「野良猫の兄弟 - 色川武大」新潮文庫 うらおもて人生録 から

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「野良猫の兄弟 - 色川武大新潮文庫 うらおもて人生録 から

まだ街に空襲の焼け跡が、チラホラ残っていた頃の話なんだけれどね。
持ち主がまだ疎開から戻ってこないとか、いろいろの事情があって、焼け跡がまだ空き地のままになっているところがあってね。そういうところに、不良仲間が自分の土地でもないのに乞食小屋みたいなものをだまって建てて、強引に住みついちゃう。
そこへ俺たちのような無宿者が、水がたまるように寄ってきて、泊めてもらうんだ。天井と囲いがあるだけで、地面の上にむしろなんか敷いて、破れ布団に身体を突っこんで、焼酎呑んでごろ寝をしてしまう。
誰かが電気ごたつを持ちこんだりして、じめじめしてるけどけっこう暖かいんだな。
それで俺たちが街をうろついている間は、野良猫が布団の中を占領してしまう。誰だって入れるんだからね。それで最初は俺たちが戻ってくると足で叩き出したりするんだけれど、追っても追ってもくるから、そのうち一緒に寝ちゃったり。
俺たちだって野良猫だって、ほとんどちがう点はないんだから。
だからね、ばくちで勝ったりした夜なんか、魚屋でアラを貰ったり煮干を買ったりして、猫たちにもおすそわけをする。小屋のまわりにまいておくとあちこちの茂みから七、八匹飛び出してきて、競争で食う。
野良猫たちを観察していると、一匹ずつ顔もちがうし、気質もちがうんだな。
一緒に産まれた牡同士の兄弟がいてね。兄の方は、なかなか戦闘的で、なおかつ開放的、俺たちにもよく慣れて一緒に寝たりするんだが、弟の方が、どうにもひっこみ思案でね。
産まれたばかりの頃、よその大人に足で蹴っとばされたらしいんだ。それがショックだったのか、まったく警戒心ばかりで生きている。
食い物があっても、一番最後まで食べないね。他の奴が食い終わって、なんでもないのを見届けてから、ようやくこわごわ口を出す。俺たちの手足が届くところには寄ってこない。
一度、寝ているすきを狙って、頭に手をおいたら、飛びあがって逃げていったね。
野良猫は事故や猫捕りに捕まったりして、どんどん新陳代謝(新旧が交替すること)していくからね。
はじめ、俺は、警戒心の強い臆病猫は生き残るんじゃないかと思った。積極的な猫は、危険なことにもたくさんぶつかるはずだからね。
ところが、ちがうんだ。臆病猫は、長生きできなかったよ。どうして死んだかしらないが、とにかく災厄に出遭ってしまったんだな。
それで人なつこい兄の方は、何年も元気に飛び廻っていたがね。
俺はその頃、ばくちをやっていた頃だからね。猫たちを見ていて、ふうんと思ったな。
危険を避けているだけじゃ駄目なんだね。やっぱり、聡明でなけりゃねえ。
バランスということを、これまでたびたびしゃべってきたけれど、一見、バランスをとって、堅実にやっているように見えて、実にただの守り腰になっていることが多いんだ。再々いうように、守り腰だけでは勝てないんだからね。
で、チャンスを見とって攻めて出る勇気も必要だし、物事を大きく正確につかむための広い心も必要になるね。バランスというのは、自然の風にうまく自分を乗せることだからね。だから人生はむずかしいねえ。
もうひとつ、野良猫から教わったことがある。なににつけても積極的な兄猫の方だがね、これがとても楽しそうに、のびのびと生きてるんだ。
親代々の野良猫というのは、きびしい状況の中で生きているから、たいがいはもうこすっからくなって、守り腰だけになっているんだね。ちょうど弱いばくち打ちのように。彼等は孤立に甘んじていて、何かと提携するということをしない。もっともこれは彼等の責任じゃないけどね。
その兄猫は、そこがちょっとちがって、もっと明るかった。といって、おっちょこちょいじゃないんだよ。闘争心もほかの猫に劣らないし、じっと立ちどまってこちらの動静を眺めているときもある。
一度、大きな犬がのそりと入ってきたことがあったが、そのとき一番早く立木の幹をのぼって避難したのは彼だった。
それから、俺たちの顔のそばで寝るのも彼が一番早い。
俺たちだって気持ちが荒[すさ]んでいるからいつも優しい友だちでいるわけじゃないんだけどね。
そこいらの見わけ方が、彼はすばやい。俺たちの気配で、寄ってきたり、離れていたり。
そんなことも含めて、なんだか楽しそうなんだ。天空海闊[てんくうかいかつ](のびのびしていて度量が広いこと)というのかな。楽々と生きている感じなんだな。
それで、小学校のときなんかを思い出すんだけれども、クラスの中で、一番楽しそうに、楽々と日を送っているのは、成績のよい子なんだな。怠けて遊んでいる子じゃないんだ。
不思議だね。俺なんか劣等生だったから、身にしみて感じているけれど、怠けて、自分の好きなことばかりやっていて、それはそれなりに面白いんだけども、なんだか気が晴れないね。晴れ晴れとしている優等生が、どうもうらやましい。それで俺もあんなふうに晴れ晴れとしてみたいと思っても、怠けちゃったあとじゃ、追いつくのは大変なんだね。
チェッ、学校の成績ばかりが尺度じゃねえや、といったって、それは攻めこまれた者のいうことだからね。
多分、優等生も、最初のところで、勉強しなくちゃ、と自分にいいきかせている間が、ちょっと難儀なんだろうね。ところがそのあとは、スーッとそのペースで行けばいいんだから。
物事をちゃんとできた、なんていう心持ちは、とてもいいものなんだろうと思うな。ちょっと足を動かしても自信にあふれて、すっすっと動くなんという気分が、一番楽しいことなんだろうな。
俺はめったにそんな気持ちになることはないんだけれども、楽しそうに、楽々と生きるというのは、最初のちょっとしたリードの仕方なんだ。
学校の成績そのものは、ちがう物差しだってあるだろうと俺も思うよ。そうだけれども、学校なり会社なり、そこへ行った以上は、楽しくやらなきゃ損なんだな。
野良猫を見ているとね。ある日、いっせいにに居なくなるときがあるんだ。多分、猫捕りのせいだろうと思うんだけれど、彼等にとって大変な災害が、ときどき起きるんだねえ。
例の兄猫は、人なつこいところがあるし、好奇心も強くて、いつも先頭に立って事にあたるから、今度はやられたかなァ、と思っていると、ひょっこり顔を出してくる。
それがなんだか自分のことのように嬉しくてね。
俺たちだって宿なしで、猫捕りに捕られたって不思議ないんだから。
俺がその乞食小屋に三カ月くらい、戻らないことがあってね。
それでひさしぶりに、小屋に行って寝かせてもらおうと思って、近くまで来ると、俺が歩いてくる横を、いつのまにか例の兄猫がついてきているんだね。道の端っこを歩いたり、塀にかけのぼったりしながらね。
よう、元気だったかい、といいながら来てみると、小屋がこわされてしまってもう無いんだ。まァ俺はどこで寝たっていいし、猫の方もあいかわらず屈託がなさそうでね。
あの猫が結局どんな死に方をするか、それが見たかったなァ。