「貯めるということ - 邱永漢」中公文庫 金銭読本

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「貯めるということ - 邱永漢」中公文庫 金銭読本

人間が金を大事にするのは生活をして行くために金が必要だからであるが、同時にまた金を使うことに快楽が伴うからである。それは単に金で快楽を買えるという意味ではなくて、たとえば多くの女性がいそいそとデパートへ出かけて行くさまを見てもわかるように、物を買う行為やあるいは多くの男性が酒場から酒場へと渡り歩いて全く無駄としか思えないような金をバラまく行為それ自体の楽しみをも含めて考えなければならない。
その場合、同じ額の金を持っていても、人によって金の使い方に相違がある。ある人はおしゃれをしようとするだろうし、またある人はお腹の中へ入れておいた方が間違いないと思うであろう。かくて金の流れ方はまちまちになるが、消費者の自由選択が許されている限り、誰だって自分の必要や好みに応じて金を使うから、心の満足は一応最大限の状態にあると見ることが出来る。
ところが都合の悪いことに、その金が靴を買うことに使われるか、それとも酒を飲むことに使われるかのか、必ずしもはっきりきまっていない。もちろん、経験によって一年に消費される靴が何千万足であるか、大体のことはわかっている。けれども、予測出来ない事態が発生したり、絶えず流行に変化をきたすので、見込生産がはずれるような事態が必ずのように起る。これは生産に計画がないからだといわれているが、計画をいくら立てても、必ず起り得る現象なのである。この矛盾は価格が自由に放任されている場合には、物価があがったりさがったりすることによって自動的に調節される。
さて、金を貯めるということは、こうした快楽を抑制することにほかならない。従って貯蓄はこれを一種の苦痛と見ることも可能であるけれども、快楽を捨て去ることではなくて延期すること、しかもさらに大きな快楽への可能性を作り出すことだから、単なる苦痛ではなく、人によっては楽しみでさえあるであろう。たしかバルザックの書いた『ヴーゼニイ・グランデ』のお父さんは、金貨を貯めてそれを毎晩勘定することに言い知れない快感を感じていたように記憶している。金を貯めるには金を儲けるにこしたことはないが、金をいくら稼いでも、貧という字を見てもわかるように、皆人に分けてしまえば、貧しくなるし、また穴の中に身を弓のようにちぢめて窮してしまう。実際、古今東西の理財家を見ても、たいていは節約家が多く、ましてや月々きまった収入しかないサラリーマンがある程度のまとまった金を作るためには、一銭の金も半分にわって使うようなミミっちい節約をやる以外に妙案はなさそうである。
逆に言えば、およそ金の出来るような人間は必ずのようにケチンボであり、またケチンボといわれることを恐れない。従って昔から金持のケチンボを主題とした笑話は無数にある。これは中国の笑話であるが、ある人が金持の家を借りて客をした。そこを通りかかった近所の人が「おや、珍しいですね」というと、金持の家の下男が笑いながら「うちの主[あるじ]にご馳走になりたいなら、来世になってからいらっしゃい」と答えた。それをきいた金持は下男を怒りつけて「勝手な約束をする奴があるか、バカ!」

(中略)
 
といった具合に、過ぎたるは及ばざるよりも滑稽なものである。ところが、倹約は昔から一貫して美風とされてきた。思うにこれは不慮の災難に備える必要があったからであろうが、経済的に見た場合には、皆が倹約しても、それが貨幣の退蔵を意味するなら、経済はかえって萎縮する性質のものである。昔のいわゆる名君賢主たちが倹約を奨励しても、生産が必ずしもこれに伴わなかったのはこの理由による。
しかし、銀行や郵便局が発達して、皆が節約した金をこれらの金融機関に預けるようになってからは事情が一変した。まず貯めた金を銀行が企業家に貸しつけ、それが新しい生産にまわされる。のみならず、皆が一時に金を引き出すようなことはないから、預っている金を準備金としてそれ以上の金を貸すことも可能である。何故ならば、貸した金がすぐに引き出されるとは限らず、引き出しても支払いを受けた人がまた銀行へ預けに来てくれるからである。かくて銀行は貯蓄をオーバーして金を投資にまわすことが出来、そうして銀行によって創造された金が流れ出ると、物価が高くなって、国民は実質的に消費を抑制される。これを経済学では強制貯蓄と呼んでいるが、とりわけ国民所得の貧しい国で生産を拡大するためには、直接税金で取り立てて国家の力で投資を行うか、でなければ、この段階をふまなければならない。
けれども、そいした過程を経て次々と作られた品物は、究極においては消費されねばならない。もしふえた生産に消費が伴わなければ、物価は暴落し、工場は損失を招き、経済全体が不景気になってしまう。今日、政府は貯蓄をしなさいと盛んに奨励しているが、それは皆が政府のいうことに耳を傾けないからちょうどよいのであって、もし皆が皆一銭の金も二つにわって使うようなケチンボになったら、たちまち不景気になり、失業者が街に溢れてしまうであろう。この意味で、金持のドラ息子も経済の発展に一役買っているということが出来るのである。