(巻三十)桐一葉ふと好日を怖れけり(豊長みのる)

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(巻三十)桐一葉ふと好日を怖れけり(豊長みのる)

7月10日土曜日

何年前に詠まれた句なのだろうか?

接種2回目の腫れは1回目より痛かったが、発熱はなかった。倦怠感はあるが今日の気温のせいかだろう。

接種とは関係ないが、前歯がユラユラと弛み始めて気になる。年齢の齢だから衰えは避けられないと諦めるしかないのだ。新柏の加藤歯科なら手早く固定してくれるだろうと電話をしてみたが誰も出ない。ネットの上では存在している。片道小一時間かかるが時間はあるので様子を見に出かけてみた。

2階にある加藤歯科に上がる階段のシャッターは降りており、表通りからガラス越しに見上げる院内に灯りはない。2階に上がる階段の脇に「6月の休診予定」というカレンダーが貼ってあり、半分以上休診になっていた。7月の休診予定の掲示はない。つまりそういうことになったのだろう。

手荒だが手早く処置してくれて、長引かせないのでありがたい先生だったが寄る年波だろうか。腕の良い美形の衛生士さんたちはどうされたのだろう?お別れに車内から一撮致した。これで新柏に来ることもなくなる。

細君は自分の通っている歯医者に行かれては困るらしく、手際よく駅前の他の歯科を調べておいてくれた。その中の一つに寄って予約をした。どこの歯科も同じだろうが予防とか信頼関係とかの口上が掲げられている。相性だからダメだったら他所に行くしかない。

本日は五千五百歩で階段は2回でした。

願い事-叶えてください。

「路地 - 松山巌」日本の名随筆別巻44記憶 から

「路地 - 松山巌」日本の名随筆別巻44記憶 から

路地の中に、蹄の音を響かせて褐色の巨きな奴が、あえぎあえぎ入ってくると子どもたちは息をのんだ。夏の白い光の中、馬は荒い息を何度か吐いて私の家の前にある石置き場の横にとまる。馬は芝園橋脇の石材問屋から石を積んだ荷車を曳いてきたのである。荷馬車の男は、バケツに水を汲んで馬に飲ませ、汗を吹いてやる。水を飲む馬の息づかいを子どもたちは凝っと見つめている。汗がまたふき出す。むっとするけものの匂い。やがて馬は水を飲み終えると、長々と小便を垂れた。子どもたちは、ほわほわと湯気のたつ小さな川が路地の中をゆるゆると流れて行くのを追った。荷馬車の男は笑い、子どもの声は路地の中で弾けた。
三十年も前のことである、いや、そうではなくてたった三十年しか経ってはいない、と私は久し振りに戻ってきた路地の中で考える。私の家は当時、石屋であったから、石を積んだ荷馬車が年に数回やってきたのである。現在はもう既にあの石置き場はなく、そこには十二階のビルが建っている。
路地に、祖父が暮し、父が生れ、私が育った。東京、港区愛宕山下の一角。愛宕山は、東京タワーと日本で最初の超高層ビルである霞が関ビルとのちょうど中間にある。山というよりも丘といったほうが良いような低い山である。
三十年前は、小さな家屋が建て詰っていた町であったが、今ではすっかりオフィスビルが建ち並ぶ町。愛宕山もビル群がその周囲に立ちはだからるようにおおって、表通りを歩くかぎりすっかり見えなくなってしまった。ビルとビルの間をすり抜けるように狭い路地の中に入ると、まだ小さな家屋もあり、長屋も残ってはいる。けれども路地の向うには巨大なクレーン車が操動し、私の姿を見おろしている。十数階のビルが建設中。町には虫が喰ったように空地が到る所で眼につく。空屋も多い。いずれ空屋は取り崩され、小さな空地はまとめられてやがてそこに巨きなオフィスビルが建設される。馬など通るはずもない。
馬が路地にやってきた三十年前を改めて考えれば、東京タワーの建設工事がはじまる直前にあたることに気づく。あの鉄塔の設計図が出来上って敷地の整備工事がはじまっている脇を、褐色の馬は芝園橋から芝公園へと蹄の音を響かせ石を曳いていたことになる。
不思議な時代の推移、過渡期の異様さを私は見ていたわけである。が、過渡期の異様さならば、現在私が眼の辺りにしている光景、長屋が並ぶ路地の向うに巨大なクレーンがそびえている光景もおとることはないのではなかろうか。ただ、私たちはその光景を異様なものとして見ようとはしないだけなのではあるまいか。
やがて、小さな家屋が消えて巨きなビルに変る時、私たちは小さな家屋の建ち並んでいた町の記憶を脳裏から消していく。このビルの建つ場所にたった三十年前、馬が荷馬車を曳いていたことを誰が本当のことと思うだろうか。記憶の手がかりにするものがなくなりつつある。
しかし、私はかつてあった町の佇まいが消えていくことに驚き、単純に懐古的な感傷に浸っているわけではない。建築が時代の要求によって変り、町が変化するのは当り前のことである。私が本当に驚いているのは、小さな家屋や路地の後に建ち並びつつある巨大なビルが私の記憶の世界と対応しきないことである。巨きくて、どれも同じように見えるビルは、名称を憶えることはできても、その姿や建ち並ぶ順序が憶えきれない。かつての町ならば切れ切れながらも私の記憶の中にその姿を立ち上らせ、それぞれの建物の順を憶い出すことができる。ところが、現在の町に建つビルやそのビルの中にある飲食店や喫茶店など私に関係のある場所を憶い出そうとする時、一つ一つの場所は点のように頭の中で浮び上っても、それぞれを繋ぐことができないのである。私の頭の中で町は再現されない。私は実感のない町の中を歩いているに違いない。


