「あなたは非常に運がいい......かもしれない - 土屋賢二」論より譲歩 から

 

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「あなたは非常に運がいい......かもしれない - 土屋賢二」論より譲歩 から

人類は太古の昔から占いに頼ってきた。近年も有名な占い師のところには行列ができるという。見てもらいたがるのはほとんど女らしい。不況になっても悩みをかかえる人は減らないから、おそらく占いは不況知らずだろう。この現象を社会学的、経済学的に慎重冷静かつ詳細に考察した結果、わたしが得た結論は、占い師になりたいということだった。
占い師には年齢制限がない、きつい肉体労働がいらない、免許がいらない、会議がないなど、わたしにぴったりの職業だ。だが占い師として成功するかどうか占ってもらったら、失敗に終わるという結論(理由「女に信用されないから」)が出るだろう。
女のほうが占ってもらいたがるのはなぜだろうか。おそらく、女は自分の意志ではどうにもならないことが多いと思っているからではなかろうか。女は結婚相手によって一生を左右されがちだが、どの男がよい夫になるかとは簡単に予測できない。そこで占いに頼る。具体的には、男の女性関係、健康状況、資産状況の現況と未来を占ってもらう。女はそれだけ慎重に男を選ぶのである。
これに対して男の多くは、運は自分で切りひらくものだと考えている。実に軽率である。ちょっと考えれば、運が非常に重要だと分かるはずである。運さえよければ才能も努力もいらないのだ。働かなくてもいい。一年に一回宝くじを買うだけでいいのだ。
われわれは医者、パイロット、運転手、料理人などに、信頼できるかどうかも知らないまま命を託しているが、これは完全に運まかせだ(医者、パイロット、運転手、料理人の方々は運に頼らないでほしい)。
わたし自身は運を重視しており、大学生のときは、試験前日、試験結果を予想するために勉強もせず、徹夜でトランプ占いをしていた。しかし残念ながらそのとき以来わたしの人生は不運続きだった。こうして書いている文章も、確固とした方法論もないまま思いつきで書いているのだから、出来具合は運まかせだが、これまで一度も幸運に恵まれたことはない。言うまでもなく、授業やピアノ演奏をするたびに不運に見舞われ続けている。
とくに悪いのは、女運と金運と勝負運とバランス運(どんなに気をつけても転ぶのだ)である。よく「勝敗は時の運」と言われるが、わたしが横綱と何百回相撲をとっても勝てないに違いない。このように決まって悪い結果が出るのは「運」とは言えないような気もするが、そういう人間に生まれついたのは不運としか言いようがない。
女は運を重視するが、惜しいことに、その姿勢は不徹底である。すべてを運まかせにするどころか、思い通りにならないことがあれば、どんな手段を使ってでも思い通りにしようとする女が多い。思い通りにならなければ、相手が男であろうが家族であろうが政府であろうが責任を追及し、天気にさえ腹を立て、絶対に運を受け容れようとしない。わたしのような「運まかせ」とは大違いだ。
だが、運まかせにも問題はある。自分が運がいいのか悪いのかよく分からないのだ。宝くじが当たっても運がいいとはかぎらない。当選金を受け取りに行く途中で交通事故に巻き込まれるかもしれないし、当選金で富豪になったために犯罪の被害にあうかもしれない。そういう結果になるなら当たらない方が運がいい。長生きしても運がいいとはかぎらない。長生きしても何十年も苦しむ悲惨な老後を過ごすかもしれない。
要するに、何が運がよくて何が悪いことなのかをわれわれは知らない。好運を祈っても、実際には何を願っているのか自分でも分からないのだ。もしかしたらわたしは強運の持ち主なのかもしれない。