(巻二十四)草・蕨・鶯・桜・餅の春(山岡猛)

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2月10日月曜日

古新聞を集積場所へ持っていく途中のエレベーターでヤクルトおばさんといっしょになった。「今日は風がないからいいですよね!」と明るく話し掛けてきて、その声も軽やかである。最初はヤクルトおばさんとは気が付かなかったがジャンパーにSWALLOWSとあったので、あっ、そうかと理解した。

来ることの嬉しき燕きたりけり(石田郷子)

どの階の老人かは分からないが、そこへ配達した帰りであろう。独居であれば 安否確認までしてくれるらしいし、第一、人と言葉を 交わす機会の少ない老人であればこのような短い会話でも癒しになるだろうと思う。

独り居の二軒並びのそぞろ寒む(西村泉)

集積場所に入ると『宮本武蔵』、『徳川家康』、など歴史大河小説や文庫本が百冊ぐらい十字に縛られて新聞回収棚に置かれていた。『塩月弥生子の冠婚葬祭入門』新書版も括られていたから昭和も四十年代、五十年代の蔵書だろう。
何で処分したのか?読み手がいなくなったのか?

父の日の捨ててよい本残す本(相馬晃一)

笑いについて、細君から「笑い方を忘れたからでしょ?面白くなくても一日十回笑いなさい。笑い方を思い出せば笑えるようになります。」と言われた。ついでに「いい息子と、いい奥さんがいて、親はもうみんないないんだから悩み事なんかないでしょ!感謝しなさい!」と追い打ちをかけられた。

稲妻や笑ふ女にただ土下座(正津勉)

細君が云うに、「毎日、一、十、百、千、万を実行しなさい!」とのことで、十は十回笑うことだそうで、千は千字書くことで、万は万歩だそうだ。あとは忘れた。
夕食の支度を手伝いながら“一”と“百”について再度訊ねたら、読と深呼吸だと教えられた。これを記した短冊がかかりつけの病院の待合室に掛けてあるそうだ。

とじ傘

午後は寒さも緩み南の生協へと歩いた。飲料の棚にヤクルトはあったが思いのほか小量小品種であった。乳酸飲料もco-op印の商品が多い。
そんなことを考えながら買い物をしていたので、ヨーグルトと牛乳を間違えて買ってしまい、牛乳が三本も溜まってしまったと叱られた。
注意力が落ちてきているのだ。目の前の事だけに集中しよう(反省)。
素直に謝ったら、今日のところはあまりグチグチ言われなかったが、いずれ蒸し返されるだろうなあ~。

童めく夫と草引き捗[はかど]らず(中山倫子)

豚とキャベツのスープをいただいた。醤油にネギを刻み入れたらしいタレをかけていただくのだが、これも美味しい。

くたくたとキャベツスープを煮て二人(松本広子)

本

「さっさと満足して死になさい - 中島義道新潮文庫 私の嫌いな10の人びと から

を読みました。

《 しかし、以上の二タイプよりははるかに私の趣味に反する(だから大嫌いな)のは、そしてたぶん数もずっと多いのは、次のような人です。彼女は、心底「わが人生に悔いはない」と信じており、健康にも恵まれ、夫にも子供たちにも恵まれ、あとは、みんなの迷惑にならないようにぽっくり死ぬことができたら、と真剣に考えている。そこには、無理も技巧も何もない。人生、もうそんなに生きていたくないし、「お父さん」と一緒にお墓に入れればそれでいい。自分が死んだあと、家族そろってお彼岸にでもお墓参りに来てくれれば、言うことはない。こういう「普通教」の信者とも言うべき筋金入りの「いい人」が、私にとっていちばん苦手。とはいえ、こういう人は、- イスラム原理主義者と同様 - 私とは異世界の住民ですから、そう信じて死んでもらうほかはなく、ただ私としては、厭[いや]だ、厭だ、嫌いだ、嫌いだ、と言いつづけるほかありません。》

細君との力関係が構造的に変化してきているが、やむを得まい。そんな一日を無事過ごせたことに感謝します。
人生、棺に入るまでは分からないと言います。まだ棺があるうちに入ってしまいたいのでよろしくお願いいたします。
あたしは、中島先生が嫌いな

《 あとは、みんなの迷惑にならないようにぽっくり死ぬことができたら、と真剣に考えている。そこには、無理も技巧も何もない。人生、もうそんなに生きていたくないし、 》

のこれです。コレコレ!そして中島先生によればコレは全然めずらしくない死生観なのでありますよ!

