「地図をみながら - 深田久彌」中公文庫 わが山山 から

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「地図をみながら - 深田久彌」中公文庫 わが山山 から
 

地図を見るのが好きで、暇があれば、折り畳んだ陸地測量部の地図を拡げて見入る。何度も行ったところの地図は折目が裂けて、丈夫な日本紙でそこだけ裏打ちしてある。雨に濡れて何かの色に染まっていたり、擦り切れて村の名前などが読めぬところがあったり、そんな地図はもうすっかり全体が茶褐色に妁(や)けていて、あたかも高等学校の生徒が白線の古びたのを誇りにするように、自分の山登りにも箔がついたような気がして嬉しいものだ。
沢の名前や小屋のありかなどが、必要以上と思われるほどたくさん委(くわ)しく書きこんである。その間へ自分の歩いた道筋が赤鉛筆で引かれている。そういう地図を見ていると、千軍万馬の将軍が全勝の跡を振り返るような気持になって、その当時の苦しかったことや楽しかったことがいろいろに思い出されてくる。そしてそのへんの沢や尾根はたいてい歩いているのに、まだ取り残されている大きなのがあったりすると今晩にもルックを担いでそこへ出かけたくなる。
何年か前どこかの百貨店で山の展覧会があったが、その時の陳列品に、冠(かんむり)さんが初めて黒部に這入(はい)りこまれた頃の地図が出ていた。お化け地図と謂われる例の?製(しゅうせい)二十万分の一の「高山」であったが、その古ぼけて破れかけた地図には赤線のあとが幾筋も引かれていたことを覚えている。僕はそれを見て、博物館で由緒のある古い道具でも見たように、珍しくて嬉しかった。木暮さんでも小島さんでも、わが国の山岳の先駆者たちは皆あのお化け地図を持って、見知らぬ山を歩き廻られたのかと思うと、何だか胸がゾクゾクするような嬉しい気がしてくるのであった。
不思議なくらい地図というものは妙な魅力を持っている。山の好きなせいかも知れないが、地図を眺め出すともう他のことは打っちゃらかしになって、時のたつのも忘れてしまう。縁(ふち)を裁(た)ってキチンと十六に畳んで、その表へ地図の名前を貼りつけて、・・・・そういう子供らしい所作までが僕にはこの上もなく楽しい。それを二十万分の一の区域ごとにわけて、カードのように箱に収めている。火事になったらこれを最初に持ち出そうと思ってるほど大事な品だ。無理もない、この中には一日丸潰しにして色鉛筆で綺麗に隈を入れたのや、友達の秘蔵する地図を無理に借りて名前を書きこんだのなんかがあるんだ。
山に行けない時は地図を見ながら山を想う。まだ行ったことのない山山を地図の上であれこれとおもいめぐらせていると、簡単な記号までがいきいきした実感を伴ってきて、あたかもそこへ行っているような楽しい気持ちになる。
標高線の混み入った山岳重畳の間に、ふと目の粗い線の場所を見つけると、僕は直ぐゆったりした気持のいい斜面を思い浮かべる。もしそこに草地の記号でもついて居ようものなら、僕は喜びは二層倍だ。僕は煙草をふかしながら、その日あたりのいい草原に寝ころんで周囲の山山を見渡しているようなのんびりした気分になる。
また、複雑した山の襞積の間へ血管のように入り込んだ谷川のさまも興味をそそる。そそり立った両岸の間を流れる谷川にはよく断崖のしるしがついているが、あの黒っぽい記号が蜿蜿と数キロもつづいている部分にぶつかると、これは凄いぞとおもう。そして足元に轟轟たる音を聞き、碧を凝らした水が渦巻き流れてゆくさまが眼の下に見えるような気がする。
そういう人の匂いに遠い山と谷川ばかりの中に、細細とした破線が迂(うね)りながらついていたりすると、ほほうこんな所にも道があるんだな、と妙に親しい気がする。その道が尾根を越すところには、いかにも昔の村人が考えついたような鄙びた名前の峠があるのもなつかしい。何年か昔までは女子供まで手甲脚絆で越えた道であろう。しかし今はもう山登りにゆく都会人以外には、こういう峠を越す人もすくないのであろう。汽車の便がついて以来、たいていの峠路はすたれたと言っていい。ことに山深い国ざかいの峠はそうである。会津から越後に越す八十里越などいう峠は、地図で見ただけだけれど、何か荒れ果てた感じがする。峠の上からどちらの部落へ出るにもつづら 折りの長 い長い道を行かねばならない。その峠の上に、木ノ根茶屋という茶屋が記入してあるのも、何か昔を偲ぶような哀れな感じを催させる。



