(巻二十)冷かに眼鏡の似合ふ妻となりぬ(村尾菩薩子)

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1月1日火曜日

特に変わったことのない元日でございます。
朝飯はパンで昼飯が雑煮で、夕飯はお節と云うか、正月の煮物と鶏肉の焼いたものでありまして、御馳走などと云うものはございません。

積み上げて取り崩さずに寒卵(潤)

賀状をいただきましたが、随分と減ってしまいました。小沢さんからいただきましたが、添え書きのないのは初めてです。お歳をめされたかな?

高校の同級生で唯一連絡が取れていた小泉からの賀状が途絶えたか?

年賀状の性格が年頭挨拶から安否確認へと変わってきましたなあ。

外出はゴミ集積場まででしたので写真は今日読み終った文庫の写真になりました。


「五十年前[ぜん] - 塚原渋柿園岩波文庫 幕末の江戸風俗
から

の中に以下の段落があり、その中に「悉皆」と言葉が出てきました。


爾来(じらい)五十年間(僕は嘉永元年の生れで、この維新の慶応四年は二十一の年だった。慶応四年、すなわち明治元年だから、今年大正四年まで四十八年。約五十年ということに為る)の生活の取捨、進退去就。別に議論らしい議論も無いが、有ればその実践から得た議論、更に言うべき操守もないが、あればその実感から来た操守で、僕の全般(すべて)は悉皆(みな)この裏から出た物である。


「悉皆」は“しっかい”と読み、“残すことなく全て”の意味だということです。
私はこの悉皆を必開(ひっかい)と今日まで誤って理解していました。

この“必開”に出逢ったのは二十歳の頃で、旧羽田空港の税関で旅具検査官をしていた1970年代前半です。所謂る要注意フライトが到着すると指揮官から、全旅客の携帯品を検査しろと云う指令が出されます。私にはこの指令が“必開検査”と聞こえ、必ず開ける検査と理解しておりました。
“ひっかい”ではなく“しっかい”で漢字ももちろん違っていたのです。
“悉皆検査”、つまり残すことなく全て検査しろと云う指示を、“必開検査”、つまり必ず開けると理解していたのですから、意味の方は遠からずであったようですな?

カステラの語源に諸説秋高し(川崎展宏)

元日に当直勤務もあり、正月もちゃんと休める普通の勤務に憧れておりました。そんなことを思い出させてくれた『五十年前』でした。