「「安楽死」夢想(抜き書き) - 新藤兼人」新潮文庫 ボケ老人の孤独な散歩 から

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「「安楽死」夢想(抜き書き) - 新藤兼人新潮文庫 ボケ老人の孤独な散歩 から

シナリオライター八住利雄氏が五月二十三日亡くなった。八十九歳だった。亡くなる数日まえ胸の痛みをうったえて近くの病院へはいった。家は成城である。わたしは二十三日の朝、危篤という連絡を受けて駆けつけた。すでにシナリオ作家協会の人たちが数人集まっていた。二人相部屋の病室で、八住さんはベッドで酸素吸入を受けていた。
枕許には医師も看護婦も見えず(モニタールームで見守っているはず)、八住さんは静かに寝入っているふうだった。そのおだやかな表情はあと二、三時間で亡くなる人にはとても見えなかった。
わたしたちは待合室で待機した。新築の大病院はまるでホテルのようだ。広い待合室にはいく組かの面会者がいて談笑で賑わっていた。大型テレビがあって子どもたちがはしゃいでいる。死を待つ八住さんと、待機しているわたしたちの間には明らかに断層があって、つながりに乏しかった。こういえのもいいなあ、と思った。
シナリオではよく、死の枕辺に駆けつける関係者の涙のシーンを書く。八住さんも何べんか書いたはずだが、いま八住さんの臨終は、そんなじめじめしたものではない。からっとよく乾いている。
このなんとも爽やかな雰囲気は、八住さんの人柄によるものだろう。戦後凄まじい勢いでシナリオを書きまくり、まるで機械のように完成日を正確に守り、見事に内容を掌握して、すぐ撮影にかかれるシナリオを書きに書いた。
十数年まえ、ぷつりとシナリオを書くのをやめ、自ら元シナリオライターと名乗ってシナリオ作家協会の理事長をつとめ、日中シナリオシンポジウムなとに尽された。まことに理想的な老年を過されたといっていい。
たおれて病院へ運ばれるとき、ああ、つまんねえ、と呟かれたそうだが、何がどんなにつまらなかったのが。
 