イギリスの美術史家、フランシス・A・イエーツは『記憶術』の中で、ローマ時代の雄弁家たちは、町の記憶、建築の記憶を、演説を憶えるのに利用したと記述している。雄弁家たちは、演説をする以前にまず記憶術を学ぶ。この記憶術は、都市の街路に建ち並ぶ建物をまず自己の記憶の中により細かくたたきこむことからはじまる。雄弁家たちは、頭の中で自分の家を、その内部を辿り、ゆっくりと町の中を歩きながら順序通りに一つ一つの建物や広場や彫刻を憶い出し、それを道具としたのである。憶えこんだ建物、場所を彼が語るべき演説のポイントに対応させることで、彼は演説を自分自身が作り上げた筋道どおりに行うことができたのである。イエーツは、この記憶術が、時代の変化、生活の変化が早くなるにつれて必要でなくなり、やがて失われていったと述べている。
失われたのは、記憶術なのだろうか。
イエーツの論を引かなくとも、私は日本にもかつて同様の記憶術が寄席芸に存在したことを知っている。あるいは、この芸はヨーロッパから伝わったものかもしれない。日本の寄席芸の場合、演説はしない、記憶術そのものが芸である。客席から投げられた言葉や芝居のせりふなどを一番から三十番まで順序よく憶えて行く。憶え込んだ後、客席から、十番と声がかかれば、その十番に対応した言葉を述べる。次に十五番とかかれば、同様に十五番目の言葉を述べる。そして最後に一番から三十番、すべての言葉をよどみなく一気に口上して終る。
この芸の秘訣もイエーツが述べている記憶術と同様であるという。一番から三十番までの番号を芸人は自分がよく知っている町の建物やものに対応させて憶えこんでおき、次に客から与えられた言葉をその記憶の場所に頭の中で重ね合せるのである。この記憶術は誰にも可能だというが、私には、本当に可能なのかは分らないし、また実験するつもりもない。ただ、現在、この術は訓練するにはきわめて難しくなっているのではないか、と思う。なぜなら、町の建物や通りに並んだものを憶えこむことが難しくなったからである。
失いつつあるのは、記憶術でも、町の記憶でもない。褐色の馬が入ってきた路地の光景は記憶の中に戻っても、現在の通りの様相は記憶の中に沈んではいかないのである。記憶術が誰でも可能におもえるのは、なじんでいる町の大きさと記憶する能力の容量がほぼ一致していると考えられるからである。それに比して巨大なビルは、私たちがもつ記憶の容れものより大きすぎるのではあるまいか。一つ一つの建物のデザインは確かに個性的であっても、それを順に記憶するには余りにそれぞれが巨大にすぎ、結局はどれものっぺらぼうで没個性的に感じられる。記憶できない、のっぺらぼうな町が生れつつある。
私たちがいま立ち合っている過渡期の異様さとは、巨大なビルと長屋とが併存していることではなく、記憶できる町から記憶できない町への過渡期の異様さに立ち合っていることにあるのではあるまいか。そして、それは町を憶えられないということばかりでなく、私たちの身体に備わった一つの能力、記憶する力の何ほどかを同時に失いつつあるのではないだろうか。