地図を見ているとこんな勝手な空想がいろいろと湧いてきてたのしい。ことに僕は汽車の中で地図を見るのが大好きだ。昼の汽車は退屈だと人は言うが、僕にすれば眠り難い夜行よりも、昼間の方がどれだけ有難いか知れない。僕は汽車の旅をする時には必ずその沿線の地図を全部持ってゆく。家に籠もって見ていてさえ楽しい地図を、移り変わる風景と引き較べて眺める面白さは、汽車の退屈さなど吹き飛ばしてしまう。一つの鉄橋を渡る。僕は直ぐ地図でその川の名を確かめる。それからその川の水上を探ると、それは遠くの山山の間を幾めぐりかして流れてきている 。僕はそういう遥かな水上の山里の有様を空想するのが好きである。新聞が一、二日遅れて着くようなそういう辺鄙の山里の、煤けた囲炉裏ばたや、怪しげな軸の掛かった部屋などが眼に浮かんでくる。ああ僕は山の行き帰りに幾度そういう家で泊まったことだろう。
次次と違った形で現れてくる山山を、いちいち地図と照らし合わせてその名を覚えてゆくのもたのしい。僕はいつも汽車の山に面した座席を占め、地図と山との睨めっくらをする。山の好きな人は誰でもそうであろうが、どんな低い丘みたいな山でも眼に入る限りは名前を知っていなと残念なものだ。嬉しいのは汽車がカーブに差しかかった折などに、その低い山山の間にひょいと見覚えのある高山の姿が見えたりする時である。僕は一瞬で も眼を離すのが惜しいように倦かず眺める。しかし気まぐれ者みたいに汽車は直ぐ向きを変えたり、トンネルへ這入ったり、丘の際を通ったりして、決してこの胸そそるようななつかしい遠望を充分に満たしてくれないのが常だ。
山の好きな人でこういう地図の魅力を知らない人は誰もないだろう。一見何の奇もないただの曲線と記号だけの地図が、こんなにも不思議な力を持っているのはどうしてことだろう。しかし仔細に見ているとどの地図にもそれぞれの変化があって、見慣れるほど親しみが湧いてくる。自然の美しさは、地図の上にも美しい曲線になって現れる。例えば、五万分の一「八ヶ岳」図幅を見ていると、赤岳権現岳を中枢にして末広に拡がった曲線は、まるで孔雀が翼を張ったように美しい。「大河原」や「赤石岳」などの南アルプスの地図を見ていると、いかにも荒削りな雄大な気がしてきて、その曲線さえ一しお太いのではないかとさえ思われる。二十万分の一の「日光」も美しい。図幅 全体に満 遍なく山山をバラ撒いたようで、ぼんやり見ていてもうっとりするくらいだ。
そういう山や沢の名前を読みあさるのも楽しい。人が自分の子の名前をつけるのにはあんなに下手なのに、どうして自然の名前はこんなに美しいのだろう。おそらく何百年もの間に一番似つかわしく呼び易く響きのいいものだけが残ったのに違いない。実際、考えもつかぬような美しい名前がついている。測量部の人人の不細工な宛字もあるけれど、そんな無理な宛字でもしなければ元の微妙な発音は表せなかったのだろう。古い『山岳』などに、わが国の山岳先覚者たちがほとんど瑣事(さじ)と思われるほど山岳の正しい呼び方を詮索されているのを見ると、やはり少しでも本来の名前を残そうとされた心遣いが思われて尊い。それを近頃の簡易山岳案内書などが平気で便宜的な名前を採 用しているのは肯けない。
地図について思い出せば、まだまだいろいろなことが浮かんでくる。僕は暇があれば地図を拡げてみる。新しいのや古いのや、行った所のや行かない所のや、部屋中いっぱいに地図を撒き散らし、片脇に山の本と色鉛筆とをおいて、勝手な地図の上の山旅をする。細かい印刷に眼が疲れてくると、ぼんやり煙草をふかし窓外の大空を仰ぎながら、とりとめもない山の空想に耽る。そしてこれが心鬱した時の僕の唯一のたのしい気晴らしと言っていい。