(巻二十三)庭先の梅を拝見しつつ行く(松井秋尚)

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(巻二十三)庭先の梅を拝見しつつ行く(松井秋尚)

9月9日月曜日

台風の眼の中に居る海坊主(猿人)

風雨の音で四時半ころ目覚めた。戸建ての頃は台風が来ると門扉、アンテナ、物干しなどが気になったが、此方に引っ越してからはそういう心配はない。
断水、停電が困るのは変わらないが今のところ大丈夫であります。

台風の仕舞ひの風に雨少し(きくちきみえ)

九時過ぎには風もおさまり、ベランダと廊下の落葉を片付けました。廊下は自分の部屋の前だけ、つまり自分の家の庭先だけ、を綺麗にしておきました。

蓋あけし如く残暑の来たりけり(星野立子)

午後は予報の通り暑くなりました。

間食せずに一日中小腹の空いた感じで過ごしました。
夕食はゆで豚とラタトゥイユですが、成人女性にああしろこうしろと云われながらコンロの前に立ちました。今日は醤油を垂らしてみましたが、これもまた由しでございました。
ゆっくりといただきました。殊にズッキーニが美味しかった。

本

「野良猫の兄弟 - 色川武大新潮文庫 うらおもて人生録 から

を読みました。
猫を語った随筆、猫から学んだ随筆として一級作品と生意気を申し上げる。

《 もうひとつ、野良猫から教わったことがある。なににつけても積極的な兄猫の方だがね、これがとても楽しそうに、のびのびと生きてるんだ。
親代々の野良猫というのは、きびしい状況の中で生きているから、たいがいはもうこすっからくなって、守り腰だけになっているんだね。ちょうど弱いばくち打ちのように。彼等は孤立に甘んじていて、何かと提携するということをしない。もっともこれは彼等の責任じゃないけどね。
その兄猫は、そこがちょっとちがって、もっと明るかった。といって、おっちょこちょいじゃないんだよ。闘争心もほかの猫に劣らないし、じっと立ちどまってこちらの動静を眺めているときもある。》


《野良猫を見ているとね。ある日、いっせいにに居なくなるときがあるんだ。多分、猫捕りのせいだろうと思うんだけれど、彼等にとって大変な災害が、ときどき起きるんだねえ。
例の兄猫は、人なつこいところがあるし、好奇心も強くて、いつも先頭に立って事にあたるから、今度はやられたかなァ、と思っていると、ひょっこり顔を出してくる。
それがなんだか自分のことのように嬉しくてね。
俺たちだって宿なしで、猫捕りに捕られたって不思議ないんだから。
俺がその乞食小屋に三カ月くらい、戻らないことがあってね。
それでひさしぶりに、小屋に行って寝かせてもらおうと思って、近くまで来ると、俺が歩いてくる横を、いつのまにか例の兄猫がついてきているんだね。道の端っこを歩いたり、塀にかけのぼったりしながらね。
よう、元気だったかい、といいながら来てみると、小屋がこわされてしまってもう無いんだ。まァ俺はどこで寝たっていいし、猫の方もあいかわらず屈託がなさそうでね。
あの猫が結局どんな死に方をするか、それが見たかったなァ。 》