「幽霊の正体 - 団鬼六」講談社 快楽王団鬼六 から


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「幽霊の正体 - 団鬼六講談社 快楽王団鬼六 から

当時(昭和四十九年頃)、月に一度か二度ぐらい、幽霊見舞いという名目で、目黒の鬼プロ事務所に夜になってから遊びに来ていた渥美清は、近所の人達が引き上げたあと、ぽつりと私にいった。
「こうして賑やかに怪談千一夜をやっていると、幽霊の方だって気恥ずかしくて出てこられないんじゃないかな。僕だって一度ぐらいその噂の美人幽霊というものにお眼にかかってみたいもんだ」
というから、
「来週の土曜日の丑[うし]三つ時、ここへ来てくれたら渥美さんだけにはこっそり呼び出して紹介するよ」
と私がいうと、彼は喜んで、何とか都合をつけて出てくるよ、といったが、すぐにギョッとした顔つきになり、眼をパチパチさせて私を見た。
「その時、幽霊を呼び出すって、ほんとに出来るの?」
渥美さんはSMには大して興味を示さなかったが、幽霊の存在を信じ、興味を示す方だった。しかし、私が自在に幽霊を呼び寄せる事が出来る超能力者であるとは信じられないようである。
私は笑って、その幽霊の正体を渥美さんにばらした。
白いブラウスに黒のスカートという女の幽霊の正体は私が社員の大谷の斡旋で獲得した愛人・吉田敏江だった。女子大生の幽霊が出るという噂が立ったものだから、夜中に私の家へこっそり出入りするようになった吉田敏江に、幽霊の目撃者が語る白いブラウスに黒のスカートで衣装を統一させていたのである。だから寿司屋の出前持ちが見て、近所に吹聴して廻った幽霊の正体も吉田敏江であった。
世間体から見ても、夜中に女が出没するより幽霊に出没される方が何となく恰好[かつこう]がいいと私なりに考えたのである。
「そういうからくりがあったのか。あんたもなかなか隅に置けない人だね」
といっと渥美さんは笑った。
当時、谷幹一関敬六達と一緒に遊びに来ていた渥美さんには、人生相談に乗ってもらった事が幾度もあった。
私は酒が入ると、当時の自分の心境を愚痴っぽく渥美さんにこぼした事があった。それは元々、舞台の演出家志望であったのが生活のために田舎中学の英語教員になり、インチキ英語を駆使しテレビ洋画の翻訳部に入社し、次にピンク映画のシナリオライター、自分の好色加減を再確認して次にSM作家となり、それだけでは飽き足らず、性倒錯者達を対象にしたSM雑誌を発刊するにまで至った自分の略歴を彼に語って、そんな自分に最近、コンプレックスを抱くようになったといった。
「女房なんか、どうしてあなた、文学をやらないの、と私を小馬鹿にしているようなんです」
と、私が愚痴っぽく語ると、渥美さんは笑って、
「文学作品とか芸術作品といったものは別にあなたがやらなくたって、この世にやる人はワンサといますよ」
というのだった。
あなたが文学小説を書いたって恐らく売れないでしょう。しかし、SM小説を書いたら売れるという事ははっきりしてます。それなら、ためらわず売れるSM小説に徹すべきだと思いますね、と渥美さんはいった。
「正直いって、僕だって寅さん映画が売れるから次から次に出演しているんです。そんな役者でいいのかと自分で疑問を持った事は何度もあります。自分の可能性を自分が狭[せば]めているんじゃないかと思いました。しかし、役者とは大衆に支持されるものなら、どんどん出演すべきだと思います。大衆に悦ばれ、支持されるものに出演するという事、これは役者冥利に尽きるものです」
目黒のお化け屋敷で渥美さんに、自分が好む、好まないにかかわらず、お客が悦んでくれる限り、SMものをどんどん書け、と意見された言葉は、今でもはっきりと耳の底に残っている。