「食わざるの記 - 結城昌治」日本の名随筆59菜から

「食わざるの記 - 結城昌治」日本の名随筆59菜から

世間には食通といわれる人が多い。近年の文壇に限っても、吉田健一氏、故檀一雄氏、池波正太郎氏らの名前がすぐに浮かぶが、最近では丸谷才一氏の「食通知つたかぶり」が評判を呼んだ。各氏とも食物の味に通じているばかりではない。その著書を読めば、風雅の趣は当然のこととしても、まるで求道者のように世界じゅうのうまい物を食いあさって舌鼓を打っているのに驚く。
しかし、こういう読者もいるという参考までに私見を挟むなら、食通各氏の文章に接するときの私はSFか恐怖小説を読む感じで、とても正気の沙汰とは思えない。だから複雑な意味でおもしろく読むわけだけれど、たとえば「食通知つたかぶり」で、岡山の穴子鮨がいかに美味であるかを説かれても、食欲をそそられるということはない。まったく逆であって、丸谷氏の名文を以てしてもというより、むしろ名文なるが故に恐ろしい迫力で気味のわるさが倍加する。丸谷氏が食べる前から「その鳶いろの堂々たる姿を眺めて、わくわくしてゐた」と書けば、わたしはすでに鳥肌が立つ思いなのだ。あの細長くてヌラヌラしたような姿は想像するだに気味がわるいし、それを「ちよいとつまんで口に入れる」なんて到底わたしには耐えられない。ヘビもウナギも同類で、どう料理してもらっても口に入れる勇気はない。だいたい細長くて毛がなくて足もないという動物が嫌いで、したがってドジョウも駄目である。とくに柳川にいたっては卵がかかっているから、見るのも恐ろしいくらいである。嫌いな食物の筆頭が卵で、ゆでても焼いても食えないし、子供のころはカステラさえ食べられなかった。ごまかして食べさせようとしても、少しでも卵が入っていれば舌と喉で分ってしまう。小学校の四年か五年のとき、偏食はわがままだというので、臨海学校で教師に無理矢理ナマ卵を飲まされたことがあったが、たちまち青くなってぶっ倒れ、高熱と下痢でひどい災難だった。わがままなだけではないのである。
しかし、それにしてもわたしの偏食はかなりのものらしく、嫌いな物を並べたら尻取り遊びができるのではないかと言われたこともあるが、なぜこんなに偏食なのか、確かに嫌いな物は多い。いちばん困るのは料理屋に招かれたようなときで、まず酢の物が嫌いだから、ヌタが食べられない。酢味噌であえた物は全部駄目。ニラやミツバの類もいけないし、ウニとかズジコとかナマコとか、ああいうグニャグニャした物もグロテスクで恐ろしい。サシミも白身なら我慢できるが、ほかはどうも気持がわるい。そもそもナマ物が苦手なので、生けづくりなんて本当に身の毛がよだつ。卵に関連した味ではトロロもアレルギーを起こす。もちろん茶碗むしなどは蓋も取らない。味噌漬や奈良漬も匂いさえ嫌いだから、結局のところ、せっかく一流の料理屋に招かれながら、喜んで頂戴するのは味噌汁とご飯である。その味噌汁もナメコは抜きだ。

