「荷風の三十分 - 吉行淳之介」ちくま文庫 吉行淳之介ベストエッセイ から

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荷風の三十分 - 吉行淳之介ちくま文庫 吉行淳之介ベストエッセイ から

小岩に、東京パレスという赤線地帯があった。坂口安吾が、『安吾巷談』で紹介し、二十四、五年頃が全盛であった。
殺風景な野原の中に、寄宿寮のような形の木造二階建の粗末な建物が五棟並んでいる。これが、すなわち娼家である。寄宿寮のようにみえるのは当り前で、これは時計工場「精工舎」の寮だった。セイコウ舎の寮がセイコウのための建物に変ったところが、趣きのあるところだ。
東京駅の前からバスに三十分乗って、二枚橋という停留所で降りる。あたりにあまり人家がないので「二枚橋」といって切符を買うとき、いささか面映[おもは]ゆい、ここに住んでいる女たちは、娼婦ではなくてダンサーだという触れこみでじじつダンスホールが付属していた。ダンサーと踊っていて、意気投合すれば女の部屋へ手をつないで行く段取りである。しかし、それは形ばかりのもので、大部分の女は、自分の部屋の前に立って、いわゆる張見世[はりみせ]をしている。遊客は、細い廊下を歩きながら品定めしてゆく。戦国時代にふさわしい粗末な建物で、ヨーカンを切ってゆくように、細長い建物がベニヤ板でいくつもの狭い部屋に仕切られている。その仕切りも、天井までは届いていないので、寝そべって上を向くと、隣りの部屋の天井が見える。枕もとに電気スタンドを置いてあったりすると、実物の何倍にも拡大されたあやしげな影が、天井に映し出されて、ゆらゆらとゆれることになる。もちろん、話し声や物音は筒抜けである。
ある夜、隣りの部屋から、大きな話し声が聞えてきた。
「あんな、商売なにしてんの」
「おれか、おれはいま運転手だ。いろんな商売をやってみたが、これが気楽で一番いいや」
「そうねえ、たくさん稼げるでしょうねえ」
「なかなかよい収入になるな」
そのうち、男の声が、こう言った。
永井荷風が遊びにくるというじゃないか」
「そうよ、あたしは遊んだことはないけど、ときどきくるわよ」
「そうか、あれはおれの友だちだ、なかなか面白いじいさんだ。今度、おまえに紹介してやろうか」
市川に住んでいた荷風が、ときどき姿を現したのは事実のようだ。私は後日、荷風の相手をしたという女の部屋に上ったことがある。これは嘘か本当か分らないが、その女のいうには、荷風は女のそばに躯を横たえて、じっと抱きしめるのだそうだ。なにもしないでただじっと横になってきっかり三十分経つと立ち上って身仕度する。そして、三百円置いて帰ったという。当時、一時間五百円、泊まって千円から千五百円が相場であった。
ところで、男の声はしだいに大言壮語しはじめた。
「しかし、なんだなあ。おれもいろんなことをやってみたが、もうみんなアキたね。ゼイタクも倦[あ]きたし、女も倦きた。あとに残っているのは、なんだな、政治だけだな。政治というのは、やってみると、なかなか面白いもんだ」
ベニヤ板の仕切りの、ボロボロの部屋での大言壮語なのだから、愛嬌がある。憎む気にはなれないのである。