二日のちの五月二十五日、わたしの身辺にもある出来事が起きた。
『流れる』という芝居の最中に山田五十鈴さんが倒れた。大阪の上六の近鉄劇場での出来事である。東京にいるわたしがなぜそれを知っているかというと、妻である乙羽信子がこれに出演しているからだ。付人から連絡があった。
『流れる』は三月四月と東京芸術座でやって五月は大阪となった。三カ月ぶっ通しではお疲れだろうと思うが、こんなことは芝居の世界では常識である。幸田文の原作を平岩弓枝が脚色、戌井[いぬい]市郎演出で、主なる出演者は山田五十鈴杉村春子乙羽信子である。杉村春子山田五十鈴の顔合せというのが売物。杉村春子さんは八十いくつ、山田五十鈴さんは七十の半ば、乙羽信子は六十半ば、ときては合計ざっと二百二十五、六歳である。
芸者の世界で華やいだ舞台がつづき、動きは多いし、セリフはたんまりある、これをまあ二百二十五、六歳が三カ月もやってのけるのだからバケモノの世界である。
大阪での五月二十五日の夜、大詰近くなって山田五十鈴杉村春子と、杉村のむかしの旦那の息子の芝居になる。杉村の芸者染香がむかし世話になった旦那に手紙を出して無心をする。むかしの旦那は半身不随のボケ老人になっていて、その息子が父に代って五十万を送ってくれ、さらに残りの五十万を持ってきてくれる。しかしそのとき染香には蔦吉の山田が用立ててくれていて五十万は必要なくなっている、という三人の芝居。
で、染香が「蔦ちゃんが、この家、売ったお金の中から用立ててくれたのよ。だからもういいの」息子が「ほんとうですか」そこで山田のセリフ「本当よ、染香ちゃんは蔦の家には本当によくしてくれたんだから、この家売るときは、そのくらいことはしてあげるつもりでだったのだから.....」と言うのだが、「本当よ、染香ちゃんは」と言ったきり黙っている、見れば顔が能面のようだ。杉村さんがセリフのようにとりつくろって「蔦ちゃん、どうしたのよ」と促したが、「本当よ」と言ってあとが出てこない。
乙羽は出番を待って袖から見ていて、すぐに異変に気がついた。杉村さんが「蔦ちゃん、しっかりしてよ」と言ったが、山田さんは何も言わない。急遽暗転幕を下ろして、一同が駆け寄る。山田さんはうわ言のように「やります、大丈夫、やるわ」と言っている。
そこで幕を再びあげて、続行しようとしたが、「本当よ、染香ちゃん」と言ったきり次が出てこない。杉村さんが決断して、幕を下ろした。観客席に案外動揺がない。それほど舞台では沈着なことが行われた。
山田さんを楽屋に運んで寝かせ、観客には事情を説明した。観客のなかに杉村さんのファンがいた。この夫人は『流れる』を見るのは三回目という熱心な杉村ファンで夫は医者だった。その人が楽屋へ駆けつけ、乙羽が持っていた血圧計で計ると二〇〇という数字を越した。山田さんはもうものが言えない。
救急車が呼ばれ、山田五十鈴は「すみません、すみません」と口を動かしながら近くの日赤病院へ運ばれた。軽い脳溢血であった。
その夜十時ごろ、ホテルの乙羽の部屋に電話がかかってきた。十階ふ上ってきてくれという。乙羽は寝るところだった。十階の部屋には興行関係者と平岩弓枝がいた。山田の代役をやってくれと言われて乙羽はびっくり。明日一日休んで稽古をし、あさってからやってくれとのこと。平岩さんも傍らから是非とも助けてくれと。芝居は一日一千万の興行、あと昼夜で五回残っているから五千万の穴があくと必死の懇望。やらないわけにはいかなかったと乙羽はいう。舞台は助けあい、倒れたひとを見捨てるわけにはいかない。
翌二十六日は徹夜で稽古をやった。三百五十五のセリフがある。これを一日であたまへたたきこまなきゃならない。眠ろうと思っても眠れない。一睡もしないで二十七日の舞台へあがった。杉村さんはじめ裏方一同の熱い視線が集まった。観客は事情を知っていた。宝塚出身の乙羽には大阪のファンが多い。同級生や先輩後輩が心配して駆けつけた。
乙羽が一言喋るごとに観客席から熱い吐息がもれた。一くぎりごとに拍手がわいた。しっかりやれという拍手だ。相手役の杉村春子がリードした。舞台と観客が一体となって芝居を盛りあげた。乙羽はこういう熱気ははじめてだという。五回の公演が無事すんだ。元気な三老人の物語りである。山田さんは無事回復し、杉村さんはもう次の芝居の稽古をしている。
 

再The origin of eyelashes, February 28th 2015 P67 (睫毛)

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再The origin of eyelashes, February 28th 2015 P67 (睫毛)

 

Eyelashes, as any would-be femme fatale knows well, are seductive. But that is probably not their main purpose. Men rarely flirt by fluttering their eyelids, yet they have eyelashes, too. Moreover, the market for false lashes suggests that if seduction is their principal job, they are not as good at it as they could be. Surprisingly, the real reason eyelashes evolved has remained unknown. Research shows that those who lacks lashes, which some people do, suffer higher than average rates of eye infection. But exactly what this and how it works have mysteries. Some people hypothesise that lashes protect eye from falling dust. Others think that they act rather like an animal's whiskers - detecting foreign bodies before they can do harm, and triggering a protective blink. David Hu of the Georgia Institute of Technology and his colleagues think they have cracked the problem. Eyelashes do not protect eyes directly, they believe. Rather, they change the flow of air around the eye in ways that stop dust and other irritants getting in, and moisture getting out. The crucial observation that led Dr Hu to this conclusion, which he reports this week in the Royal Society Interface, was that no matter what species of mammal he examined (and he studied 22 of them), the length of its lashes was on average a third of the width of its eye. This suggests an experiment. To conduct it, he and his team built a small wind tunnel, and also models of eyes that could have their ersatz lashes swapped for ones different lengths. Using these, they studied airflow around and through the lashes, how that affected evaporation from the model eye's cornea, and also how many particles (in the form of dust-sized drops of coloured water) settled on the cornea's surface. They then used fluid mechanics to try to work out what was going on. Nature has, it turns out, arrived at the optimum eyelash length to keep the cornea moist and dust-free. By reducing airflow over the cornea, eyelashes create a boundary layer of slow-moving air. That stops dust getting through, and also promotes water retention, since moisture is not blown away. Up to a point, the boundary layer grows thicker as the lashes grow longer. But long lashes also act as a funnel, channelling moving air into the eye and disrupting the protective layer. The thickest boundary layer comes when there is a one-to-three ratio between lash length and eye width. Eyelashes have, like many other bodily features, acquired a second function as a signal. But their main job, it would seem, is to be a wind break.

