3/3「牛丼屋にて - 団鬼六」ちくま文庫 お~い、丼 から

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3/3「牛丼屋にて - 団鬼六ちくま文庫 お~い、丼 から

二年ぶりにその時の応援団部員に今度は吉野家で再会したわけだが、石田君は現在は商事会社の真面目なサラリーマンになっているらしい。あの応援団時代はボサボサ頭をしていたが、今ではスペインの闘牛士みたいな髪型でべったりポマードを塗っているみたいだ。
「へえ、先生もこういう店にいらっしゃる事があるのですか」
と、石田君は裾元をはだけさせた薄っぺらな着流し姿でだらしなく椅子に坐っている私をしげしげ見つめながらいった。吉野家のスタンドでコップ酒を握りしめながら九十円のおしんこをポリポリかじっている私の風態を彼は哀れっぽい眼差しで見つめている。あれから私が相当に零落したものと彼は感じたようだ。
「あの時、僕らに一万円とどけて下さった国枝さんは今、どうなさっているのですか」
「ああ、彼女は新聞社に就職がきまって、今、東京で働いているよ」
ああ、そうなんですか、と、彼はあの時、彼女達と一緒に仕事した将棋雑誌はとっくに潰れてしまった事など私に聞かされると溜息をつくように何度もうなずき、何時まで続くんでしょうかね、この不況は、などといった。彼の会社も今月から残業がなくなり、タクシーのチケットなんかも発行してくれなくなったという。石田君の連れの男も自分の会社は今年は大幅にボーナスが削減されたとぼやき出した。そして、内閣批判までやらかし、コメの部分開放決定を思いますか、と、吉野家で何もそんな事、持ち出す必要はないと思うのだが、ウルグアイ・ラウンドの調整案受入れを正式決定するなんて僕は疑問に思うなどといい出した。大隠(たいいん)は市に隠る、といった具合で私はここへ孤独を楽しみに来ているのだが、やっぱりこうして若い連中に話しかけられたりすると、孤独から開放された悦びについ、おしゃべりを楽しみたくなってしまうから不思議た。国内の自給を貫く事は出来ず、首相は断腸の思いで決断、なんていっても、やっぱり有難い時代でこうして吉野家に来ればいくらだって我々には牛丼を喰わせてくれるではないか。深刻な米不足といったって米不足のために閉店した食堂やすし屋が出たって話は聞かないし、そこへいくと私の青春期なんか、飯を喰わせる店なんかなく、旅行するにも米を持参しなければ旅館で食事をさせてもらえなかった。政治家の公約の極り文句は三合配給断行であったっけ。高校生の時、田舎へ米の買い出しに行き、警官に追われて米の入ったリュックサックを投げ出して逃げたこともあったが、今は何だかんだといっても良い時代で、それに馴らされてくると我々、初老の域に達した人間はあの暗い時代にふと郷愁めいたものを感じることがある。
「あの時、お世話になったのですからここの勘定はどうか僕に任せて下さい」
と石田君はそろそろ終電車ですのでと腰を上げると同時に私にいった。ここの勘定といったってたかが知れているので私は、いいよ、いいよ、と手を振って止めたがそれでも石田君は無理に支払って、しかし、二千円でおつりが来るのでまだおごり足らないと思ったのか、おい、ここへお銚子三本、追加、と私の前の卓をたたくようにして店員に声をかけた。すみません、お一人様、三本という規定になっておりますのでと、若い店員が答えると石田君はむっとした表情になった。
俺は元、何々大学、応援団部の何々で、団長だった何々はこの店の店長とは親友だ、というような事をいっていたようだが、そんな事、アルバイト店員にいったってわかる筈がない。もういいよ、もうこれ以上、飲めないのだから、とこっちは逃げ腰になって椅子から腰を上げようとしているのにこの若い二人は私の身体を椅子に押しつけるようにして離さない。こんな所で、飲ませろ、飲ませぬ、の事で喧嘩されてはやり切れないのだが、石田君は元、K大学応援団員としてこのまま引き下がっては男がすたると思ったのか強引な交渉に入り、結果、その若い店員はお銚子三本とビール三本をどかんと卓の上へ置いたので私はビックリした。石田君は自分達二人はここで飲酒しなかったのだから、一人、三本の権利を私に譲渡した形にしたというのである。無茶だよ、君、一人でそんなに飲めるわけねえだろ、と私は顔をしかめたが、大丈夫ですよ、がんばって下さい、と、石田君はその勘定まですませて笑いながら私の肩をたたいた。学生の頃、世話になった男に思い切って礼をさせて頂いたという満足げな微笑が彼の口元に浮かんでいた。
「一つ、来年は先生がんばって下さい」
と石田君がいうので、
「ああ、今年は貧すりゃ鈍するの一年だったからな、来年はがんばるよ」
と、答えると、
「いいえ、先生は貧しても鈍ですよ」
と、妙な事をいって彼は手を振りながら店を出て行った。
彼等が姿を消してから、貧すりゃ鈍といった私の言葉に対し、貧しても鈍という応答は一体どういう意味なのかと、彼等におごられた酒に手を出しながら考えてみる。ようやく意味がわかって私は一人で笑い出した。
鈍というのん首領(どん)に置き代えたのだろう。
お世辞にしても、貧しても首領、とはなかなかうまい事をいってくれるじゃないか。
しかし、一人で飲む時の酒はやっぱり三本が限度というもので、石田君がおごってくれたのは有難いが、四本目を空け、五本目に手を出すようになると、酔い心地も何もあったものではなく、酒にただ身を任せているという感覚があるだけ。苦痛すら生じてくる。それなら飲むのをやめればいいのだが、まだ一本残っていると思うと、そこが飲み意地の汚なさというか、たかが牛丼屋の酒であろうと無駄にはするものかと戦い抜く気持になってしまうのだ。