路地を歩いて数日後、私は友人から雑誌の中にある一枚の写真を見せられた。それはフェリス・ベアトーというイギリスの写真家が撮ったパノラマ写真である。撮影時は慶応元年(一八六五)かその翌年。写真は「大名屋敷」と名付けられている通り、幕末の大名屋敷がどこまでも連なる風景を俯瞰している。どの大名屋敷も瓦屋根が美しく統一がとれている。撮影場所は、愛宕山。ベアトーは江戸を俯瞰でかる場所を求めて愛宕山を選んだものと思われる。
写真の風景は私が現在、愛宕山から望む風景とは明らかに違う。瓦屋根が連なる美しさは、もちろん眺めることができない。そのような世界があったと憶い出させるものはなにもない。そればかりか、山の前には高層ビルが建ちはだかり風景をさえぎっている。思えば、私たちはずい分と遠い所まで来たものである。
私はこれからベアトーが撮った幕末から現在にいたるまでの私たちの暮しの変貌を書くつもりである。百年以上の間にどれほど遠くまで、私たちの暮しが行きついたかを書こうと思う。ただし、百年前の大名屋敷の美しさを懐古的に讃えることが問題ではない。肝腎なのは、大名屋敷はまったく見られないが、それを写したカメラという機械は現在、誰もが手にできるようになったことであり、百年前すでに今ではまったく見られぬものと今ではありふれてしまったものの二つが併存していたということである。
私たちはおそらく美しい家並みがあった時から、多くのものを得たかわりに少しずつ何ものかを失い続け、そして現在、もしかすれば記憶できる風景と風景を記憶する能力のいずれをも少しずつ失いかけている。そして、さらに重要なことはこの少しずつ失っていったものが何であるのかをすっかり忘れてしまっている点である。失ったのではなく“奪われていった”のではないかという思いもある。
過渡期をすぎると失ったものは忘れさられる。すぐにそれが何であるのかさえ分からなくなってしまう。しかし、過渡期に生じた生活のズレは現在まで何らかの痕跡を少なからず残しているのではないだろうか。ズレが分からないのは現在では当り前として気づかぬからではあるまいか。私は各時代に起きた生活のズレを探す。そして、そこに暮しの断面を見て、それをインテリアと呼ぶことにしたい。私が探すのは、華やかに飾りたてられたインテリアではなく、失われ忘れさられたもう一つのインテリアなのである。

 

巻二十九立読抜盗句歌集

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巻二十九立読抜盗句歌集

きつかけがあれば木の実は落ちてくる声をかけても笑いかけても(阿部芳夫)

衣食住足りて小犬の糞ひろう(深沢明雄)

四十雀拝観料をとらぬ寺(麻香田みあ)

逃げていてくれし狸や狸罠(鶴丸白路)

胆石の写つていたる初写真(土井田晩聖)

早起きは三文の徳殊に夏(高澤良一)

声掛けて体位交換花は葉に(岩永千恵子)