西洋料理も同様で、ドレッシングやマヨネーズが嫌い、トマトやセロリ、ニンジンも駄目、したがってサラダは無縁に近い。血の滴るようなビフテキなんてのも、見ただけで気分がわるくなる。ニンニクの匂いがしたらやはり駄目だし、仕様がないから何か注文するけれど、特に食べたい物は何もない。好き嫌いが烈しいというより、好きな物がほとんどないのである。これでよく生きてこられたと思うことがあるが、子供の頃はネギ、ナス、キュウリから牛乳もバターも受付けなかった。鶏肉やハム、ソーセージなどは今でも食べないが、それでも多少口に入る物がふえたのは戦中戦後の食糧難のおかげである。栄養失調すれすれで飢えを凌いでいたから、好き嫌いなど言っていられなかったはずなのだ。
しかし、そんな時代でも食べなかった物は本当に嫌いなわけで、今さら偏食をあらためようという気はない。こうなったら食通の反対をゆく。偏食でも大食という人がいて、そばなら十枚くらい平気とか、天ぷらならいくら食べても飽きない人もいるが、わたしは偏食の小食で、この小食も変わりそうなない。
通の反対は野暮である。あるいは不粋、不風流であろう。
しかし、わたしは野暮でも不粋でも構わない。通と野暮は紙一重だが、たかが食物のことで、通も野暮もあるまいという気持のほうが強い。負け惜しみのようだが、食通は変態の一種ではないかと思うのである。
「ニンニクの切身といっしょに食べるのだが、柔くてうまいし、食べ終つてしばらくするとニンニクの香りが口中にゆっくりとひろがるのも楽しい」
これは「食通知つたかぶり」の中で鰹のたたきを食べるときの一節である。わたしからみれば別世界、信じ得べからざる怪奇小説の世界だ。
わたしはたっぷり恐怖を味わって、本を閉じ、現実に戻る。
台所に声をかけて、晩飯のオカズをきいた。納豆に湯豆腐、あとはキャラブキの佃煮とフキ豆と白菜のお新香だという。
わたしは満足して仕事部屋に引返した。これで充分なのである。決して贅沢ではないし、わがままでもあるまい。飯だけは最上等の米を取寄せるが、それだって一日に一食一膳しか食べないのだから、やはり贅沢ではないだろう。これでは調理場の張合いがないかもしれないと思っていたが、そこはよくしたもので、わたしの代わりに二人の伜が旺盛に食べるようになった。
アクビはうつるという。
客がタバコに火をつけると、自分もタバコをくわえたくなる。
このアクビやタバコと同じように、相手につられて食うということがある。つられ食いである。しかしその反対もあって、家内はわたしにつられたように小食だった。ところが、近頃は伜たちのほうにつられて大食になった。家内も伜も好き嫌いがない。実によく食べると思って呆れていると、食後にまた何か食べている。こうなると彼女らも別世界の住人に近く、わたしは異邦人のような気がしてくる。食卓で、近頃はわたしだけがどことなく孤独である。「食わざるの記」と題してみたが、そのうち、わたしもつられて大食になるかもしれない。ただし、相変わらず偏食で飯だけ大食というのでは、かえってわびしいのではないだろうか。

 

(巻三十)酒ゆえと病を悟る師走かな(其角)

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(巻三十)酒ゆえと病を悟る師走かな(其角)

 

9月30日木曜日

 

6時半に起きる。窓から四ツ木方向を一撮。色々なモニターのコードも外され、点滴の管も今は使われておらず、身動きを妨げるものはない。

採血、エックス線、とあり、院長の回診があった。尿管の石は砕いて除去したが、まだ腎臓に残っている石を改めて手術することになるとのお話でした。進歩した今の世でなければとうにお陀仏だったろう。

昼飯(一撮)を美味しく頂いた。午後からまた点滴に繋がれる。3時ころ、悪いけどと言われて部屋替えとなる。今度も四人部屋で窓から入口横になるが、前の部屋の患者はやや先輩の諸氏でなんやかんやと騒がしかったのに比べ、移転先の住人(病人)は壮年さんたちでカーテンをしっかりと閉めて自分の世界に籠っている感じがする。

夕食も美味しく頂いた。

移転先の空調が強く毛布を被っていても少し寒い。個室ではないので我慢するしかない。夜中、トイレに行くと老女の「痛いよ~、帰りたいよ~」といううめき声が廊下を伝わってくる。

願い事-多少の不便不快はありますが、お医者さん、看護師さまは患者に寄り添ってくれていて満足してます。こういう雰囲気の中で叶えて下さい。この病院で叶えて頂ければ、幸せな最期だったと云えると思う。

秋の暮生き足りしとも足らずとも(稲垣長)

(巻三十)極月に眉月一つ星ひとつ(袴田菊子)

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(巻三十)極月に眉月一つ星ひとつ(袴田菊子)

9月29日水曜日

石を砕きに行く。葛飾リハビリテーション病院で平成立石病院へ行くシャトルバスに乗る。10分で病院到着。受付、CT、エックス線、PCR、その後一時間ほどPCRの結果待ち。陰性の結果を受けて入院手続き。十五万円を預託。4階の病室四人部屋に移動。すぐに点滴用の管を入れた。手術着に着替え、手術の流れの説明と確認を看護師さんから受ける。特に希望とかあれば?と言われたので、「苦痛は嫌なので、緩和優先でお願いします」。担当医が来て右手にマークを付け、簡単な説明をしてくれた。当初1時半の予定が2時になり、手術室に徒歩移動。手術室の看護師から諸点確認本人確認。

