「芸能人と家族 - 小沢昭一」文春文庫 巻頭随筆1 から

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「芸能人と家族 - 小沢昭一」文春文庫 巻頭随筆1 から

週刊誌で、スケベエ対談をやっていたので、その御相手に、売春の社会学的研究で著書もある、さる大学の先生に御登場をお願いしたら、
「あれは、若い時の研究で、ああいうものをやると、女房子供がいやがるもんですから、もう近頃はとんとその方面はごぶさたです。以前も、テレビの夜の番組で、売春のはなしを依頼されましたが、女房が強く反対するもんで、お断りしました。」

勤続何十年のある老巡査の述懐 - 「私は一生巡査で一向にかまわないんですが、娘が嫁に行く時、ヒラの巡査じゃ肩身がせまかろう。せめて、おやじの肩書に長をつけてやろうと、いやいやながら、この年は勉強して、試験もうけて、巡査部長になりました。おかげで娘の結婚式は、どうやら、かっこうがつきました」

節季候[せきぞろ]という門付[かどづけ]芸があった。暮れになると「せきぞろござれやハァせきぞろめでたい」などと言いながら各戸を廻って銭をもらったものなんだそうだが、やっていたという老人を四国の山の中に訪ねて、口上をやってもらおうと頼んだら、
「もう忘れた」
という。
「どんな感じのものか、ちょっとだけでいいですから」
と、しつこく食い下ったら、
「わしはかまわんが、息子や孫が、よせというもんだから....」
ということだった。役場へ出ている息子さんにしてみれば、いまさら、おやじが昔そんなことをして稼いでいたことを、他人に知られるのは迷惑、ということなのであろう。

宮城県の農家の庭先で、以前女相撲横綱をはっていた老婆を、やっとのことでつかまえた。女相撲の興行は終戦後まだ残っていたものだが、女相撲です唄う“いっちょな節”を採録したくて頼んだところ、すぐに大きな声で唄ってくれた。
花か蝶々か、蝶々か花か、
エー来てはチラチラ....
途中で歌がプツリと切れて、おばあちゃんは家の中へ入ってしまった。野良から、息子夫婦が帰って来たのである。

似たようなはなしは、われわれの仲間にもある。
演技の鬼といわれる老練のバイプレーヤー、悪を演じたら天下一品だったが、
「娘が大きくなってきたので、テレビや映画で、もう悪役はやりません」
と、ブラウン管にニコニコと笑顔を見せている。大同小異のこんな例は、われわれのまわりに実は一杯ある。
他人のはなしばかりで申しわけないから、自分のはなしをしよう。私の場合は、悪役よりもエロ役。一時はずいぶん演[や]った。
その頃、家族はまいにちイヤな思いをしたらしい。息子は学校の帰り途、女のマタグラに顔をつっこんだ私の映画ポスターの前で、ともだちに笑われた。女房は美容院で、ヒソヒソしのび笑いを後ろからされる。“エロ事師小沢昭一”の見出しの週刊誌がそこにあるからだった。
若き日、あるいは主義主張に支えられて情熱で、あるいは金か名か、とにかく一旗あげたい意気で、見栄も外聞もあらばこそ、死に物狂いで仕事をやるうちは、親も家族もあったものではないが、金もまあまあ、地位も安定となると、放蕩無頼、コンジョウあると覚しき芸人でも、社会への見栄、家族のおもわく、娘がオトモダチに対してはずかしくないようにと、きれいごとの仕事を見つけて、それでけっこう自分も安住の場を得るのである。
いま、そのことのよしあしを、問うのは止そう。
ただ。-
少しまえまでは、芸能にたずさわる人々は一般社会と隔絶されたところにいた。役者、芸人のたぐいは、実際に、カタギさんたちとは離れて一団をなして住むか、または、定住を捨てて放浪のくらしの中にいた。一般人との交流はなく、見栄も外聞もなく稼いで、それでよかったのである。ムスコもムスメも、おじいもおばあも、みんな一緒に、閉塞された中にうごめいていたからである。しかし、芸能の花はそういう土壌に咲いた。
いま芸能者は、完全に市民生活の中に入り込んでしまった。恐らくもう昔のようには戻るまい。さて、そうなった時、一般人と同質の生活から、一体、どんな芸能が生れるのだろうか。