時の日や一分おくれを正しけり(稲葉雄峰)

鳥帰る土産忘れし急ぎ旅(本宮珠江)

炎天に一樹の影の地を移る(桂信子)

活版の誤植や萩に荻交る(正岡子規)

期財布ハンカチ小銭入立夏(川崎展宏)

池の鯉逃げたる先で遊びけり(永田耕衣)

気分転換ばかりしている天道虫(榊きくえ)

薄目してみゆるものあり昼蛙(伊藤卓也)

真白な干大根の一日目(太田土男)

豚汁の後口渇く蜜柑かな(正岡子規)

言ひ負かす事の面倒冷し酒(宮崎高根)

くずほれて砂に平伏す土用波(鎌田光恵)

黴なんぞ一吹きで済む世代なり(原田達夫)

芋虫の逃げも隠れもせぬ太さ(本間羊山)

行き行きてたふれ伏すとも萩の原(河合曾良)

もったいないが今も信条終戦忌(深井怜)

初生りの蜜柑初生りらしきかな(梅村文子)

伏す鹿の耳怠らず紅葉山(小島健)

人愚なり雷を恐れて蚊帳に伏す(正岡子規)

星一つ失ふ宇宙流れ星(小山内豊彦)

裏窓に補正下着と風鈴と(松永典子)

つかぬ事問われていたる残暑かな(中山妙子)

ほろ酔の足もと軽し春の風(良寛)

左右より話一度に日短(五十嵐播水)

噺家の扇づかいも薄暑かな(宇野信夫)

何たる幸せグラタンに牡蠣八つとは(守屋明俊)

しぐるるや近所の人ではやる店(小川軽舟)

極東の小帝国の豆御飯(上野遊馬)

小当たりに恋の告白四月馬鹿(中村ふじ子)

夕立や樹下石上の小役人(小林一茶)

爪汚す仕事を知らず菊膾(小川軽舟)

黙々と襷の走者息白し(伊藤典子)

わが旅も家路をさしぬ都鳥(下村梅子)

不器用も器用も一生去年今年(榎本木作)

皸(あかぎれ)の妻おのれ諸共あはれなり(石塚友二)

おとろへしいのちに熱き昼の酒(結城昌治)

豆飯の豆の片寄る懈怠かな(宮内とし子)

証券に長けたる女西鶴忌(田島もり)

道楽を許さぬ家訓かまど猫(市川英一)

自らは打てぬ終止符水中花(卜部黎子)

女房の妬くほど亭主もてもせず

春の町帯のごとくに坂を垂れ(富安風生)

秋の夜を忍んで日劇ストリップ(高澤良一)

衣更え遠回りして一万歩(佐々木寿万子)

迷惑をかけまいと呑む風邪ぐすり(岡本眸)

電文のみじかくつよし蕗のたう(田中裕明)

間髪の言葉もう出ず露の草(渕上千津)

冬ごもり厠の壁に処世訓(中神洋子)

船魂を抜きたる船や土用あい(御木正禅)

葛飾や残る水田の濁り鮒(大竹節二)

ジャンパーを椅子の背に掛け六十五(鈴木鷹夫)

酒瓶のどれも半端に桜桃忌(近藤北郷)

車引き車引つつ過ぎにけり(勝海舟)

落葉して地雷のごとき句を愛す(矢島渚男)

分からん句その儘にして冷やかに(田中吉弘)

子の無くて一期の不覚ぶだう食ふ(小林博明)

撃たれたる夢に愕く浮寝鳥(高橋悦男)

電脳の反乱近しガマ(漢字)が鳴く(畑山弘)

ああ小春我等涎し涙して(渡辺白泉)

公傷さへ油断といふか蟻地獄(安田杜峰)

凍返る瀧の不動の面構(野間ひろし)

勤勉が身の破滅にて蟻の列(水谷郁夫)

裏返る自負の暗みに亀鳴けり(老川敏彦)

重大なミスをつるんとなめこ汁(川崎益太郎)