ひやひやと登りて狭き手術台(太田うさぎ)

麻酔医から質問と確認。「眠くなりますよ」と言われて、あとは分からず。

「これから部屋に戻りますよ。」と言われて目覚める。寝台で部屋に戻る。看護師さんから「痛みがあるか?」と訊かれ、「ある。」と答える。「10段階のどの程度の痛みか?」と難問がきた。我慢すれば我慢できる程度なので「2」と答えた。「座薬と点滴のどちらがよいか?」ときたので点滴にして頂いた。うとうとする。担当医が来て尿管の石は破砕。腎臓内の石は一部破砕。で成功とのこと。腎臓内の大物については改めて手術をしましようとのことこと。記念品(一撮)を頂く。

7時に通常食の夕食を頂く。腹ペコだったのでとても美味しく頂いた。

総じて、医学が進歩したのだろうが、簡便になってきた。麻酔の時間も短いし、以前は尿導管を退院まで外してくれなかったが、今回はオチンチンからの管は最初から外されていて、これはありがたい。

そう言うわけで、手術は無事終わりました。

(巻三十)父健気人参買つて葱買つて(冨田正吉)

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(巻三十)父健気人参買つて葱買つて(冨田正吉)

9月28日火曜日

入院準備のリュックに折り畳み傘を入れた。折り畳み傘で凌げる程度の悪天候であればよいのだが。

借りている角川俳句9月号を図書館のポストへ返却した。これで借りている資料はない。貸出しの予約を4冊しているが、借りられないことになっても未返却にはならないからいいだろう。

現世に借り無きように炉を塞ぐ(出口善子)

本日は二千三百歩で階段は0回でした。階段は無理すれば昇れたがやめておいた。

願い事-無痛で無意識の中で叶えて下さい。コワクナイ、コワクナイ。

深夜に痛風の軽い痛みを感じる。酒と煙草をやめても発症するんじゃ仕方ないが、機能低下で先が見えてきたような暗い気分になるなあ。でも、誰でも何れ何かの病でいつか死ぬんだから諦めるしかないか。

大丈夫みんな死ねます鉦叩(高橋悦子)

(巻三十)あやまちを重ねてひとり林檎煮る(白石冬美)

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(巻三十)あやまちを重ねてひとり林檎煮る(白石冬美)

9月27日月曜日

朝一で病院から電話があり、先週土曜日のPCR検査の結果は陰性で予定通りの入院と連絡してきた。

入院の仕度を始めた。と言ってもパンツ3枚肌シャツ2枚靴下3足タオル1枚と髭剃り程度だ。これまでの入院では新しい下着類を用意したが、今回は新しいものは卸さずに洗濯したものを小さなリュックに詰めた。他には、ICレコーダーと句帳である。

句帳だけあれば枯野にある居場所(伊藤昌子)

午後散歩。千円床屋に行き、十分で仕上がる。

本日は二千六百歩で階段は2回でした。

願い事-そっと叶えて下さい。

秋茄子やあとは上手に果つるのみ(阿知波裕子)

コワクナイ、コワクナイ。

(巻三十)ポケットのなかでつなぐて酉の市(白石冬美)

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(巻三十)ポケットのなかでつなぐて酉の市(白石冬美)

9月26日日曜日

朝食の飲物を紅茶から牛乳に変えて3日経った。以前はそれほど感じなかった乳糖の甘味を感じる。乳糖の消化酵素を持っているのかいないのか知らないが、冷たい牛乳を飲んでも腹をこわすことはない。カレーに弱い細君も毎朝牛乳は飲んでいる。

顔本の「カメラで散歩」に芒の靡いている写真に、

沈む陽を揺れて見送る芒かな(一色浩司)

という俳句が添えられて投稿されていた。う~ん、いい句だな~と書き留めた。

細君の携帯に詐欺メールが入った。「このメールは詐欺メールではありません。」などと記述があるどちらかと云えば稚拙なメールで当選金を送るので口座を教えろというのが大筋だ。しかし、これでも数打てば当たることもあるからやっているのだろう。過日、亀有警察署から頂いた防犯メルマガに依れば8月末までの管内の特殊詐欺被害件数は64件で被害額は1億5千8百万円だそうだ。つまり、ご近所でもこれだけ引っ掛かっているわけだ。

午後散歩。雨が降りそうなので図書館までにしておいた。借りた本3冊を返して借りている本はなしにしたが、角川俳句9月号が借りられたので借りてしまった。 帰路、マルミヤで餡パンを買う。本日は二千歩で階段は1回でした。

その9月号だが、いくら捲っても書き留めたくなる句がない。

新茶いれ世話女房に徹しをり(蔵堯子)

を麦茶をいれてくれる細君への謝意を含めて書き留めてみた。

そこへ世話女房が朝日俳壇を届けてくれたが、こちらにも書き留めたい句がないが、一句はと、

生きながら幻となる人の秋(齋藤達也)

を書き留めた。

選評は「マスクをするとこんな感じがする。誰でも。」だか、そういうことなのだろうか?

