「酒みずく - 山本周五郎」新潮文庫 今宵もウイスキー から

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「酒みずく - 山本周五郎新潮文庫 今宵もウイスキー から

私はいま二週間以上も酒びたりになっている。いま書いている仕事のためとは云わない、けれどもこの仕事は、半年もまえから計算し、精密なコンティニユイティを作り、それを交響楽と同じオーケストラ形式にまとめあげた。そうして書きだしたのだが、作中の人物は半年以上ものつきあいであり、誰が出て来てもみな古馴染で、小さな疣[いぼ]や痣[あざ]や、めしの喰べかたや笑い声までがわかっていて、その男、または女の出番になると、うんざりして机の前から逃げだすか、酒で神経を痺[しび]れさせるほかはなくなるのである。いろいろ狼狽してみた。三浦半島へいったり、藤沢でだらしない遊びをし、二人の大切な友人に迷惑をかけたり、また華やかな街で五日も沈没したりした。
はたから見れば、これらはたのしい贅沢としかうつらないだろうが、当人は一刻々々が死ぬ苦しみなのだ。声にして「ああ死んじまいたい」と、のたうちながら喚[わめ]いたこともあった。
- 酒みずく、という吉井勇の歌があった。酒びたりになるほかに、この世に生きている価値はない、というような意味の歌だったと思うが、もちろん正確ではない。違った意味の歌だったかもしれないが、いまの私にはそうとしか思えないし、いまの自分をそっくりあらわしているように思えるのだ。
朝はたいてい七時まえに眼がさめる。すぐにシャワーを浴びて、仕事場にはいるなり、サントリー白札をストレートで一杯、次はソーダか水割りにして啜[すす]りながら、へたくそな原稿にとりかかる。原稿はずんずん進むけれども実感がない、嘘を書いているようで、躯じゅうに毒が詰まったような、不快感に包まれてしまう。私はそれをなだめるために、水割りを重ね、テープ・レコードの古典的通俗的な曲をかけるか、ベッドへもぐり込んでしまう。いっそこの瞬間に死んじまえばいいのに、などと独り呟きながら。念には及ばないだろうが、死にたいなどと云う人間ほど、いざとなると死を恐れるあまり、じたばたとみれんな醜態を曝[さら]すものだという。どんな死にかたをしようと、人間の死ということに変りはないのだが、世のひとびとはそこに大きな関心をもち、褒貶[ほうへん]をあげつらう。やがて自分たちも死ぬのだ、ということを忘れて。
さて、ひるになるが食欲はまったくない。そこで客が来れば大いに歓談してグラスの数をかさね、来なければ陰気な気分で、やはり水割りのグラスをかさねるわけである。どうにもやりきれないときには、しきりに電話をかけて友人を呼ぶのだが、みな仕事を持っているのでなかなか「うん」とは云わない。
「人間はいつ死ぬかわかりゃしないのに」と私は独りで呟く、「そんなにいそがしがってなんの得があるんだろう、みんなあんまり利巧じゃないな」
仕事に関係のある友人以外には会わないことにしている。演劇、映画、放送局の諸氏にも原則として会わない。これらの諸氏は私がどう抵抗しようと、あいそよく笑うだけで、やりたいと思いきめたものは必ずやってしまうのである。これでは会って酒を飲み、大いに語ることはお互いの時間つぶしにすぎないし、こちらは一杯くわされたような気分になるだけだからだ。自然、友人は仕事関係の若い人に限られるし、かれらは仕事のほうが面白いから、私のような下り坂になった作者に会うのは気ぶっせいなのだろう。そこで私はまたグラスをかさねるか、街へでかけるかするのである。
午後四時になると、かみさんが晩めしの支度をしにあらわれる。私は相当以上に酔っているし、依然として食欲はないが、わが伴侶のあらわれたことで勇ましくなり、原稿を片づけてまずビールをあけてもらう。本当の気持ちはそれどころではない、渋滞して動かない仕事、その仕上がりを待ちかねている若い友、さらにその若い友のうしろで舌打ちをしている偉い人、その他もろもろの、印刷工場の植字さんの顔までが眼の前からはなれないのだ。
「もうぎりぎりです」とか、「なにをうだうだしているんだ」とか、「どうせろくなものも書けないくせに」」などと、怒っている人たちの声まで聞こえるように感じられるのである。
私のかみさんは料理の名手で、特に数種の洋風料理では一流コックを凌ぐ腕前を持っている。これは私ののろけではなく、若い友人たちも認めるところであるが - 待てよ、かれらは私がうまいと云うので、単に調子を合わせているだけかもしれないぞ、などと思いながらビールをやめて、また水割りに変えるのである。
私の胃は米とは不和で、パンかコーン類かオートミールかポテトを好む。一日一度の夕食を簡単に片づけると、一時間ばかりベッドにもぐり込み、起きるとまた水割りを啜りだす。かみさんは十時か十一時に自宅へ帰るが、あとはまた独りで水割りの濃いのを啜り、睡眠剤と酔いとで眼をあいていられなくなると、ようやく寝床へもぐり込む、といったぐあいである。それで終ればいいが、夜半すぎてから訪問者があるのには閉口する。優雅なる女性が一人、ときには二人伴[づ]れで、ゆうゆうと侵入して来、電燈をつけて私の醜い寝顔を観賞し、そのけはいを感じて眼ざめると、謝罪めいたことを云って景気よく飲み始めるのだ。
十月に二週間ほど酒をやめたことがあった。友人が眼の前で飲んでいても欲しくないし、水がなによりうまいこと、そしてそばのうまいことを知ってびっくりした。門馬義久から教訓されて、そばを喰べ始めてから五、六年になるだろうが、これまでは一時の腹ふさげでしかなかった。それが初めて、そばとはうまいものだということに気づいたのである。
だが、それはそれだけのはなしだ。水がうまいことにふしぎはないし、そばがうまいことも昔からわかりきっていたにちがいない。そんなことに感心しているより、仕事のほうが大事である。それにはむだな神経をころし、仕事だけにうちこむことだ。健康を保って十年生き延びるより、その半分しか生きられなくとも、仕事をするほうが大切だ。こうしてまた、酒みずくに戻ったのである。もし宮田新八郎がこれを読んだら、さぞいい気分になることだろう。いつかA社の週刊誌に「私の養生法」というのを書いたとき、宮田新八郎はまったく信じられない、という筆ぶりで「こんどは不養生法を書いたらどうだ」といってきた。したがってこの項は、充分に彼を満足させるだろうと思う。
林芙美子さんが急死されたとき、「ジャーナリズムが殺した」という評が弘[ひろ]まった。冗談ではない、作者はそんなものに殺されはしない、作者は自分の小説によって殺されるものです。