しばらくは風を疑ふきりぎりす(橋間石)

一言に気分害しぬなめくじり(高澤良一)

いつわりの巧を言うな誠だにさぐれば歌はやすからむもの(橘曙覧ーあけみ)

右の手もその面影もかはりぬる我をば知るやみたらしの神(鴨長明)

台風の中へ覚悟のハイヒール(有坂裕子)

秋袷夫買ひくれしを大切に(稲垣光子)

俳諧道五十三次蝸牛(加藤郁乎)

豆まきの豆もてあます齢かな(泉陽子)

些事大事あまさず告げぬ新社員(岩瀬善夫)

受持は馬屋と決まり煤払ふ(伊藤句磨)

命かけて芋虫憎む女かな(高浜虚子)

作法なき一人手前やほととぎす(野々上久去)

雪掻いて七十歳の五十肩(五代儀幹雄)

身の錆を洗いなが して菊の酒(清水うめを)

熱燗や出逢へる人を大切に(高澤良一)

妻よ五十年吾と面白かつたと言いなさい(橋本夢道)

本心は言えぬ男の鰯雲(村山陽出於)

いつか来る死といふ大事山眠る(三枝青雲)

少しだけ大切にされ春の風邪(樋口ひろみ)

やさしくて人に喰はるる鯨かな(長谷川櫂)

ひきずられ出てゆくおでん屋台かな(清水はじめ)

酔いたい酒で、酔へない私で、落椿(種田山頭火)

帰り来て別の寒さの灯をともす(岡本眸)

耳遠くなりし庭師や松手入(松本みゆき)

形よき排泄ありぬ冬近し(中井春男)

色変へぬ松一本の教へかな(山口耕太郎)

鰭酒やすでにひとりの別世界(高橋寛)

麺なれば何でも冷えてさえをれば(古田紀一)

マネキンの全裸の眠り稲光(中澤昭一)

教材で欠伸隠して夏期講座(辰巳比呂史)

少しだけいい酒買つて秋刀魚焼く(末永拓男)

年金の暮らしそれなり冷奴(会田恥芽)

この話初めてすると生身魂(成光茂)

新米や妻に櫛買ふ小百姓(正岡子規)

無常迅速生死事大と萩咲けり(高澤良一)

木枯でやはり女は来なかった(新宿転石)

二枚舌だからどこでも舐めてあげる(江里昭彦)

(巻二十九)二枚舌だからどこでも舐めてあげる(江里昭彦)

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(巻二十九)二枚舌だからどこでも舐めてあげる(江里昭彦)

7月9日金曜日

本日の句をもちまして巻二十九の読み切りでございます。追って一挙掲載いたします。

細君もだいぶ調子が出てきたようで家計費仮払いの精算をした。5月初旬から2ヶ月間で住民税や健康保険や医療費を含めて支出額は四十万弱であった。純然たる食費だけなら月7~8万くらいかな。50代前半のころ退職準備研修があり、講師のお話の中では自己実現の費用が比較的大きな割合で計上されていた。自己実現、つまり趣味とか付き合いに掛かる金だが、我が家計においてはこの支出は少額である。実現したい自己などなく、したいことと云えば草餅を喰らうことくらいになってしまった。ICレコーダーやイヤホンやネット料金は通信費というよりは自己実現費用になるのかな。

身に入むや息を殺して老いに入る(をがわまなぶ)

午後、雨の切れ目に2回目に出かけた。先ずは病院の花壇を一撮致した。体温ほか問診を済ませて、接種いたした。前回は針さえ感じなかったが今回はチクリとした。接種後の待機で接種を受けた人を見回すに、64歳以下の方も結構いた。

本日は二千歩で階段は2回でした。

願い事-叶えてください。目覚めたくない。

「死の不安・恐怖への対処法は死について語りあうこと - 西部邁」

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「死の不安・恐怖への対処法は死について語りあうこと - 西部邁