 

 

(巻二十四)花は葉に肩書捨てし男かな(山下しげ人)

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(巻二十四)花は葉に肩書捨てし男かな(山下しげ人)

2月9日日曜日

朝、ミカンの鉢に水を遣るが、水の摂取量が少しずつ増えている。
寒い寒いとは思うが底は脱したのだろう。

とじ傘

北風のなか散歩に出かけたが、生協のイートインは土日混雑だし、図書館も土日は来館者が多い。 近所を一回りして買い物だけして家に戻った。

地球
ベスさんが顔本に面白いというか、あたしなどは苦笑を禁じえない写真をポストしたのでご紹介いたした。

ぎようぎようし口から先に生まれたか(一茶)

笑うことは健康によいということだが、笑えることが見つからない。読む本もユーモア系の

「「ピーナツのなぞ」を追って - 東海林さだお」文春文庫 タコの丸かじり から

《 「ナットウは糸を引くが、ピーナツはあとを引く」という名言がある。(さっき、ぼくが作ったんだけどね)
ピーナツをなんとなく食べ始めて止まらなくなった、という経験はだれでもあると思う。
タツでテレビを見ていて、ふと目の前にピーナツの袋があるのを発見する。
何気なく手を出し、「ほんの二、三粒」のつもりで食べ始めると、これが止まらなくなる。二、三粒どこらか、ふと気がつくと、すでに三十粒ほど食べていて、目の前に大量のカラや皮が散乱していてびっくりすることがある。 》

を捲ってみたが、笑えない。

笑ひ茸食べて笑らつてみたきかな(鈴木真砂女)

ヘッドホン

先週放送されたBBCの番組には聴きたくなるものが多い。
Crowd  Scienceでは薬の起源がテーマであり、比較的分りやすい英語だ。Money Boxでは結婚式とレセプションの費用が話題だ。思っていたより金を掛けている。Food Chain は小麦アレルギーがテーマだが、これはちょっと手強そうだ。
解らないところで腹を立てずに、解るところを少しずつ増やしていきましょう。趣味の暇潰しなのですから。

夕食は炊込みご飯と肉団子のスープでとても美味しく戴いた。団子はあたしが拵えました。計量スプーンの大と小で作ります。小で掬って大スプーンの中で大の底の丸みを利用し転がすようにして団子にいたす。
初めのうちは小スプーンで適量を掬うので小さめの団子ができるのであるが、段々と掬う量が増えて後になればなるほど団子は大きくなる。横着になり、さっさと終わらせたくなるのは、これは致し方無い。

寒かったけれど、不自由なく一日を過ごせました。感謝します。細君より早く、ふ~っと消して頂ければ、そちらも感謝します。
細君には妹がいますから残ってもなんとかなるでしょうが、あたしゃ白骨死体。死んだ後のことだからまっいいか。


