1/3「牛丼屋にて - 団鬼六」ちくま文庫 お~い、丼 から

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1/3「牛丼屋にて - 団鬼六ちくま文庫 お~い、丼 から

何時頃から吉野家の牛丼屋が好きになったのだろうか、はっきりわからない。初めてこの牛丼屋に入ったのは引退棋士の大友昇九段と一緒だったことだけは覚えている。
横浜、桜木町駅前通りをところかまわず二人で飲み廻り、へべれけになって何やら妙に電灯の明るい店へ足を踏み入れたなと感じたが、それがこの牛丼屋、吉野家であった。アルバイトらしい若い店員に、ここはメシ屋か、と聞くと、ビールや酒も置いている、という。それで助かった気分になり制限時間一杯まで私達は腰を据えて飲み出した。
制限時間というのはこの店では酒類の販売は十二時までと時間を制限されているのだ。それにお一人、ビールなら三本、お酒なら三本と数量まで制限されている。この制限というのが妙に気に入って私は一人ぼっちで飲む時はこの吉野家を大いに利用することになった。
一人、酒類は三本まで、それも十二時以後の販売は禁止というのは自分の年も考えて、これは健康管理上、非常に好ましい事である。ただし、こういう店は一人で飲みに行く所であって、仲間を招待するのはどうかと思うのである。奨励会員だって、よく、今日は吉野家でおごってやるぞ、というとあまりいい顔はしない。鬼六先生、とうとうそこまでセコくなったかと陰で悪口いうにきまっている。
この庶民に愛されている牛丼屋で一人、飲む事を覚えてからこの店はなかなか捨て難い味わいのあることを知った。ここへ出入りする人々のむき出しにした生々しい食欲を見廻しながらチビリ、チビリと酒を飲む気分はこれこそ粋人の飲み方だと感じる事がある。ここには単に人間の食欲を軽便におぎなう場所であって見栄もなければ理屈もなく、何の知識も必要としない。
それまで私は一人、静かに飲む時はホテル・ニューグランドかブリーズベイホテルの酒場などで年配のバーテンを話し相手にし、オールドパーのストレートをチビリ、チビリであった。バーテンに紹介された外人の泊まり客に下手な英語で語りかけ、面白くないのにキャッキャッと笑ったりしていたが、そういうのは全く気障で哀れな飲み方だと吉野家に出入りするようになって思い知るようになったのである。
牛丼、並四百円、大盛五百円、牛皿、並三百円、大盛四百円、おしんこ九十円、ビール四百円、お銚子三百三十円 - といった風に吉野家ではあっけらかんとしたメニューが店内の壁にはりつけられてあって、私が何時も注文するのは三百円の牛皿の並と九十円のおしんこ、それからお銚子、これは制限本数の三本を最初から注文しておく、それを飲み終えたら真っすぐに家に帰る覚悟だけはきめているのである。必ずしもうまくいくとは限らないが。
昨日も雑誌社の編集者何人かと福富町で飲み、彼等を桜木町駅まで送ったあと、一人で久方ぶりに吉野家の牛丼屋へ向かった。時計を見れば十一時を少し出たばかり、飲酒可能のタイムリミットまでには間に合いそうだと急ぎ足になるが、これが吉野家一人酒の楽しさでもある。
雪でも降るのではないかと思われるような寒い日で、うなるような風の中を突き抜けて皓々(こうこう)と電気の輝く暖かい店内に入った時はほっとした気分になった。
もう十二月も半ば、吉野家の窓から見えるデパートではこの寒空の中、クリスマスの飾りつけ工事が行われていて歳末感はやはり匂い立ってくる。
例によって私は牛皿の並とおしんこ、お銚子三本を注文し、入れかわり、立ちかわりの客の動きを観察しながらチビリ、チビリと酒を飲む。やはり、歳末のせいか客の出入りは何時もより多いようだ。客種は種々雑多でサラリーマン、学生、運転手、土木作業員、安キャバレーのホステスらしい女 - 仲間づれで入って来ても飲酒するのは少なく、せかせかと飯をかきこんで食欲だけを満たすと小銭を出し合って割り勘で会計をすまし、寒い夜空の下へそそくさと出て行くのだ。
こうした店で通りすがりにふと見た人とはもうこれで二度と会う事もないと思うと、これもまた一期一会であって人生的な面白さを感じるものだ。