かつてルクレティウス(前九四~前五五、ローマの詩人哲学者)が宗教の発生を論じて、人間の不安・恐怖を緩和しようとして宗教が創られたのだといった。たしかに、人間の死をめぐって宗教的な儀式が発達したについては、死にたいする不安・恐怖の意識があったに違いない。その不安や恐怖の緩和策が儀式として慣習化され制度化され、そのなかに自分の精神を閉じ込めているかぎり、死とは何か、死とともにやってくる無とは何か、などと考えなくて済んでいた。
しかし、そういう死にまつわる儀式・制度は昔のような形には復活しえない。なぜかといえば、人間がその儀式の意味するところをすでに知ってしまったからである。死の不安・恐怖の解決策だと知ってしまったら、その儀式・制度に自分の精神を埋没させることができない。たとえば、死後の自分は「あの世」にあるわけではないし、輪廻転生で他の生命に蘇[よみがえ]るわけでもないと知ってしまった以上、死の不安・恐怖は死をめぐる宗教的儀式によっては解消されなくなる。このことが最も強く現れるのは、人間の精神について考えることを仕事としているもの、つまり知識人においてである。知識人が死の不安・恐怖にもっとも苛[さいな]まれているのは、彼らが死について語ることが多かったからにほかならない。
いや、現代人は、主として学校や情報機関を通じて何ほどかは知識人になっているのであってみれば、死の不安・恐怖に悩まされているのは現代人なのだということもできる。あっさりいうと、死んでしまえば、自分の身体は単なる物質になり、自分の精神は無と化す、と正しく知らせたのは知識だということだ。
そういう意味では、知識人は死の儀式を破壊してきた。そういうことをしておきながら、大方の知識人は、自分は家族に見守られて死にたいとか、自然に溶け込んで死にたいなとと呟[つぶや]いている。そういう知識人の自己慰安は許されてよいものではない。
というのも、家族の制度や自然の体系の破壊を率先したのは知識人だからである。家族は自由の妨げであり、自然は技術によって切り取られるべき対象である、という考えを知識人は推し進めてきた。それなのに家族や自然によって自分を死の不安・恐怖から守ってもらおうというのは、どだい虫がよすぎるし、またそういう便利な家族や自然はもはや姿を消したのである。
そうならば、現代人は、死の不安・恐怖が何を意味するかについて、精神を奮い起こして語ったり書いたりすることによって、自分の死について自己了解を試みるほかに手はないのではないか。書き言葉にせよ話し言葉にせよ、他者とのコミュニケーションのなかで行われるものであるから、死についての自己了解は他者との共同了解を何がしかは伴う。つまり、自分の関係者との共同了解をとりつけるというやり方だけが、現代人に残されている死の不安・恐怖への対処への対処法である。
そしてその対処法の中心には、どういう死の形を選びとるかという問題が据えおかれている。つまり、自分の死を直視するほどに自由になってしまった人間の精神は、おのずと、どういう死を選択するかという自由の問題に直面せざるをえないのである。

(巻二十九)木枯でやはり女は来なかった(新宿転石)

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(巻二十九)木枯でやはり女は来なかった(新宿転石)

7月8日木曜日

3ヶ月ぶりに美容院へ行くと云うので送り迎えを致した。一人でも行けないことはなさそうだが、安全第一である。

BBCをICレコダーに落として聴いている。ソニーオリンパスのを一台ずつ持っていて一台壊れても不自由はないが、念のためにソニーをもう一台備蓄することにした。

細君の仕上がりを待つ間に量販店に行ったが、ICレコダーなどという遺物の在庫はなく、メーカー在庫も無いらしく1ヶ月待ちでの取り寄せをお願いした。Podcastも何もかもがスマホで済むのだから他の機器ははすべて遺物になってしまう。

朝寝して時代遅れの予感かな(中西恒弘)