「俳人子規の死 - 野村胡堂」中公文庫 胡堂百話 から

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俳人子規の死 - 野村胡堂」中公文庫 胡堂百話 から

尾崎紅葉正岡子規は、共に葬式の模様を覚えている。
紅葉の場合は、鼻眼鏡の石橋思案が、弔辞を読んだ姿だけが妙に印象に残っているが、正岡子規の死んだ時は本当に泣きたい気持で、駆けつけたものである。
盛岡の中学では杜陵吟社と称して行脚までやったり、一高に入ってからは、俳句会の幹事も勤めたほどだから、私の俳句熱も、生涯で最高潮の頃だったのだろう。
根岸庵へ駆けつけると、世話人の手が少なかったのか、私のような学生までが、受付係りを仰せつかった。見知り越しの三、四人と一緒に、玄関に立っていると、新婚間もない久保猪之吉博士が、織江夫人と並んで、清らかな姿を見せたのが印象的だった。
谷中の大覚寺への葬列は、秋の陽の下を、俳人、文壇人の総ざらいであった。柩を埋めて、その上に置いた銅板に「子規居士」と鋳抜いた素朴な墓碑銘が、今もありありと眼の底に浮かぶ。
私は、子規の筆蹟を、手に入る限り集めたが、珍しいのは、夏目漱石から、子規にあてた手紙がある。
子規が大学がいやになって、大宮市の宿屋で、ふてくさっているのに、漱石が心配して出したものだ。教授たちに話をつけて、九月に追試験を受けられるようにしたから、是非帰って来いとすすめたものだ。
それにもかかわらず、子規は中退してしまったが、同じく大学を半途でやめた私は、この手紙が身につまされてならぬのだ。辰野博士にこの話をしたら、
「それはおもしろい。子々孫々に伝えて、家宝にしろ」
と、いってくれた。
子規は、まあ、これくらいにして、田山花袋に逢ったのは、それより大分、のちである。出世作「蒲団」を書いたのが、明治四十年であるから、すでに文名嘖々[さくさく]たるものがあるのに、代々木山谷の家を訪ねるのに、花袋では分らず、本名の田山録弥さんときいて、やっと分った。作家に対する世間の関心が、今とはよほど違っていたのだ。
「あぐらにしましょう。あなたもどうぞ」
着物の裾をぐいと引いて、たくましい足をかかえこむ。そうして、得意のイギリス文学罵倒がはじまる。
「ショウは、皮肉すぎますよ。オスカー・ワイルドも評判ほどでない。イプセンは、テーマに振り回されて冷たすぎる。大体、西洋には、大したやつはいませんが、中でも、イギリスは気に食わないですよ」
これは、花袋の自信力の現われでもあるが、一つには、自然主義を契機とする日本文学の勃興期で、すべての作家の胸の中に、欧米文学なにするものぞの覇気がみなぎっていたのであろう。
「我国の文学界が行きつまったというけれど、そんなことがあるものですか。これから若い人がうんと出て、盛んに競走して行けば、ドイツも、フランスもあんなものはあなた.....」
言っていることは勇ましいが、口調はすこぶる愛嬌があって赤ン坊のように、たどたどしい。前歯が欠けてるせいであろう。
そうして、言葉の一区切りごとに、足首をぐいと、かかえこんであぐらを組み直す。肥りすぎているせいかと思ったが、あとで聞くと、当時の花袋は、長いこと、脚気[かつけ]に苦しんでいたのだった。

再3The decline of golf, December 20th 2014 P105 3/3 (ゴルフの凋落3/3)

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再3The decline of golf, December 20th 2014 P105 3/3 (ゴルフの凋落3/3)

 

