお湯割であった。思い出横丁もゴールデン街も外国人旅行者がいっぱいいた。ゴールデン街の店にはオーストラリアからの新婚旅行と同じくオーストラリアからの若者が飲んでいて、いずれの方々も今日からニセコだそうだ。

思い出横丁の店は、まあどこにでもある飲み屋なので特に気負いもなく入ったが、ゴールデン街の店はちょっと緊張して入った。バーだけで10人がやっと入れる広さである。バーテンのお兄さんに、一人3000円でそこまで呑んだら追い出してくださいとお願いし、3人分9000円を前払いした。バーテンさん曰く「ボッタクリはないですよ。どこの店も。」とのこと。外国人が入っていると云うことは勘定が明朗ということだろう。小一時間、つまみなしで呑んで我輩の文壇デビューは無事終わったが、熊さんは酔っぱらって外国人に大盤振る舞いして、14000円払っていた。俺は知らん!
熊さんが騒いでしょうがないので、一度締めて外に出て、熊さんと掛さんとはそこで別れた。
二人と別れてから気分直しに同じ店に入り直したら熊さんのスマホが忘れてあった。熊さんは新宿のホテル泊まりと聞いていたので、バーテンさんに預けておいた。一杯でおつもりにして店を出て、丸ノ内線に乗り国会議事堂前で千代田線に乗り換えた。
まだ亀有駅前の日高屋がやっていたので担々麺を食べて帰宅した。
息子が布団は運んでくれたようだ。風呂に入って寝たがのは1時くらいだったろう。そして四時半くらいに喉が渇いて目覚めた。そういう訳で心身が萎えているのである。

そんな体調で出社し、こんなことをコチコチしているところに掛さんから電話が入った。
「あの後どうした?」と訊かれたので、「仕切り直しに同じ店で一杯やってから帰ったよ。」
その後掛さんの話に驚いた!
熊さんが歌舞伎町のあたりで倒れて救急車で搬送されたという。
「どこの病院か分からないし、携帯にも出ないんだよ。」と云うのでスマホのことは話した。
その掛さんも駅の階段で転げて怪我をして今日は休んでいると云う。
「どうしょう?」と云うので、「警察と消防に電話するしかないよな。」と答えた。
掛さんは千葉の外れへ帰らなくてならず、搬送を見届けたところまでだったとのことだ。
しばらくして、掛さんから電話があり、個人情報なので教えてくれないとのことだ。
死んではいないだろうから、待つしかないなと一致し待つことになったが、年寄りの深酒は危険だ!

それに酒はひとりで呑むに限る。呑みたい酒を呑みたいだけ好きなつまみで。

鰭酒やすでにひとりの別世界(高橋寛)

夜の10時ころ熊さんから電話が入った。生きているとのことだ。記憶はないがホテルで目が覚めたとのこと。スマホはバーテンさんが送ってくれることになったという。
めでたくもないがめでたしめでたし!