本日は四千二百歩で階段は2回でした。

願い事-叶えてください。生死直結が願いだな、やっぱり。

「趣味に生きても虚しい(抜書) - 小浜逸郎」死にたくないが、生きたくもない。から

趣味に漂うもの悲しさ

いったいに「趣味」という営みには、どこかしら根源的な「寂しさ」「もの悲しさ」が

漂っている、と感じるのは、私だけのひねくれ根性がなせる技だろうか。

好奇心旺盛な子どもや青年のころは、ある程度まで何かの趣味に没頭できる。「遊びをせむとや生まれけむ」というのは子どもの特質の一つである。だから、後先顧みずに何かに飛び込んで、気づいてみたら、けっこう「病膏盲[やまいこうもう]」の境地にたどりついていたということが多かれ少なかれあるだろう。

しかし、およそ趣味というものは、余暇として与えられた時間を埋める試みであり、孤独を慰める営みである。趣味が高じて仕事になってしまう場合は別だが、仕事にはならないから趣味なのである。仕事にはならないということは、社会への基本的な開かれとは別の領域でそれを追求するほかはないということだ。

趣味は、直接的には、他者とのかかわりをめがけず、何らかの「事物」をめがける。だからおよそどんな趣味でも、やろうと思えば一人で追求できるのである。

麻雀やゴルフや囲碁将棋や社交ダンスのように、一見相手がいなくては意味がないと思えるような趣味でも、一人の世界に入り込むことを許す。それが仕事ではなく趣味であるというまさにそのことのために、「仮想空間」を設定できるからである。

人間の本来の営みとは何か。恋愛や結婚生活や労働である。趣味は、これらの本来の営みの外側にある。それは、あくまでも生活の中心からは浮き上がっている。

と、こう言えば、当然、次のような反論が返ってくるだろう。

何を言っているのだ。人は何かの趣味を通して人間的な出会いを実現できるではないか。現にあらゆる同好の士の集まる場所に人は群れ集い、じっさいに豊かな人間関係をたくさん得られているではないか。趣味が楽しいゆえんは、それを通して、人との出会いがあるからこそなのだ......。

これはまったくそのとおりである。私は、多くの趣味にはそうした効用があること、人が結局はそういうことを求めているのだという事実を全然否定しない。そういうことが実現できる人、持続でかる人はそれでいい。けれども、それとてもそう簡単ではない。

まず第一に、「人間的な出会い」なるものが変に高じて、マイナスの方向にこじれてしまうことも多い。だれもがうまく人間関係の距離を保てるわけではないからである。「あの人がいるために、このサークルはうまくいかない」等々。そうなると、群れ集うことから撤退しなくてはならなくなり、好きであったはずの趣味そのものにも嫌気がさしてしまわないだろうか。

また第二に、その趣味自体に飽きてしまったらどうするのか。

いろいろなことに手を出してみればいいじゃないか、そのうちに自分の身に合った、簡単には飽きないような趣味が見出せるかもしれないでしょうという意見も傾聴に値する。しかし、もともと無趣味であった人にとって、たやすくそういうものが見つかるかどうかが問題なのである。

(巻二十九)無常迅速生死事大と萩咲けり(高澤良一)

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(巻二十九)無常迅速生死事大と萩咲けり(高澤良一)

7月7日水曜日

「この天気では乙姫さまたち逢えないわね。」と朝一でボケをかまされた。

好な子に好な子の居り星今宵(松沢季?)

コメントせずに様子を見ていたら“彦星と織姫”に治ったので大丈夫だろう。

午後、新しい散歩靴で散歩に出かけた。親水公園の水路には水が張られていた。日射しはなかったが蒸し暑く気持ちのよくない汗をかいた。コンビニでアイス最中を買ってみたが前歯が弱くなっていてなかなかうまくかじれない。情けない話だ。

本日は三千八百歩で階段は2回でした。

願い事-叶えてください。

謹白大衆

生死事大

無常迅速

各宜醒覚

慎勿放免

だそうです。

目覚よ、無為に時を過ごすな。

と言われても困る。静かに時間を止めてくださいまし。