(巻十八)ビアガーデン飛ばされさうなピザの来る(篠崎央子)

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3月5日月曜日

息子が一週間西海岸に行くとなると、母親は大騒ぎある。
今日の夕方のフライトだが、“家を出るとき雨だと大変だから手伝って”とかなりしつこく言われお休みを取らされた。
細君が息子に“雨が降ったらお父さんが青砥駅までタクシーで送るからね!”と振り込むと、“いらない!”と即座に却下されていた。
一緒に来てくれと云うようでは困るし、子離れしない母親も困る。
息子の旅装・荷物を見るに、だいぶ旅馴れてきたようでコンパクトである。フライトは定刻に出発し定刻にポートランド到着したようだ。
しかし、子離れしない母親と云うのも団塊の母親くらいのものであろう?生協まで買い物に出たが、平日なので保育園がある。お散歩のグループに出逢った。

新聞の俳壇に、

引鴨に別れ馴染めぬ湖面かな(をがはまなぶ)

があったので書き留めた。もう鳥が帰ることを詠む季節になったのだなあ。

かりがねや信じて渡る青信号(大黒泰照)

渡り鳥近所の鳩に気負いなし(小川軽舟)

この先は隠岐あるのみぞ鳥帰る(中村襄介)

はらわたの熱きを恃み鳥渡る(宮坂静生)

伸ぶるだけ首を伸ばして鳥帰る(柴田佐和子)

根底に長生きしてもろくなことはない!という思いがある。先生と吉っあんは六十七だった。お二人とも酒呑みで肝臓で逝った。吉っあんの末期は存じ上げないが、先生の末期を聞くに、どうも肝臓はふーっと逝けるようである。ものの本にもそう書いてある。ここまでくれば両氏の享年と大してかわらない。ふーっと消えられるように今宵も毒を仰いだ。

即死ゆえ苦痛なかりし人と言ふ
死にしことなき
者はかく言ふ
(高野公彦)