Golf has more than itself to blame for its challenges. Its decline is due in part to something even the most meticulous golfer cannot control:the economy. Paying to spend hours getting a white ball into tiny holes with fewer strokes as possible becomes harder to justify during times of economic hardship. In 2008 golf participation and spending slid at private clubs and public courses alike. Since the economy has pick up, benefiting the rich more than the poor, high-end courses in good locations have been doing well, according to Donald Trump, who owns 18 of them. People earning $100,000 or more now make up 45% of all golfers, up from 40% in 2005, according to KeyBanc Capital Markets. The middle and lower classes have been squeezed, which hurts mid-range golf courses and those in sparsely populated areas. Many municipal golf courses have closed, because governments are unable to justify support for golf when they have cut spending on education and social services. Society today is not as friendly to golf as it once was. Men who disappear on Saturdays and palm off child-rearing to their wives have more to worry about than a high handicap. Some clever golf gluttons have tried to interest their kids in golf, in order to justify a weekend round while still getting parental points, but fathers these days are more likely to be taking their children to various sporting activities than taking part in their own. Mr Owens at the Trenton Street Golf Course thinks that the high rate of divorce across America also keeps men from golf, because weekends are when they get to the children. Bringing in and retaining players below the age of 45 is more difficult than at any time in living memory. Millennials in America expect, if not instant gratification, at least near-term rewards. Golf's pay-offs can feel elusive. Dan Wald of the Boston Consulting Group, who advises sports businesses, says that golf video games actually decrease the chance of getting a young person to play golf, because hitting a ball smoothly down a real fairway is so much harder than on a virtual one. Golf has more competition for people's leisure time than ever before. Golf is an old-fashioned sport, obsessed with tradition. People still dress up as though they are auditioning to star in “Caddy-shack”, a 1980 comedy about a stuffy country club. Private golf clubs have not helped their cause by banning mobile devices and enforcing etiquette. One young female golfer complains of being scolded for wearing a tennis skirt when she played golf at an elite club, even though it met length requirements. The game's long history adds to its charm, but has sometimes damage its image. The sport has had a particularly uneasy relationship with women and minorities. One all-male golf club in Scotland had, until a few years ago, a sign hanging outside saying, “no dogs, no women”. (Some members objected to dogs not being allowed in, quips one insider.) The Royal and Ancient Golf Club of St Andrews in Scotland, a club founded in 1754 that supervises the game's rules, voted to admit women only in September 2014. America and golf used both to be racially segregated, but attitudes and demographics have changed faster in the nation as a whole than in the sport. Golf is not alone in struggling to appeal to the young. Participation among young people in many sports is down. Hunting, for example, has declined in popularity. Like golf, it is slow;unlike golf, it involves more real blood than some young people want to see. Those who play sports are specialising earlier, which disadvantages golf, where only the most elite schools have teams. A stunning 80m Americans take part in no sport at all. But those who get off their couch often prefer a rigorous workout, which explains the rise of triathlons, kitesurfing and other activities that leave participants breathless. The tech folk in Silicon Valley have their own athletic customs, such as cycling. Because golf courses have become so long, many golfers tootle around in cars without getting much exercise, rather defeating one of the points of sports.

 

(巻二十四)働いてきた顔ばかり花見酒(山口耕太郎)

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2月8日土曜日

昨日の天気予報でもう開花予報を伝えていたが今年は早く、東京は3月18日ころらしい。
今年も花は咲くのか?
この発想は病気だと自分でも思う。自分でも“おかしい”と思っているうちはまだ大丈夫だろうと自分でも思う。
だが、この“自分で思う”が厄介な代物らしい。

とじ傘

葛飾野高校の裏門を通りかかると野球部の練習の声が響いていた。なぜ響くかというと隣接するURの高層住宅に反響するからである。それはさておき、高校生たちは春の大会、夏の大会があることを疑いはしないだろうし、日々の生活が続いていくと疑わないのだろう。練習するということはそういうことだ。

スポーツの楽しきニュース春立ちぬ(唐澤春城)

“今年も本当に桜は咲くのか?”と思うあたしはやはりおかしいのだ。

夕食の豆腐の味噌汁が旨かった。
昨日の吉楽のカツ丼についてきた味噌汁も旨かったな。
旨かったものを思い出そう。昼に食べたチョコチップパンも旨かった。

本

「死はなぜこわいか - 岸田秀」中公文庫 続ものぐさ精神分析 から

を読んでいる。

《 われわれが恐れているのは自己の終焉である。もちろん、生物学的な意味での死を恐れていることは確かであるが、それは、生命が自己の存在の基盤であるかぎりにおいてであって、それ以上のものではない。たとえば、ある時点で植物人間になり、それから数年後に死ぬとした場合、われわれが恐れるのは、明らかに植物人間になる時点であろう。また、人間は自分の信じているある価値、すなわち自己の存在がかかっているある価値を守るために生命を投げ出すこともあるのだから、生命よりは自己の方がより重要であり、その喪失がより恐ろしいのである。たしかにそういう人間はまれであるが、それは、自己の存在を構成している全体のなかで、ある価値の占める部分が、自分の生命の占める部分より大きい人間がまれであり、たいていの人間は自分の生命を自己の存在のもっとも重要な部分としているからに過ぎない。
したがって、自己というものをもたなかったとすれば、死の恐怖はあり得ないであろう。その意味において、生物学的生命そのものを生きている動物には死の恐怖はないと考えられる。》

人間は面白いかと冬の猫(矢島渚男)

美味しいチョコチップパンをいただき心地よい散歩いたしました。感謝します。
恐怖を感じることなく、自己のない死をお願いします。

即死ゆえ苦痛なかりし人と言ふ
死にしことなき者はかく言ふ(高野公彦)