(巻二十一)六月が来てだらだらと物を食う(田中朋子)

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1月28日月曜日

しんしんと寒い一日ですが、幸い自宅に籠っております。

思ふこと書信に飛ばし冬籠(高浜虚子)


級友の小泉さんから「休業のお知らせ」という葉書を頂いた。小泉さんとは高校の同級で帰り道も都電23系統でいっしょだった。

行く春や都電は音を轢きながら(増田守)

氏は区役所に入り、同じように定年まで勤務されたのであります。
ここから先は推測になりますが、役所勤めのうちから蕎麦打ちの修業につとめたのでしょう。退職後「そばカフェ」を開業したようです。
こう言ってはなんですが、“武士の商法”でいつまで持つかと思っていましたが、今年の年賀状もお店から来ていましたので商売も順調で何よりと思っておりました。

そこへ「休業のお知らせ」が届いたのです。

“さて、突然ではございますが「そばカフェ」は2月2日をもちまして休業させていただくこととなりました。以前から痛めていた右肩が更にひどくなり、医師から静養を勧められました。蕎麦屋の職業病は腰痛と思っていたのですが、私の場合肩だったようです。蕎麦屋はお休みしますが、また、何らかの形で皆様にお会いできたらと思います。”

とあります。(抜き書き)

商売は順調のようでしたが、蕎麦が打てなくなってしまったようで、さぞ無念でしょう。

熱燗の夫にも捨てし夢あらむ(西村和子)

高校卒業のときの夢が蕎麦屋だったわけではなかろうが、役所勤めの傍ら腕を磨いたのだろう。
形にまで持ち込んだのだから大したものだ。

休業だから、再開もあるだろう。

花のみを待つらん人に山里の
雪間の草の春を見せばや
(藤原家隆)

朝日俳壇から:

寒燈やひとりの音に独り住む(白根純子)
*白根さんもお歳をめされたのかな?十年くらい前の句と随分変わったなあ。

不用意に出で来し旅の忘れ雪(高柳和弘)

*相変わらずお見事でございまして、“不用意”がよろしいですなあ!

病みぬけし夫と見てゐる除夜の星(鈴木しどみ)

*“病み抜く”は“生き抜く”と同じようにつかうのでしょうか。ネットで調べたら2010年ころからあることばのようでした。

老い愉し二つに見ゆる初日の出(吉田敦子)

も眼が危ないような気がします。コチコチ読書も量を加減します。


「なべ - 林屋辰三郎・梅棹忠夫多田道太郎加藤秀俊 共同討議録」中公文庫 日本人の知恵 から