願い事-静かに叶えて下さい。コワクナイ、コワクナイ。

「あなたは非常に運がいい......かもしれない - 土屋賢二」論より譲歩 から

 

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「あなたは非常に運がいい......かもしれない - 土屋賢二」論より譲歩 から

人類は太古の昔から占いに頼ってきた。近年も有名な占い師のところには行列ができるという。見てもらいたがるのはほとんど女らしい。不況になっても悩みをかかえる人は減らないから、おそらく占いは不況知らずだろう。この現象を社会学的、経済学的に慎重冷静かつ詳細に考察した結果、わたしが得た結論は、占い師になりたいということだった。
占い師には年齢制限がない、きつい肉体労働がいらない、免許がいらない、会議がないなど、わたしにぴったりの職業だ。だが占い師として成功するかどうか占ってもらったら、失敗に終わるという結論(理由「女に信用されないから」)が出るだろう。
女のほうが占ってもらいたがるのはなぜだろうか。おそらく、女は自分の意志ではどうにもならないことが多いと思っているからではなかろうか。女は結婚相手によって一生を左右されがちだが、どの男がよい夫になるかとは簡単に予測できない。そこで占いに頼る。具体的には、男の女性関係、健康状況、資産状況の現況と未来を占ってもらう。女はそれだけ慎重に男を選ぶのである。
これに対して男の多くは、運は自分で切りひらくものだと考えている。実に軽率である。ちょっと考えれば、運が非常に重要だと分かるはずである。運さえよければ才能も努力もいらないのだ。働かなくてもいい。一年に一回宝くじを買うだけでいいのだ。
われわれは医者、パイロット、運転手、料理人などに、信頼できるかどうかも知らないまま命を託しているが、これは完全に運まかせだ(医者、パイロット、運転手、料理人の方々は運に頼らないでほしい)。
わたし自身は運を重視しており、大学生のときは、試験前日、試験結果を予想するために勉強もせず、徹夜でトランプ占いをしていた。しかし残念ながらそのとき以来わたしの人生は不運続きだった。こうして書いている文章も、確固とした方法論もないまま思いつきで書いているのだから、出来具合は運まかせだが、これまで一度も幸運に恵まれたことはない。言うまでもなく、授業やピアノ演奏をするたびに不運に見舞われ続けている。
とくに悪いのは、女運と金運と勝負運とバランス運(どんなに気をつけても転ぶのだ)である。よく「勝敗は時の運」と言われるが、わたしが横綱と何百回相撲をとっても勝てないに違いない。このように決まって悪い結果が出るのは「運」とは言えないような気もするが、そういう人間に生まれついたのは不運としか言いようがない。
女は運を重視するが、惜しいことに、その姿勢は不徹底である。すべてを運まかせにするどころか、思い通りにならないことがあれば、どんな手段を使ってでも思い通りにしようとする女が多い。思い通りにならなければ、相手が男であろうが家族であろうが政府であろうが責任を追及し、天気にさえ腹を立て、絶対に運を受け容れようとしない。わたしのような「運まかせ」とは大違いだ。
だが、運まかせにも問題はある。自分が運がいいのか悪いのかよく分からないのだ。宝くじが当たっても運がいいとはかぎらない。当選金を受け取りに行く途中で交通事故に巻き込まれるかもしれないし、当選金で富豪になったために犯罪の被害にあうかもしれない。そういう結果になるなら当たらない方が運がいい。長生きしても運がいいとはかぎらない。長生きしても何十年も苦しむ悲惨な老後を過ごすかもしれない。
要するに、何が運がよくて何が悪いことなのかをわれわれは知らない。好運を祈っても、実際には何を願っているのか自分でも分からないのだ。もしかしたらわたしは強運の持ち主なのかもしれない。